2009年06月17日更新

三沢光晴

ここ数年間プロレスを見ていない人間が、
プロレスラー三沢光晴さんの死についてコメントする資格はないような気がしたし、
感傷に浸りたくないという思いから、触れないつもりだったのだが・・・


6月13日(土)。
この日は、大学時代に何度となくバンドを組んでいた旧友の結婚式の二次会があった。
その帰宅の途中、やや酩酊状態で中央線に乗っていたら、
元同僚でプロレス好きの女性Yからメールが届いた。


そんなに頻繁にメールのやり取りをする間柄でもなく、
何だろう?と思ってメールを開くと、
“三沢さんのご冥福をお祈りいたします・・・”


「はっ?」


意味が分からないと返信すると、直ぐに三沢さんが亡くなったというメールが届いた。


酔いも吹っ飛ぶ衝撃だった。


丁度、地元の駅に着いたので即行で、Yさんに電話して話を聞いた。


「斎藤彰俊のバックドロップを受けて、そのまま亡くなったみたい・・・・」


あの三沢が!?


川田のパワーボム、小橋の雪崩式バーニングハンマー、
秋山のリストクラッチ式エクスプロイダーといった、
超ウルトラデンジャラスな技を喰らっても平気(平気じゃないか・・・)だった三沢が・・・


Yさんとの電話を切った後、
さっきまで一緒に飲んでいたプロレス好きの大学の先輩や友達たちに連絡を入れた。


何度となくプロレスを見に行った仲なんだけど、
みんな訃報をまだ聞いておらず、絶句。
そして、号泣。


翌日の朝、朝刊の記事を読み、改めて三沢さんの死を悼む。


昨晩、吉祥寺の路上で友達と話し、ひとしきり泣いたし、
三沢さんの関連ニュースに触れると、余計に悲しみが助長されるだけのような気がしたので、
テレビやネットでさらに情報を収集する気にもなれなかった。


しかし、月曜日の夜、日テレの報道番組を見ていたら、
たまたま三沢さんの特集が組まれていた。


流れで見たんだけど、やはりきつかったな・・・


そんな訳で、三沢さんの死については、その後も友人や知人と少し話した程度。
こちらから率先して話すこともしなかった。


そして、今朝、地元の駅に向かう途中にあるコンビに寄って、
三沢さんが表紙の「週刊プロレス」を手に取った。


立ち読み防止用のフィルムがかかっていて、
中身が分からない。
記事の内容も〆切りを考えると13日、14日の出来事が限度。
買うか迷った。
(「週プロ」ってこんなに薄かったっけ?)


結局、買わずに駅前の交差点で信号待ちをしていたら、
チャリンコに乗った人が横に来た。


ふっとチャリのカゴの中を見ると、
そこには「週刊プロレス」が。


チャリンコに乗っている人に目を向けると、
中年のおばちゃんだった。


旦那さんを会社に送り出したあと、
「週プロ」を買うためにチャリンコを飛ばしたのだろうか?


何かの暗示の様な気がして、キオスクで「週プロ」を購入。
「週プロ」を買ったのは何年ぶりだろうか・・・


電車に乗り、「週プロ」を開くと、
三沢さんが亡くなった際の試合の詳細が書かれていた。


担架に乗せられている三沢さんの写真は衝撃的だったし、
リングに倒れている三沢さんの顔色、明らかにおかしい。


数ページ読んだが、涙がこみ上げてきた。


朝の通勤電車で、35歳のおっさんが「週プロ」読みながら、
涙ぐんでいる。


全国の電車の中で同じ様な光景が見られたと思うんだけど、
流石に涙をこぼすのは恥ずかしく、
三沢さんの記事を飛ばし、他の団体の試合リポートを読んだりして凌いだ。


それでも、見に行ったり、テレビで見た三沢さんの試合が、
次々と思い出された。


一番印象に残っている試合は何だろう・・・


実際に観戦した試合では、
1998年10月31日@日本武道館
43分に及ぶ激闘だった小橋建太との三冠ヘビー級選手権試合かな。


全日本プロレス初の東京ドーム大会で、
ジャイアント馬場さんが「自信を持って東京ドームのメインとして提供できるカード」と言った
1998年5月1日@東京ドームの川田利明戦も印象深い。


宿命のライバルだった川田が勝ち、
「プロレス人生で一番幸せです、今が」というマイクアピールをした。


テレビで見たのでは、
1999年1月24日@大阪府立体育会館のやはり川田利明戦。
川田が仕掛けたパワーボムのクラッチが外れ、
三沢さんが首から垂直に落っことされるというデンジャーな試合だった。
試合は川田が勝ったが、パワーボムで三沢さんを持ち上げた際に腕を骨折してしまった。


結構、ノアも見に行ったんだけど、
全日時代の試合ばかりが印象に残っているんだなぁ・・・


そして、最後に観戦した三沢さんの試合は、またまた川田利明。
ノアと全日に袂を分かった後、2人が初めて戦った2005年7月18日@東京ドーム。


正直、セミファイナルの小橋建太VS佐々木健介に喰われたうえ、
しまりのないダラッとした試合だった。


その後の三沢さんの試合ぶりは、
あまり知らないけど満身創痍の状態だったという話はチラチラと耳にした。


三沢さんの体調が万全でないのは、ずっとだけどね・・・


選手と社長業の兼任。
地上波テレビ放送の終了。
レスラーのライセンス制度の調整。


かなりの重責を抱えていたのでしょう・・・


本当に残念です。


そして、一番、嫌なのは三沢さんの死によって、
プロレスに厳しい目が向けられてしまうこと。


確かにプロレスは危険だ。


でも、プロレスラーたちはその危険を承知の上で、
己のプライドのため、観客を喜ばせるためにリングに立つ。


実際に、何度も何度も勇気と感動を与えてくれた。


プロレスの試合会場で何度となく、泣いたよ。


ボクシングだってボクサーが何人も死んでいるし、
マラソンは最も致死率が高いスポーツだ。


見た目が派手な分、プロレスが矢面に立ちやすいだけ。


そうはいっても、三沢さんが試合中に亡くなったのは事実。


遺されたノアの選手やスタッフは、
選手の健康管理や安全性を尊重しながら、
三沢さんの遺志を継いで、ノアを、そしてプロレスを発展させて下さい。


それから、斎藤彰俊選手。
つらいと思いますが、ファンのみんなは理解しています。
頑張ってください。


そして、三沢さん。


ありがとうございました。


三沢さんのエロトークも大好きでした。


馬場さんや鶴田さんにエロトークをかましつつ、
天国から三沢さんの仲間たちが繰り広げる試合をのんびりと観戦して下さい。


<追記>
6月18日(木)のyahoo!ニュースで、斎藤彰俊選手やその家族に嫌がらせを受けていることを知った。
記事はこちら


危惧したことが・・・


プロレスに興味がない人は、こんなことしないだろうから、
嫌がらせをしているのは一部のプロレスファン、三沢さんのファンなのでしょう。


でもこんな愚行に至る奴らはファンとは言えないよ。


たまたま斎藤彰俊選手だっただけだ。
斎藤彰俊選手もある意味、被害者。


一方で、自民党の文部科学部会・文教制度調査会の合同会議に、
ノア、新日、全日の代表者たちが招かれ、
再発防止へ向け、統一コミッションを兼ねた「プロレス協会」の設立について意見が交わされ、
年内設立を目指す方向性となった。


三沢さんは生前、プロレス業界に統一協会が必要であると強く訴えていたわけだから、
是非とも実現させ、今後のプロレスの発展に繋がって欲しい。

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コメント (2)

まさふみ なかむら:

三沢さんの亡くなった訳が、さっきテレビで見たノアの試合、インタビューで判った気がした。
私も過去、社長業をしており解かるのですが、スター選手が具合悪い、出ないということになると、社長が、休めなくてもやらざるを得ない。
当然といえば当然だが、残されて怪我をして出れない社員が、インタビューで偉そうなことを言い、外部団体に営業をまかせ、残った社員に相手をさせる…三沢さんは、それを嫌ったはずではなかったのでは?
怪我をしているのですから大変だと思いますが、三沢社長は、それも含めて、我慢してリングに上がっていたのではないのでしょうか?
内部の方が怪我で休みで平気で、外部の人間を倒そう!と言っていても、私には、何も感じられるものは無かった。
本当に非常に悲しかった。

伊藤P:

>なかむらさん

コメントありがとうございます。激務だったのでしょうね。団体乱立で、この時代。今思えば相当の負荷がかかっていたということは容易に想像できますよね。
抱えるものが多くなるとその分、何かを蔑ろにせざる終えない。
三沢さんの場合は自分の体を犠牲にしたいたのでしょうか?

諸事情によりディファ有明で行われたお別れ会にも行けなかったし、
日テレで放送された追悼番組はあえて見ませんでした。

本文中にあるプロレス仲間から9月に開催される追悼大会も誘われたけど、
断ってしまった。

その後、三沢さんとちょっと距離を置いている今日この頃です。
映像とか見ると絶対に泣くし・・・

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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