2015年01月31日更新

辰巳起点散策5 PART2 富岡八幡宮

<辰巳起点散策5 散策記一覧>
「辰巳起点散策5 PART1 八幡橋」




「辰巳起点散策5 PART1 八幡橋」からの続き。


日本最古の国産鉄橋である八幡橋から富岡八幡宮へ。


大概、神社はそんなにたくさん人がいることはないのだが、
裏手なのにも関わらず、結構な人がいた。


何事かと思ったら、七五三だった。


毎度のことですが、神社にくると何故か表参道からではなく、
裏から境内に足を踏み入れるんだよねぇ・・・
と思っていたら、早速モニュメントが登場。


超五十連勝力士碑。


IMG_5787_Rr.JPG


元力士の文化人・小島貞二の提案によって1988年に建立されたもので、
大相撲の本場所で50連勝以上を記録した力士を顕彰している。


2010年に63連勝をした横綱白鵬の名は、
この後も連勝記録を更新する可能性があるので、
引退後に刻まれるという。


因みに50連勝以上を記録した横綱は、
白鵬を除くと千代の富士等たったの5人しかいない。


超五十連勝力士碑の奥には、歴代の横綱と
大関・雷電爲右エ門(らいでんためえもん)を讃えた
明治33年(1900年)完成の横綱力士碑。


IMG_5791_Rr.JPG


雷電爲右エ門は、江戸時代に活躍し、
35場所戦って254勝10敗という驚異的な強さを誇った力士。


にも関わらず大関止まり。


なぜ?


推薦を辞退したとか、対戦相手が弱すぎたとか、諸説ありはっきりしない。


横綱力士碑には、その名の通り歴代の横綱の名前が刻まれている。


IMG_5792_Rr.JPG


側面には協賛・中曽根康弘という刻銘が見られる。


今はあまり相撲を見なくなったが、
ガキの頃はそこそこ相撲好きだった。


最も印象に残っているのは、
やはり世代的に第58代横綱・千代の富士。


第59代横綱・隆の里(たかのさと)は、断髪式を両国の升席で見た。


部屋を破門され後にプロレスラー、格闘家に転向した双羽黒(北尾)も忘れがたい。


高田延彦との一戦は、、今でも格闘技ファンの間で語られることが多い。





そんな北尾ですが、実は一度だけ見かけたことがある。


2001年『DENGEKI 電撃』という映画で、
主演のスティーブン・セガールに単独取材した。


セガールは、前日のディナーでチキンを食べた際に、
歯が欠けてしまい不機嫌極まりない状態なうえ、
取材部屋には、セガールの取り巻きと思しき黒服に身を包んだ男たちがおり、
物々しい雰囲気を醸し出していた。


中でも一際長身でガタイの良い男を見た瞬間、固まった。


「き、北尾!?」


間違いなく、あの北尾だった。


「何故ここに北尾がいるのだ?」という疑問が、
頭の中をリフレインし、セガールのインタビューどころではなかった。


一向に盛り上がらないまま終わってしまったセガールへの取材後、
担当者にセガールと北尾の関係を聞いてみたんだけど、
その人もよくわからないと言っていた。


1998年に格闘技界から身を引いた北尾が、
セガールのボディーガードみたいなことをしていたのかは、
未だもって謎です。


話を横綱力士碑に戻そう。


横綱力士碑の裏に回ると、割かし近年の横綱の名が刻まれているが、
武蔵丸はハワイ出身者だし、朝青龍以降は全員モンゴル人・・・。


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頑張ってくれ!日本人力士!


そもそも何で富岡八幡宮に相撲関係のモニュメントがあるかというと、
大相撲発祥の地だから。


江戸時代の相撲興行は関西地区で始まるが、
トラブルが多く一時禁止令が発せられた。


しかし、貞享元年(1684年)に幕府より、
春と秋の2場所の勧進相撲が許された。


その場所が富岡八幡宮の境内だったそうな。


横綱力士碑の向かって右側にある庭園を抜け、
富岡八幡宮の発展に寄与した富岡宮司寿像を見つつ、
本殿へと向かう。


その途中にあった馬神の石像。


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台座に「昭和拾一年八月」というプレートが埋められており、
翌昭和12年に勃発した日中戦争以前の軍馬の慰霊碑ということになる。


よく見ると馬の腹部に左三つ巴の御神紋が、象られている。


これは富岡八幡宮の御神紋らしい。


富岡八幡宮の本殿前は、七五三でかなりの混雑。


IMG_5806_Rr.JPG


富岡八幡宮の由緒ですが、公式サイトから引用。


寛永4年(1627年)、
当時永代島と呼ばれていた現在地に、
御神託(神のお告げ)により創建されました。


周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、
総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。



しかしながら、この記述はかなり端折っている。


2014年5月に富士塚を求めて訪れた江東区南砂7丁目の「富賀岡八幡宮」。


IMGP1689dsaga_R.JPG


※参考記事:「辰巳起点散策2 PART1」


この富賀岡八幡宮は、元八幡とも呼ばれている。


寛永年間(1624年〜1649年)の初めに、
本尊が深川の富岡八幡宮に移されたため、
元にあった方の富賀岡八幡宮を元八幡と称した。


ただ、あくまで伝承であり、
“らしい”の領域を出ていないみたい。


多くの参拝者が訪れ、深川の神社といえばの富岡八幡宮と、
小さくてあまり知られていない富賀岡八幡宮。


縁がある神社にも関わらず、対照的だ。


その差を感じさせるのが、富岡八幡宮のゆるキャラの存在。


yuruyurukayara_Rr.jpg


なんだよこれ・・・。


みこっちだって。
公式サイトを見るに男のゆるキャラもいるようだ。


神社にゆるキャラ必要か!?


「富岡八幡宮」に限らずだけど、
観光地化した神社よりも、地元に寄り添った地味な神社の方が好きだ。


住みたい街1である吉祥寺に鎮座する「武蔵野八幡宮」が、
調子こいてゆるキャラ作ったりしたら、二度と参拝しない。


神社はそういう存在ではないと思う。


詣でるというよりも、人出に圧倒され、
写真を撮るだけに終わってしまった「富岡八幡宮」の本殿を後にし、
境内に設置されていた案内板を見ると、
本殿向かって左奥に浅間神社があるようだ。


ということは、富士塚がある可能性がある。


行ってみると浅間神社の社の裏手に富士塚を発見。


IMG_5813_Rr.JPG


登るとかいうレベルの富士塚ではなかった。


富士塚の規模は、富賀岡八幡宮の圧勝。


そもそも富岡八幡宮は、
元々は享保7〜8年(1722〜23年)に造られた大山信仰の人工山だった。


その後、富士講のブームに乗って、
信仰が大山から富士山へ変わったそうな。


こんなこともあるんですね。


さて、この界隈には、富岡八幡宮と肩を並べるぐらい著名な寺がある。


しかも目と鼻の先。


深川不動尊。
(正式名称は、成田山東京別院深川不動堂)


以降、「辰巳起点散策5 PART3 深川不動尊」へと続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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