![]() 8/13より東京都写真美術館ホールほか全国にて 配給会社:ザジフィルムズ 協力:フィールドワークス (C)2010 Two Lefts Don't Make A Right Productions, Dakota Group, Ltd. and WNET.ORG (C)Bob Gruen |
ビートルズ解散後、オノ・ヨーコと共にニューヨークへと移り住んだジョン・レノン。
ジョンはニューヨークをこよなく愛し、そして、愛する街で散った。
そんなジョン・レノンの1971年9月から1980年12月までの約9年間に及ぶ
ニューヨーク時代にスポットを当てたドキュメンタリー映画。
『イマジン』、『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』 、
凶弾に倒れた日のエピソードが語られる『アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生』など、
ジョン・レノンに言及したドキュメンタリー映画はこれまでも何本かあった。
全部見ているし、ジョン・レノンに関する本も数冊読んでいるので、
ある程度、ジョン・レノンの後生の流れは知っているつもりだったが、
本作を見て、その通り、“知っているつもり”だったことが良く分かった。
ジョン・レノンは、世界的な有名人。
その生きざまは、多くの文献やフィルム、映像に記録されている。
よって今、ジョン・レノンのドキュメンタリーを作るならば、
今まで知られていない事実やジョンの素顔を追求しなければ意味がないと思う。
そして、本作は聞いたことがない証言や、
見たこともない写真、映像からそれをしっかりと提示する。
全面的に協力をしたオノ・ヨーコ、ニューヨークで一緒にプレイしたバンドのメンバー、
アルバムのプロデューサーといったジョンの身近にいた人たちが、
ジョンについて語り、新たな一面や事実を浮き彫りにしていく。
![ジョン・レノン,ニューヨーク](http://www.t-shirt-ya.com/itoup/images/johnlennonnysub1.jpg)
その中のいくつかを紹介すると、
ジョンは1973年9月から1975年の1月までヨーコと別居し、
ロサンゼルスへと移住している。
かつて読んだ文献には別居の理由に関して、
「ジョンとヨーコの関係が、この頃、既に冷えきっていたから」と記述されていたんだが、
本作ではその理由がより明確に語られている。
別居の引き金となった事件も驚きだが、
原因を作ってしまったジョンが、ヨーコに対して取った行動を写した一枚の写真が強烈だった。
こんな写真あるんだって。
そして、ジョン自らが「失われた週末」と呼んだロサンゼルスでの生活で、
ジョンは羽目を外しまくる。
弟分のハリー・ニルソン、ザ・フーのキース・ムーン、リンゴ・スターら、
親しい仲間たちと家や店で酒を飲みまくったという。
これは結構知られた話なんだが、
その仲間の中にポール・マッカートニーもいた。
しかも自宅に来ているというのだ。
ビートルズの解散後、ジョンとポールの仲が険悪になったのは有名な話。
1970年代半ばにはその関係も軟化したことは知ってはいたが、
自宅へ遊びに来ていたとは・・・。
このポールの来訪の事実を語るのが、
オノ・ヨーコの秘書で、ジョンと共にロサンゼルスで暮らしていたメイ・パン。
鑑賞後に調べたらメイ・パンは、
2008年に「ジョン・レノン ロスト・ウィークエンド」という本を発表しており、
そこで、ポールや当時の妻のリンダが、度々遊びに来ていたという事実を明らかにしていた。
最近、ジョン・レノンの本とか読んでなかったんで、
知りませんでしたよ。
で、本作では語られていないが、このメイ・パンとジョンは肉体関係を結んでいる。
でもメイ・パンを同行させたのはオノ・ヨーコなのだ。
ジョンが下の処理に困らないよう、また見知らぬ女と変な関係にならないよう、
オノ・ヨーコが差し向けた監視役、それがメイ・パン。
そもそも別居を言い渡したのはオノ・ヨーコなんだが、
この頃のジョンは、さまざまなトラブルを抱え、精神的に参っていた。
そんなジョンには気持ちの切り返えが必要だと感じたオノ・ヨーコは、
先述のある事件を切っ掛けにして、あえてジョンを突き放した。
そして、この目論見は見事に的中する。
![ジョン・レノン,ニューヨーク](http://www.t-shirt-ya.com/itoup/images/johnlennonnysub2.jpg)
ご乱交の日々の一方で、ジョンの音楽に対する意欲は失われておらず、
別居期間中に発表されたアルバム「心の壁、愛の橋」は好評を博し、
エルトン・ジョンとデュエットした「真夜中を突っ走れ」は、
ソロになって初の全米No.1に輝いた。
“この曲がNo.1になったらライブにゲスト出演する”という賭けをエルトンとしていたジョンは、
1974年11月28日マジソン・スクエア・ガーデンで行われたエルトンのコンサートに飛び入り参加し、
「真夜中を突っ走れ」、既にエルトンがカバーしていた「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド」、
何故かポールの曲である「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」の3曲を演奏している。
そして、来場していたオノ・ヨーコと楽屋で再会し、関係が一気に修復されていった。
このライブと再会について語るエルトンとオノ・ヨーコの証言に、
かなり感想させられた。
エルトンとの賭けやライブへのゲスト出演はもちろん知っていたが、
エルトンが、ジョンとヨーコの関係修復に際して、
これ程までに重要な人物だとは思いもよらなかった。
因みにこのマジソン・スクエア・ガーデンでのライブが、
ジョンの生涯で最後のステージとなってしまった。
(それもまた運命的なんだが・・・)
![ジョン・レノン,ニューヨーク](http://www.t-shirt-ya.com/itoup/images/johnlennonnysub3.jpg)
オノ・ヨーコとの生活に戻り、ショーンが生まれ、
音楽活動を休止し専業主夫となったジョン、そして復活と信じられない最期。
このラスト5年間が語られる本作の終盤の30分間、
もうずぅーと泣きながら見ていた。
オノ・ヨーコとの別居、後悔、再会、謝罪。
自分と同じ誕生日に2人の愛の結晶が生まれ、
主夫として家族を愛し、十分な充電期間を経て、遂に復活。
ジョン・レノンのファーストアルバム「ジョンの魂」の一曲目「マザー」は、
幼年期、母に捨てられたジョンの母への思いを吐き出した曲だ。
この曲は重い鐘の音から始まる。
そして、復活シングル「スターティング・オーバー」は、
軽やかで、優しい鐘の音から始まる。
この対比は、ジョンの心をそのまま表していると言われている。
“スターティング・オーバー”とは、“やり直す”という意味だし、
歌詞のそこかしこに、ジョンのこれからの希望が散りばめられている。
ヨーコとの復縁から「スターティング・オーバー」、アルバム「ダブル・ファンタジー」の発表まで、
ジョンの最後の5年間が、公私共にあまりに充実している分、
余計に無念の思いが募る。
オノ・ヨーコが、本作に全面協力しているから、
オノ・ヨーコが、良い人に見えて当たり前と思う部分もあるが、
ジョンが、オノ・ヨーコを必要とし、愛し続けたのは事実だし、
ヨーコがジョンを理解し、許し、支えたのもまた事実だ。
何よりもこの2人の愛と絆の強さに、
今更だけど、深く感銘を受けました。
ジョン・レノンも凄いけど、
オノ・ヨーコもスゲェ。