▼最新記事2017年05月29日up!

千鳥ヶ淵高射機関砲台座跡&旧近衛師団司令部

先日、関東地方にある戦跡を調べていたら、
千鳥ヶ淵に高射砲の台座が残っているという情報を得た。


2016年10月以降、晴れた日は出勤の際、四ツ谷駅で下車し、
銀座にあるオフィスまで歩くようにしている。


新宿通りを半蔵門方面に歩き、
皇居を竹橋側からぐるっと回り、
日比谷公園を経てみゆき通りへ至るという約6キロのルート。


千鳥ヶ淵も通るのだが、戦跡があるなんて思いもよらなかった。


IMG_1199_RRr.JPG
今年の春、満開時に撮影


ということで、朝、いつもより少し早く家を出て、
高射砲台座を見学しにいくことにした。


千鳥ヶ淵の交差点から代官町通りに入ると、
道路の左側が小高い土手になっている。


IMG_0995_RRr.JPG


階段を登ると広場に出るんだが、
そこに高射砲の台座があった。


IMG_0996_RRr.JPG


全部で7基残っているこの戦跡の正式名称は、
九八式高射機関砲の台座。


皇居と近辺を空襲から守るため、1944(昭和19)年に設置されたという。


「九八式高射機関砲」で画像検索するとたくさん写真が出てくる。


上部は化粧板で蓋がされていて確認できないけど、
中心部分に軸受があり、360度回転しながら射撃が可能だったそうな。


IMG_0997_RRr.JPG


休日や昼時には、何も知らずに台座をベンチやテーブル代わりにして、
お弁当を広げる人もいそうだ。


なんて思っていたら、
4月1日に放送された「出没!アド街ック天国 〜千鳥ヶ淵〜」でも、
この台座が紹介されていて、
まさに女性が腰かけてご飯を食べるという演出がなされていた。


戦時中、実際に飛来したB29に対して使用されたそうだが、
弾は届かず全く効果がなかったそうな。


日本軍は、戦況が悪化するにつれ付け焼刃的なことをしてきたが、
この千鳥ヶ淵の高射機関砲もその一例だったのかもしれない。


IMG_0998_RRr.JPG


高射機関砲台のある広場から竹橋方面へ進む。


IMG_0999_RRr.JPG


なんだかピクニック気分に浸りそうになるが、
今は通勤途中だ。


土手からは首都高速都心環状線が見える。


IMG_1001_RRr.JPG
水面スレスレ。ゲリラ豪雨で増水→浸水被害とかないのかな?


写真に写っている木々の辺りには、
千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。


第二次世界大戦の戦没者の遺骨のうち、
遺族に引き渡すことができなかった遺骨が安置されている。


きちんと参拝したことがないので、今度行ってみよう。


上の写真を撮影して、
再び歩き出すと何故か立ち入り禁止のロープが張られていた。


この時は、除草作業中なのかなぁ〜なんて思っていたんだが、
本記事を書くにあたり、いろいろなサイトを見ていたら、
「帝都を歩く」というサイトにこの立ち入り禁止区域が、
近衛機関砲第一大隊の地下壕があった場所だと記されていた。


この日は、そんな情報を知らなかったから、
完全にスルー。


後日、確認をしに行った。


立ち入り禁止が解除されているかもしれない
という淡い期待を抱いていたんだが、
残念ながら状況は変わらなかった。


IMG_1344_RRr.JPG


立ち入り禁止のロープの右側に階段があり、
降りると土手の側面の土がえぐれて、
コンクリートが剥き出しになっている。


IMG_1345_RRr.JPG


ここが近衛機関砲第一大隊の地下壕入口跡。


地下壕に隠れながら、砲撃を行ったという。


「帝都を歩く」の管理人さんは、
どうやってここが地下壕入口跡で、
隊員たちが身を隠しながら機関砲を発射していた
という情報を得たんだろうか。


別のサイトでは、地下壕の通気口跡を紹介していた。


その通気口跡は、モロに立ち入り禁止内だったので、
遠目からしか見ることが出来なかった。


IMG_1347_RRr.JPG
コンクリの天部の少しこんもりした部分が通気口跡。


これも言われなければわからん。


近衛機関砲第一大隊の地下壕入口跡を後にし、
代官町通りを竹橋方面へ進む。


するとすぐに見えてくるのが、
東京国立近代美術館工芸館。


IMG_1003_RRr.JPG
手前の溝は首都高速都心環状線。


この赤煉瓦造りの一際目を引く建物は、
陸軍の近衛師団司令部として、明治43年(1910年)に建てられた。
(設計は陸軍技師・田村靖)


昭和18年(1943年)に近衛第1師団が新たに編制され、
同師団の司令部となった。


近衛といえば、
第二次世界大戦における重用人物のひとりで、
内閣総理大臣を務めた近衛文麿が思い出される。


最初、近衛師団とは、
その名称から近衛文麿が指揮を執った部隊のことかと思ったが、
そうではなかった。


近衛師団とは、帝都東京防衛と、
天皇及び今の皇居である宮城(きゅうじょう)を警衛する精鋭部隊のことだった。


勉強になりました。


さらに終戦記念日である1945年8月15日、
ポツダム宣言の受け入れに納得できず、敗戦に反対する軍人によって、
この建物内で近衛第1師団長・森赳(もりたけし)が殺害されていた。
(宮城事件)


半藤一利(大宅壮一名義)によって書籍化され、
岡本喜八、原田眞人によって映画化された『日本のいちばん長い日』は、
この宮城事件を題材にしている。


有名な映画だけど未見。
宮城事件を扱った映画だと初めて知った。
(映画大好きだったけど、古い日本映画をあまり見ていない)


そんな歴史的建築物である旧近衛司令部は空襲を免れ、
ほぼ建設当時の姿を留めていることから、
昭和47年(1972年)に重要文化財にしていされ、
国立近代美術館の分館として、1977年11月に工芸館として開館した。


この時は「動物集合」が開催されていた。


IMG_1005_RRr.JPG


建物の横、北の丸公園の敷地内には、立派な銅像があった。


IMG_1007_RRr.JPG


北白川宮能久親王。


読める?


読めないよね。


きたしらかわのみや よしひさ しんのう


幕末から明治時代の軍人で、
近衛師団とも縁のある人物。


解説板によると、とても偉い方だったよう。


IMG_1006_RRr.JPG


没年は1895年。


死後120年以上だが、
銅像の存在によって、どんな人物であったかを知る。


これぞ銅像の役割。


以上が、千鳥ヶ淵に高射砲と旧近衛師団司令部。


今回の収穫は、身近なところに貴重な戦跡が残っていたこと。


そして、今回の疑問は、高射砲台座、
地下壕入口跡に関する解説板がないこと。


台座なんて撤去できる。


地下壕入口跡は、埋めたものの土砂が流れて露出し、
そのまま放置されているだけなんだろうけど、
なんで立入禁止なんだろう?


個人的にはとても謎な一角。


本記事とは全く関係ないが、
千鳥ヶ淵公園にある「自由の群像」という彫刻。


IMG_1015_RRr.JPG


鳩のモヒカン・トリオ。

▼最新記事2017年05月03日up!

辰巳起点散策8 門前仲町

2017年2月11日、所用があり辰巳へ行った。


所用と所用の合間の時間を利用して、門前仲町へ。


丁度、稀勢の里が横綱に昇進した頃だったので、
歴代の横綱の名前が刻まれた横綱力士碑がある富岡八幡宮に立ち寄った。


※参考記事
「辰巳起点散策5 PART2 富岡八幡宮」


横綱力士碑の裏を確認してみたが、
1月23日に横綱になったばかりだからか、
まだ稀勢の里の名はなかった。


IMG_0888_RRr.JPG


さて、時刻は午前11時半。


少し早いが昼ご飯を食べよう。


門前仲町といえば、深川めし。


深川めしは、駅弁でしか食べたことがない。


IMG_9852_RRr.JPG
2016年9月10日名古屋出張の際、新幹線の中で朝飯として食べた。


本場で深川めしが食べたい。


富岡八幡宮の傍に深川めしが食べられるお食事処があったが、
店の外に出ているメニューを見ると2000円弱のお値段。


庶民的な金額じゃないよね。


もっと安く深川めしを食べられるお店はないかと、
永代通りをぶらぶら歩いていると、
深川あさり蒸籠飯を税込980円で提供している門前茶屋という店があった。


さらに入口の扉には「禁煙」という貼紙が。
素晴らし!!!!!!!!!!!!
迷わず入店。


まだ11時40分なのに、ほぼ満席。


入口近くのカウンター席に座り、
深川あさり蒸籠飯を注文。


待っている間、店内を見ると、
デカい換気用の鐘みたいな物体があった。


IMG_0891_RRr.JPG


下には焼き機と座椅子がある。


夜は、焼いたものをしゃもじに載せて、
お客さんに渡す光景が有名な炉端焼の田舎屋みたいになるのかな?


因みに田舎屋、クソ高いです。


待つこと数分で、あさり飯が運ばれてきた。


IMG_0892_RRr.JPG


うまそぉ〜。


箸ですくって口に含む。
味は薄目。
青海苔が良いアクセントになっている。


カウンターに置いてあった深川あさり飯の説明文によると、
深川の漁師が、あさりのみそ汁をご飯にぶっかけて船上で食べていたのが起源。


いつの頃からか、炊き込みご飯となった模様。


門前茶屋では、高音高圧の蒸し器で短時間に一気に蒸すので、
あさりが固くならずに芳醇な味わいが増して、
ご飯とまろやかに一体化するとのこと。


正直、メチャメチャ美味いかと言われるとそうでもないが、
この値段で江戸前の深川めしが頂けるのは、グッドでしょう。


また来たいと思った。
(これ重要)


サックと頂きまして、12時ピッタリに店を出ると長蛇の列。


IMG_0894_RRr.JPG


行列ができるのも納得。


この後、門前仲町のスナック街を抜け、枝川へ。


枝川といえば、都内屈指のコリアン・タウン。


しかも昭和の頃は劣悪な環境に置かれていた。


いまから3年前に枝川へ行ってみた。


「辰巳起点散策3 PART1」


知らなければ、コリアン・タウンであることすら、
意識しないぐらい閑静な住宅がだったんだが、
1つだけバラック小屋が残っていた。


昭和を探求したい身としては、
そのバラックの存続が気になる。


健在だった!


IMG_0896_RRr.JPG


どこもかしこも絶賛再開発の東京において、
この建物は、文化遺産にした方が良いんじゃない?


かつてこの地が、
どのような存在であったかを示す貴重な建造物としてね。


枝川に限らず、2011年の震災に起因する耐震と、
2020年の東京五輪に向けての整備によって、
歴史が埋没してしまうのでは?


そろそろ辰巳に戻ろう。


枝川から三ツ目通りへと向かうと、
見事にトランスフォームした鉄筋が。


IMG_0897_RRr.JPG


どうやら火事の現場のよう。


IMG_0898_RRr.JPG


IMG_0899_RRr.JPG


若干、まだキナ臭い。


調べたら1月6日の早朝に火事があった


工場みたいだし、犠牲者はいなかったのかな…。


死者と言えば、三ツ目通り沿いにある都営辰巳一丁目アパート。


IMG_0900_RRr.JPG


事故物件で有名な大島てるのサイトによると、
辰巳一丁目アパートで孤独死が頻発している。


中にはミイラ状態で発見されることも…。


居住者の殆どが、老人と外国人。


かつてバラック街であった枝川よりも、
辰巳一丁目アパートの方が、時代に取り残されているかも…。


そして、開発の波は、
憩いの場である辰巳の森海浜公園にも押し寄せていた。


オリンピックアクアティクスセンター(仮称)の建設始まった。


IMG_0902_RRr.JPG


この公園の建設場所は、かつて広場だった。


キャッチボールやフライの練習に超最適だった。


2020年、東京オリンピック。


これが決定しなければ、以前のままだったはず。


経済効果がいかほどか知らないけど、
オリンピックによって風景や環境が、破壊されるのは嫌だな。


かつて都市開発を優先して、日本橋の景観を損ねた。


同じ様なことが起こらないといいのだが。




※参考記事:
「辰巳起点散策 PART1」
「辰巳起点散策 PART2」
「辰巳起点散策 PART3」


「辰巳起点散策2 PART1」
「辰巳起点散策2 PART2」
「辰巳起点散策2 PART3」


「辰巳起点散策3 PART1」
「辰巳起点散策3 PART2」
「辰巳起点散策3 PART3」


「辰巳起点散策4」



「辰巳起点散策5 PART1 八幡橋」
「辰巳起点散策5 PART2 富岡八幡宮」
「辰巳起点散策5 PART3 深川不動尊」


「辰巳起点散策6 PART1 東陽町」


「辰巳起点散策7 都営辰巳一丁目アパート」

▼最新記事2017年04月28日up!

「白鳥 白酒 ふたり会 春のお引越し、Wホワイト落語会18」

4月12日、久々に落語を見に行った。


「三遊亭白鳥 桃月庵白酒 
 ふたり会 春のお引越し、Wホワイト落語会18」


会場は、我母校の隣にある成城ホール


開演時間の19時15分までに、
職場のある銀座から成城まで足を運ぶのは、
なかなか難儀ではあるが、
頭から見たいので、仕事をうっちゃる。


日比谷駅から千代田線に乗り、
代々木上原駅から小田急線藤沢行急行に乗り換え。


車内は殺人的な混雑。
身動きひとつ出来ない。


小田急線沿線の方々は、
行きも帰りも通勤ラッシュに堪えているのか?


下北沢駅ではホームにいた人が、
ひとりも乗ることが出来ていなかったぞ。


そんな状況下、成城学園前駅に到着。


IMG_1203_RRr.JPG


在学時代は、小田急線が地上を走る橋上駅だったが、
平成14年(2002年)にプラットホームあが地下化。


随分と変わっちまった。
ってか、前の駅舎や改札がどんなだったかを思い出せない。


そんな成城学園前駅で下車するのは、
2008年に『チームバチスタの栄光』の取材で東宝撮影所へ行った以来か。


しかも東宝撮影所は南口。
母校や成城ホールが北口側に至っては、十数年ぶり!?


ということで、開演までまだ少し時間があったので、
プチ散策。


北口側駅前にあるこのビルは、在学当時にもあったと思う。


IMG_1204_RRr.JPG


花屋があったのをなんとなく覚えている。


花屋の脇の道を祖師ヶ谷大蔵駅方面へ進む。


少し行った先の右側に学習塾SAPIXが。


IMG_1205_RRr.JPG


正確な場所は曖昧なんだけど、
この辺りに成城まっぷという中華料理屋があった。


大学生時代、軽音楽部に所属していたんだけど、
練習が終わった後、よく成城まっぷでバンドメンバーと夕飯を食べた。


店の前には何故か踏切の警報機のレプリカが、
置いてあったと記憶している。


成城まっぷの斜めはす向かいには、
とても小さなCD屋さんがあって、
ギターの弦もバラで売っていた。


練習中に弦が切れて、備えがない時は、
スタジオから走って買いに行ったっけ。


このCD屋では、ピンクフロイドの「対」、
ロクセットの「Crash! Boom! Bang!」を購入した覚えがある。


存続しているはずがないと思っていたが、
やはりCD屋はなかった。


そのまま進むと成城大学の前の通り。


コンビニがある。


IMG_1206_RRr.JPG


ファミリーマットだが、かつてはローソンだったような…。


学生時代、部活の同期と賭けをして、
負けた奴がこのコンビニにでんぐり返しして入店するという愚行に及んだ。


コンビニの隣にはジーンズメイト。


IMG_1209_RRr.JPG


確か前からあったはず。


今や、RIZAPグループの連結子会社。


閉店が相次いでいるようなので、成城店は貴重な存在?


そのまま母校の正門まで行って、撮影。


IMG_1207_RRr.JPG


手前右が図書館。
正面が4号館。
その前が中庭。


文化祭の時、中庭の特設ステージで演奏をした。


正門の前には古めかしい書店。


IMG_1208_RRr.JPG


雰囲気からして、25年前もあったはずなんだが、
あまりこの店の記憶がない。


そろそろ落語の開演時間。


成城大学のお隣、成城ホールへ行かねば。


が、その前にどうしても確認しておきたい店があった。


成城ホールの目と鼻の先の林華苑。


IMG_1211_RRr.JPG


営業し続けていた。


未だに二番目にうまい店。


先述の成城まっぷと並び、
練習後に夕飯を食べに来ることが多々あった店。


当時の値段はよく覚えていないが、
今でもそこそこリーズナブル。


IMG_1212_RRr.JPG


機会があったら、食べたいなぁ。


林華苑の存続に感動しつつ、成城ホールへ。


IMG_1213_RRr.JPG


別名、砧区民会館。


成城大学軽音楽部で、
入部して一番最初に演奏できるステージがここだった。


大学一年生の時、
ビートルズの「Back in the U.S.S.R.」、
レベッカの「76th Star」とか演奏したなぁ。


どっかに録音したテープが残っているはず。


入場すると随分と印象が異なった。
どうやら2009年に改築しているようだ。


かつての光景は皆無。
でも、落語は楽しかった。


定時に三遊亭白鳥と桃月庵白酒が、マイクを持って登壇。


数日前に放送された春風亭一之輔に密着した
NHKの「プロフェッショナル」を話題にして笑いを取る。


「一之輔が番組の中でやっていたことなんて、
 俺たちだってやっているよなぁ?」


てな感じで、若干、貶し気味なんだけど、
そこにはやっかみが滲み出ていた。


白鳥さんは、最近は事前にブログで、
かけるネタを知らせることがあるそう。


今日は、是非やって欲しいというリクエストに応えて、
「皇室ネタ」をやりますと。


慌てる白酒さんや軽くどよめく観客に対して、
白鳥さんは「あくまでも皇室を応援した内容である」ことを強調。


この噺は「隅田川母娘」という噺で、
今から数年前、赤坂御所の真ん前にある会場で聴いたことがある。


強烈な内容だったので、また聴けるのは嬉しい。


とはいえ、センシティブな噺。
そんな話でこの会を〆るのはあまりよろしくないってことで、
トリは白酒さんが務めることに。
(プログラムを見ると、最初から白酒・白鳥・白鳥・白酒の順だったけどね)


一席目、白酒。


人間は勝手に思い込んで、
錯覚してしまうことがあるというマクラから「壺算」。


本来、「一荷入り」と言わなくてはいけない骨董屋のセリフを
「二荷入り」と言ってしまい、
一部の観客が「アッ」っていう反応をしていた。


しかしながら、滑らかにテンポよくまとめており、
一発目にして、掴みはOK。


続いて白鳥。


予告通り「隅田川母娘」。


これからこの噺を初めて聴く方もいると思うので、
内容は話しませんが、
なんとマクラまで数年前に赤坂での会と一緒。


ところどころ爆笑したし、面白かったのですが、
やはり初めて聴いた時のインパクトはなかった。


仲入り後、再び白鳥さんが登場。


師匠である三遊亭円丈の話から自叙伝的な「悲しみは日本海に向けて」。


弟子入りしたばかりの頃、円丈師匠から受けた変な稽古のことや、
前座、二つ目時代の苦労話を面白おかしく語り、かなり笑った。


トリは白酒さん。


白酒さんといえば、酔っぱらい噺が真骨頂なので、
酒にまつわる噺をやって欲しいと期待していたんだが、
なんとまさかの「死神」。


実はあんまり好きな噺じゃないんだけど、
完全に白酒版「死神」になっており、結構楽しめた。


死神が肌の艶やかなデブという設定が良いし、
全体的に軽いトーンで、落語の中でも屈指の怪談噺なのに、
ほとんどコメディだった。


おどろおどろしさ皆無。


IMG_1214_RRr.JPG


19時15分開演で、終演が21時ちょい過ぎ。


冒頭10分ぐらいお喋りがあり、
仲入りも10分。


2人が高座に上がっていた時間は、
合わせて1時間半ぐらい。


軽い噺ばかりだし、時間もコンパクトだったけど、
2人とも調子が良く、
ネタのライトさや時間の短さはあまり気にならなかった。


やっぱり落語は楽しいなぁ。

▼最新記事2017年04月13日up!

#720『映画クレヨンしんちゃん 襲来!!宇宙人シリリ』

IMG_1215_RRr.JPG


『映画クレヨンしんちゃん 襲来!!宇宙人シリリ』
2017年4月15日より全国東宝系にて
配給:東宝
©臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK2017


____________________________________________________________


ある夜、野原家にUFOが墜落する。


UFOに乗っていたのは、宇宙人の子供シリリ。


共に何があったのか理解できず、
野原一家、シリリの双方が怯え、動揺する中、
シリリが放ったビームによって、
ひろしとみさえが子供になってしまった。


元に戻すためにはシリリの父の力が必要。


九州(沖縄?)にシリリの父がいるという情報を得った野原一家とシリリは、
ニッポン横断の旅に出るが…。


劇場版「クレヨンしんちゃん」25周年記念作品。


なんだけど、これといって特別感はない。


20周年記念作なのに『嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス』は、
ここ10年間で最も酷い作品だった。
(興行的にも劇場版「クレしん」史上初の興行収入10億割れとなった)


どうやら、製作陣はアニバーサリーイヤーにあまり興味がないようだ。


四半世紀も続いているんだから、
少しはスペシャル感出せば良いのにと思いつつ、
“どんな時でも等身大でいられる野原一家”を体現しているのかな。


そんな特別感のない『襲来!!宇宙人シリリ』ですが、
映画ならではのアクションシーンがもっとあってもいいと思うし、
スピード感に欠けるところもあったけど、
トータル的にみて出来は良かった。


監督は、橋本昌和。


2012年の増井壮一監督作『嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス』以降、
監督は…、


2013年『バカうまっ!B級グルメサバイバル!!』橋本昌和監督
2014年『ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』高橋渉監督
2015年『オラの引越し物語 サボテン大襲撃』橋本昌和監督
2016年『クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃』高橋渉監督


ってな感じで、完全に交互ですな。


この5年間、一定のクォリティを維持しているので、
引き続きこの体制を貫いて欲しい。


さて、この1年の間に「クレしん」には、
大きな事件が発生した。


アニメ化されてからずっと野原ひろしを演じきた藤原啓治が、
病気療養となり、
代役として森川智之(としゆき)にスイッチしたのである。


実は森川智之が、声をあてた野原ひろしを本作で初めて見た。


野原ひろし=藤原啓治に慣れ親しんだ者として、
藤原啓治以外、野原ひろしは有り得ないと思っていたのですが、
森川さん、ムッチャウマ!


勿論違う声帯なんで、微妙な声質やニュアンスは異なる。


でも、藤原啓治が造り上げてきた野原ひろし像を維持している。


それが凄い。


声でいうとゲスト出演した雨上がり決死隊の宮迫博之も、
素晴らしかった。


事前に情報が無ければ、
宮迫さんが声を当てているってわからないと思う。


知っていても、「これ宮迫さん?」ってぐらい上手い。


セリフの量も多し、ゲスト出演の領域を越えている。


本職の芸人に留まらず、俳優業もこなしてきた。
とても器用な人なんだろうなぁ。


相方の蛍原さんは、謎の男モルダダを演じているが、
セリフも少ないし、まぁ、どうでもいいかな。


もうひとりのゲストは、志田未来。


「クレしん」に出ることが夢だったらしいんだが、
出番が少なくってちょっと可哀想。


完成披露試写会の舞台挨拶で、
野原ひろしみたいな人と結婚して、
しんのすけのような子供が欲しいと言っていたぐらいのファン。


だったら、もう少し重要な役柄を与えても良かったのでは?


で、さらに“声”でいうと、
エンディングで流れた高橋優の『ロードムービー』が心に沁みた。





心に沁みる歌詞を力強く歌う。


特に“もう一人きりじゃない”ってとこがよい。


でもって、YouTubeで高橋優のPVをたくさん見た。


「福笑い」。


歌詞はそのまま記載しませんが、
“国共通語は、英語じゃなくて笑顔”。


おおぉ!!
金子みすゞ的な名言!


高橋優初監督のPV「明日はきっといい日になる」(オモクリ監督版)もいいっすねぇ。





前向きなのが良い。


一方で、ブラッキーな曲もあった。
でも基本は前向き。





もう一本、凄いタイトルの曲がYouTubeにアップされていたんだけど、自主規制。


って、劇場版「クレしん」じゃなくて、高橋優の紹介記事になっちまった。


でも、『クレヨンしんちゃん 襲来!!宇宙人シリリ』をきっかけにして、
高橋優の世界を垣間見ることが出来たのは、デカい。

▼最新記事2017年04月10日up!

明治神宮

1月某日、原宿へ行った。


所用まで時間が少しあった。


そういえば、明治神宮へ参拝したことがない。


行こう。


IMG_0703_RRr.JPG

デカい鳥居は良いねぇ〜。


広いということはなんとなく認識していたが、
参道が思った以上に長い。


IMG_0704_RRr.JPG


そして、中国人が多い。


毎朝、出勤時に皇居の周りを歩いているんだけど、
二重橋付近で中国人の団体を見ない日はない。


明治神宮といい皇居といい、
彼らはこの地が何であるかを理解してやって来ているのだろうか。


まぁ、中国のトップや政治家がギャーギャー言っているだけで、
市井の人々には、あまり反日感情がないのかもしれない。


途中にあった明治神宮の縁起。


IMG_0705_RRr.JPG


よく見ると、神宮の「宮」の上と下の口を繋ぐ「ノ」がない。


正式名称は、「ノ」なしの「宮」。


なぜ「ノ」がないのかは、
明治神宮の公式サイトに載っている。


明治神宮の鎮守の森は、大正4年(1915年)に造成を開始。


元々荒地だったが、全国から木々が奉納され、
約11万人にも及ぶ青年団によって植林され、
広大な森が出来上がった。


明治神宮の拝殿は、大正9年(1920年)に神霊として、
明治天皇と昭憲皇太后が祀られた。


都心とは思えない緑豊かな参道を歩く。


前日、少し深酒した影響で、
どうも腹具合がよろしくない。


トイレはないかと参道を歩いて行くと、
明治神宮文化館の奥にあった。


幸い個室が空いていた。


便器に座ると目の前に注意書き。


IMG_0706_RRr.JPG


育った環境の違いって凄いよなぁ。


でもそれは外国人に限ったことではない。


小学生の頃の正月、鎌倉にある父方の祖父母の家に親戚が集まった。


祖父母の家とても広く、洋式と和式の2つのトイレがあった。
洋式の方のトイレへ行き、ドアを開けたら先客がいた。


親戚のおばさんだった。


そのおばさんは、洋式便器に逆向きに跨っていた。
つまりタンクの方を向いて座っていたのだ。


今でこそ洋式便所は当たり前だったけど、
その頃は和式便所の方が多かった。


きっと親戚のおばさんは、洋式の便器に慣れていなかったのでしょう。


ってか、鍵かけようよう。
と子供心に思ったことを思い出した。


そんな思い出を思い出すとともに、出すモノ出して参道に戻る。


菰樽(こもだる)の山。


IMG_0710_RRr.JPG


明治天皇・皇后への奉納品だ。


菊正宗、月桂冠といったポピュラーなものもあるが、
大半はまるで聞いたことのない酒造の菰樽だった。


奉納された日本酒を全部飲んだら、痛風になっちゃうね。


日本酒の菰樽の対面にもアルコール。


IMG_0711_RRr.JPG


こちらはワイン樽。


明治天皇は、西洋文化を積極的に取り入れた。


食文化においても洋食を食べ、
西洋酒の中ではワインを好まれたそうな。


これらのワイン樽は、
フランス共和国ブルゴーニュ地方のワイナリーから献納されたもの。


参道を進むと再び鳥居。


二の鳥居。


IMG_0713_RRr.JPG


日本で最も大きい木造の明神鳥居。


大正9年に建てられた鳥居と同じ形式・寸法で、
昭和50年に建替えられた二代目。


二の鳥居から参道を歩くこと5分で、
ようやく南神門(みなみしんもん)が見えてきた。


IMG_0716_RRr.JPG


とても綺麗ですが、
2016年に明治神宮鎮座百年記念事業の一環で、修復工事が行われたばかり。


がっ!!!!


この記事を書いている間の2017年4月4日(月)に南神門、二の鳥居など、
境内4カ所の柱に液体をかけられるという事件が発生!


1日に京都市の下鴨神社と奈良県吉野町の金峯山寺(きんぷせんじ)、
3日には沖縄県那覇市の首里城でも液体がかけられた跡が見つかっている。


誰じゃい!!!!!!!


こんなことをして何が楽しいのだろうか?


明治神宮は、4月だと16時50分に閉門となり、
境内へ入ることは出来ないから、
参拝可能時間内にやられたということだ。


目撃者はいないのかな?
監視カメラに犯人は映っていないのかな?


何にしても、憤りを感じる。


話を散策に戻す。


南神門をくぐると拝殿。


IMG_0718_RRr.JPG


大正9年(1920年)に完成し、その後、昭和20年(1945年)4月、空襲で消失。
翌昭和21年(1946年)に仮の拝殿が建設された。


現在の拝殿は、昭和33年(1958年)建立。
(2017年4月20日頃まで、修復工事中)


アメリカ軍は皇居を空襲の標的にしなかったけど、
明治神宮には爆弾を投下した。


この差はなんだ?


なんとなくの個人的見解はあるんだけど、
まぁセンシティブなんで明言は控えよう。


拝殿の前には、大正9年(1920年)に植えられ、
大木に成長した御神木(楠)。


IMG_0719_RRr.JPG


二本の楠が合体して巨大な御神木になっていることから、
夫婦楠として親しまれている。


参拝後、東神門から帰る。


IMG_0721_RRr.JPG


北は拝殿があるから、神門は東西南の三つ。


明治神宮は、初詣の参拝者数日本一を誇る神社。


一体参道のどこら辺りから参拝者の列が出来ているのだろうか?


伊勢神宮、出雲大社に比べると、歴史的に日の浅い明治神宮が、
初詣参拝者数一位なのはなんでだろう?


都心だからか?


そして、今回は時間がなく、すっ飛ばしてしまいましたが、
パワースポットと呼ばれる清正の井など、見所はまだまだありそう。


まぁ、近いし、いつでも行けるんで、いつか行こう。




****************************************
2017年4月13日(木)追記。
本日、明治神宮内の建造物に油のような液体をかけたとして、
女性2名に逮捕状が出された。


2人は中国人。


経済新聞ニュース記事


増上寺、下鴨神社(京都)、首里城(那覇)など、
全国6件の液体被害も、この二人の可能性が高いようだが、
既に出国。


日本の警察は逮捕できないでしょう。


日本人だけでなく多くの海外の観光客が、
敬意を持って訪れる寺社や城に対して、
このような行為をするのは許し難い。


出国前に捕まえて欲しかった。


****************************************


2017年4月27日(木)追記。


先日、東京駅丸の内南口の真ん前にある博物館
「インターメディアテク」(東京大学総合研究博物館)へ行ってきた。


IMG_1276_RRr.JPG


東京都千代田区丸の内2-7-2 KITTE 2・3階


東京大学が、明治10年(1877年)の開学以来蓄積してきた
学術標本や研究資料などを展示している博物館。


入場無料とは思えない程、充実していた。


展示物の中に、第二次世界大戦時、
東京がどれほど焦土と化したかを記した地図があった。


明治神宮の辺りを確認すると拝殿と一の鳥居が、
ピンポイントで焼失となっていた。


昭和20年5月24、25日、
後に「山の手空襲」と呼ばれる空襲があった。


2日間で約1000機のB29が来襲し、
新宿、渋谷一帯に6903トンの焼夷弾を投下、
4000人以上が亡くなった。


多分、この空襲で明治神宮の拝殿と鳥居が焼失したんだと思う。


鎮守の森は、燃えなかったのかな?

月別アーカイブ

プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。

リンク

Powered by
Movable Type