「震撼のラスト15分」がウリの『ミスト』。
![]() 『ミスト』 5/10より有楽町スバル座ほか全国にて 配給会社:ブロードメディア・スタジオ (C)2007 The Weinstein Company.All rights reserved. |
確かに最近あまり感じたことのなかった震撼のラストだったよ。、
ぶっちゃけ、嫌いって人もたくさんいると思うんだけど、
なんで、こんなラストでなくてはならないのよっ!って。
以下、【伊藤Pの部屋】#219では触れなかった、
『ミスト』の「震撼のラスト」伊藤P的な解釈です。
しかしながら、『ノーカントリー』の時にも述べましたが、
映画は様々な解釈が可能だし、解釈に正解なんてありません。
違った感想や考えを持つ方も沢山いると思います。
あと、キリスト教が多分に関わっているけど、
伊藤Pはキリスト信者でもないし、詳しいわけでもない。
なので、あくまでも伊藤Pの解釈だという前提でお読み下さい。
また、ネタバレしていますので、読む際はご注意下さい。
『ミスト』を見てから読むことをお薦めいたします。
謎の霧に包まれ、スーパーマーケットに取り残された人々。
(因みに霧の正体は、本編の中で説明されている)
霧の中には数種類のモンスターが蠢き、
スーパーの外に出て行った人たちが次々とモンスターの餌食となる。
恐怖に怯える人々に対して、
これは神の意志であり、怒りだと煽動するカーモディ。
多くに人々がカーモディの信者となり集団ヒスの様を呈し始める。
このままでは危険と判断した主人公デヴィッドは、
息子やデヴィッドに賛同する数名の人々と一緒に、
自分の車に乗ってスーパーを脱出しようとする。
結局、車に乗れたのはデヴィッドと息子、女性、そして老人2人の計5人。
手には拳銃があった。
ガソリンが続く限り車を走らせ、霧が晴れることを期待するが、
願い叶わず、濃霧の中ガス欠となる。
車の外からはモンスターから発せられる奇怪な音が聞こえてくる。
もはやこれまで。
「やれることはやった」という諦めの空気が漂う。
「モンスターに殺されるより、苦しまずに死にたい・・・」
寝ているデヴィッドの息子を除く4人が頷き合う。
拳銃を確認すると残された弾丸は4発。
デヴィッドは、自分は何とかするからと言い、
女性と老人2人の了解を得た後、息子を含め4人を射殺する。
慟哭するデヴィッド。
モンスターと対峙すべく、車から降りるデヴィッド。
奇怪な音が近づき、いよいよ!という時、
突然、霧が晴れ、軍用ヘリが上空を飛び、
戦車と軍用車がデヴィッドの横を通り過ぎていった・・・
愕然とし、崩れ落ちるデヴィッド。
ここで『ミスト』は終わる。
なんという救いの無い映画・・・
女性と老人2人を撃ち殺し、さらに最愛の息子を自らの手で殺めたデヴィッド。
その後の慟哭を見て、心中察するあまり泣きそうになった伊藤P。
なのになんだ!この後味の悪いオチは!!
仕方なかったにしろ、4人を手に掛けたという罪を背負ってデヴィッドは、
この後生き続けなければならない。
余りにも辛いではないか・・・

で、なんでこんなラストなのかというと、先述の通りキリスト教だ。
キリスト教の教えでは、自殺や人が人を裁くことは罪である。
ラスト、息子以外の4人は、死を選んだ。
最終的にデヴィッドが銃を撃ったけど、
死を望んだという点では自殺と変りはない。
そんな自殺への荷担は、神の意思に反するのさ。
あと思い浮かんだのが、アダムとイヴの話。
アダムとイヴは蛇に唆され、
神から「食べてはいけない」と言われていた木の実を食べ、
地上の楽園と言われるエデンの園から追放される。
そして、蛇は永遠に地を這うこととなる。
思うに、デヴィッドたちが取った死という選択は、
禁断の木の実を食べる行為だったのでは?
妻子との幸せな日々を失ったデヴィッドと、
地上の楽園から追放されたアダムは重なる。
失楽園ってやつだ。
あるいは、デヴィッドが蛇の役回りだとしても成立する。
アダムとイヴがエデンの園から追放されたように、
デヴィッドの息子ら4人はこの世から追放され、
デヴィッドも地を這うような苦しみを背負って、
生きていかなくてはならない。
やっぱさー、人間は希望を持って生きなくちゃいけないんだよ。
どんな苦境に立たされても、神を信じ、希望を持って生きなさいよ。
絶望し、自ら命を絶つなんて、それは神の意に反する行為なのよ!
ってな感じで『ミスト』のラストを解釈し、自分の中で消化しました。
何度も言いますけど、宗教には疎いんで、
「違うよ!馬鹿野郎!」ってな突っ込みはしないでおくんなまし。
(自信がないなら書くなよって・・・)
まぁ、キリスト教だなんだって講釈垂れチックだけど、
正直、そこまで奥深い映画かというと、ちょっと疑問だ。
考え過ぎてしまった・・・
PS:
街を包む霧といえば、ジョン・カーペンター大先生の『ザ・フォッグ』がある。
フォッグとミストどう違うんだろう?
調べたら「フォッグ=濃霧」、「ミスト=普通の霧」という感じらしい。







コメント (5)
ブログ読ませて頂いてます。
私も先日この映画を観ました・・・こういった“オチ待ち”の映画は、基本的に原作には触れずに観るのですが、スティーブン・キングが原作ということだったので、少しばかりいやな予感はしていましたが(笑
けれど、映画自体はここ最近の物ではかなり面白い部類に入るのではないかと思います。単に私がSFやモンスターパニック物好きというだけかも知れませんけど・・・・。
特に、スーパーマーケット内での集団ヒステリーの描写は、キリスト教お得意の魔女狩りとか聖書とかコテコテの宗教ネタの筈が、人間の絶望と狂気を美味く織り交ぜてあって、ゾッとしました。
しかしながらオチは・・・ラスト間際の駐車場で、脱出を試みたほかの仲間が皆殺しにされたことと、ボンネットの銃を必死に取ろうとしたところで、「これはましゃか!!」と思ってしまい、しかも予想通り(笑
たまにはこんなカタルシスの崩壊もいいですよね。
投稿者: ロケットマン | 2008年05月23日 09:55
ホントこのミストのラストは衝撃ですね・・・・
私は日本公開日の翌月曜に見たのですが、いまだに引きずってます。
伊藤Pさんのおっしゃることもそうなのですが、なにが辛いかって云えば
スーパーから子供を留守番においてきていて、誰からも強力を得られず
呪いの言葉ををはいて一人霧の中スーパーを出て行ったお母さんが、
ラストの軍用トラックの救助された人々に中に子供共々いて主人公と目を合わせるシーンです。。
主人公の心情を思うとあまりに悲しすぎます。
(映画としてそこまでする必要はあるのでしょうか・・たとえあのお母さんが助かっていたとしてです)
もう・・なんかまだまだ引きずりそうな予感がします・・
投稿者: もくず | 2008年05月26日 20:09
>ロケットマンさん
>もくずさん
コメントありがとうございます。
(ロケットマンさん、遅くなりましてすみません)
『ミスト』はキング原作ですが、あのラスト、原作にはなくて、
フランク・ダラボン監督が考えて、キングに提案して了解を得て撮ったそうです。
こういう信仰から狂気に転じる映画って、キリスト教信者が見たらどう思うんですかね?
熱烈なキリスト教信者限定試写会とかやって、反応を見てみたいですね。
しかし、本当に多くの方々がラストにドォーンとやられていますが、
評価が高い。
これが『ミスト』の凄いところですね。
投稿者: 伊藤P | 2008年05月27日 19:17
ええと、随分経って今更なのですが・・
キリスト教ではなく、ユダヤ教ですね
宗教の種類はあまり重要ではないと思いますが一応^^;
投稿者: mame | 2008年10月31日 08:02
>mameさん
コメントありがとうございます。
アダムとイブは旧約聖書だけども、ユダヤ教とキリスト教の正典ってなってたけどなぁ・・・
自殺・殺人はキリスト教もだめだし、
モーゼの十戒にも「(自分を含め)人を殺してはならない」ってあるな。
キリスト教はユダヤ教の影響を受けているし、
簡単には差別化できないのかな。。。
まぁ、何にしても本当に救いのない映画っすね・・・
デヴィッドなんてなんも悪いことしてないのに・・・
投稿者: 伊藤P | 2008年10月31日 13:35