2012年08月18日更新

称名寺

早いもので8月も半ばを過ぎました。
今回は夏の思い出をひとつ綴ってみたいと思います。


8月初旬の平日、私的な所用があり半休を取って、京浜急行沿線の金沢文庫に行くことに。
吉祥寺駅から中央線で新宿駅まで出て、そこから山手線で品川駅に向かい京急に乗車。


最近、駅名の由来に凝っている旨の記事を上げたが、
金沢文庫駅も以前から変わった駅名だと思っていた。


そういや、金沢文子ってAV女優いたなぁ〜なんて感慨に耽りつつ、
早速、金沢文庫に行く京急の車中、iPhoneで金沢文庫という名の由来を調べみたら、
意外や意外、歴史ある地名だと知る。
(日本史に詳しい人なら常識なのでしょうが、わし、世界史専攻だったんで・・・)


鎌倉時代中期の武将である北条実時(金沢北条氏の初代)が、政務を退いた後、
蔵書を集めて今でいう図書館である書庫をこの地に創設したことに由来するという。


さらに調べたら、その書庫は当時の建造物は現存してはいないが、
再建され神奈川県立金沢文庫として未だに残っているではないか。


その神奈川県立金沢文庫新館は、金沢北条氏の菩提寺である称名寺にある。
称名寺を紹介しているサイトを見ると、美しい庭園がある他、
創立者の北条実時のお墓もあるようだ。


昔は寺なんて興味がなかったんだが、
昨年の盟友佐藤アサトとの鎌倉ディープツアー以降、
少し日本史に関する書籍を読んだりしていたというのもあって、
称名寺に行ってみたい願望が猛烈に膨れ上がった。


金沢文庫駅には、朝の10時半過ぎに到着。
行くべき所は、駅から徒歩10分ぐらいの泥亀二丁目交差点の近辺にある某所で、
用事は思いのほか早く終わった。
時計を見ると11時ちょっと前。


iPhoneのマップで確認すると、現在地から称名寺までさほど遠くない。
歩いていける距離だが、銀座にある会社には14時までに出社しなくてはならい。


真夏の日中。
どピーカンで、屋外に立っているだけで汗が滴り落ちるよう天候だったが、
“いける!”と踏んで、称名寺へと足を向けた。


泥亀から徒歩10〜15分ぐらいで、称名寺の赤門に到着。


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赤門をくぐり石畳の参道を進むと右手に光明院という藁葺屋根の素敵な子院があった。


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その先には威厳のある仁王門が立ちはだかる。


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仁王門の左右にはそれぞれ鎌倉時代の大仏師院興作の躍動感溢れる仁王像が。
なんでも関東最大の大きさの仁王像だそうで、かなりの迫力。


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多くの古刹がそうであるように、この仁王門も精密な龍の絵が彫られている。


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仁王門を抜けると庭園になっており、まず美しいアーチの橋が迎えてくれる。


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そのアーチの向かって右横には忠魂碑と書かれた石碑が。
戦争に行って亡くなった方々を供養するために建てられたものらしい。


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橋を渡ると正面に平橋、その奥に金堂の雄姿が視界に飛び込んでくる。


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橋のかかった池で、亀や鯉が気持ち良さそうに泳いでいた。
この時点で、我は汗まみれであり、涼しげな亀や鯉が羨ましい。


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金堂は瓦屋根の立派な建物で、向かって右隣りには藁葺屋根の釈迦堂が建っている。
この瓦と藁のコントラストが美しい。


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金堂と釈迦堂のはす向かいには鐘楼がある。


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庭園はそこそこの広さで、池の左側は少し小高くなっており、
芝の広場になっている。


その広場の左奥に、北条実時の銅像が。


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なんだかちょっと痩せたTKOの木下に見えなくもないが、
称名寺及び金沢文庫を建てた方だ。


北条実時の銅像のすぐ右手にはトンネルがある。


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このトンネルを抜けると神奈川県立金沢文庫に辿り着く。
生憎、この日は休館日だった。


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そして、“穴”好きの小生を感動させたのは、
このトンネルの右横にある中世の隧道。


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安全第一のバリケードが、景観をかなりそこねているが、
その隧道は、昨年佐藤アサトと訪れた鎌倉の釈迦堂切通しのプチ版のようだ。


規模は小さいが、鎌倉時代に掘られた隧道というだけで、
ロマンを感じるし、穴を縁取る切崖がたまりません。


あまりの美しさに感動しまくった。


反対側(金沢文庫側)から見た中世の隧道


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で、たまたま偶然なんだが、この日読んでいた本が、
司馬遼太郎の「三浦半島記」。
源頼朝による鎌倉幕府の成り立ちや、
その後の北条氏の執権政治、幕末、明治、そして、太平洋戦争など、
三浦半島が関わった史実を綴った紀行文だ。


文庫版の表紙が、昨年、佐藤アサト訪れた釈迦堂切通しだったので、
司馬遼太郎は読んだことがなかったが、
ジャケ買いならぬ表紙買いをしてしまった一冊。


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そして、後日、本書を読み進めたら、
称名寺が登場し、この隧道に言及していた。


鎌倉は火災が多く、北条実時の家も2度焼失し、多くの書物が灰になった。
火災から逃れるため金沢文庫を作ったわけなんだが、
実時はさらに用心深く、自らの住まいであった称名寺が火事になっても書に及ばぬよう、
金沢文庫を小山を隔てた先に建設した。


中世の隧道は、称名寺と金沢文庫を結ぶための通用路だったのだ。


この事実を司馬遼太郎から学び、相当、唸った。


さらに本書では、先述の泥亀の地名の由来にも触れているうえ、
鎌倉の七つの切通しのうち、朝比奈切通しが、ここ金沢文庫に通じているという。


朝比奈切通しを鎌倉幕府が作った理由も含め、もう目から鱗。


本を読んで行ってみたいと思いを馳せることは多いが、
行った後にその地にまつわる事実を知るのはまた格別だ。


中世の隧道の右側には階段があり、
駆け上がると金網に覆われた謎の穴が。


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板が穴を塞いでおり、その奥を窺い知ることは出来なかったが、
なんの穴なんだろう・・・。


この穴を左手に見て正面にあるのが、北条顕時(あきとき)と北条貞顕(さだあき)の墓。


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顕時は実時の子供で、鎌倉幕府の役人だった。


貞顕は、顕時の子で六波羅探題(京の警備・朝廷の監視・軍事行動役)を経て、
第15代執権となった人物。


貞顕は鎌倉幕府の終焉となった新田義貞の鎌倉攻めで、
北条高時を筆頭とした北条一族と共に散った。


その最期の地は、昨年、佐藤アサトと訪れた鎌倉の腹切りやぐらだ。
歴史は繋がる。


さらにこれまた後で知ったんだが、そもそも北条氏がこの金沢地区の領主となったのは、
二代執権北条義時が、政権を把握するために邪魔者となった和田義盛を倒して得た地。


和田義盛は、三浦半島の名の由来ともなる三浦氏一族の流れを汲む武将で、
源頼朝が鎌倉幕府を開く際に貢献した人物。


昨年の鎌倉ディープツアーの記事でも触れたが、
小生の亡父の実家があったのが和田塚駅。
和田一族の塚が近くにある。


また繋がった。


さらに調べたら、鎌倉ディープツアーで訪れたマニアックな寺、海蔵寺とも縁があった。


本ブログで綴った海蔵寺の下りで、海蔵寺脇にある「底脱(そこぬけ)ノ井」について触れている。
その井戸の名の由来については割愛しているが、なんとこの井戸、
北条実時の息子である顕時の奥さんが関係していた。


詳しくは長いので割愛するが(またかい!!)、
昨年、海蔵寺はたまたま行っただけなんで、さらなる繋がりに一人で興奮した。


思わぬ縁を感じさせるこの北条顕時と貞顕の墓の向かって右側に階段があった。
金堂の手間にあった称名寺の案内板には、階段の上に石仏群があると記されていた。


その案内板によると、石仏群を抜け、ぐるっと迂回すると実時の墓に通じている。


このルートで、石仏群を見つつ、実時の墓に行こうと思ったが、
階段の入り口に手書きの案内板が・・・。


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でた!通行止め!!


震災の影響か?


とはいえ、石仏群だけでも見たいと思い、かなり急勾配な階段を登る。
もう汗だくです・・・。


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一番下から目視できた階段を登りきると、また階段が・・・。


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さらに階段には蜘蛛の巣という難所がところどころに・・・。
何度も蜘蛛の巣に引っかかった。


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正直、萎えそうになったが、頑張ったぞ。
遂に石仏群を拝めた。


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<br>
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この石仏群は百観音というらしいんだが、
このすぐそばに嶋村朝義、たまひの墓があった。


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なんの解説もなく、後でネットで調べたがヒットしなかった。


嶋村一族の横には鼻の部分が欠けているが、
なんだか和やかな気分になれる母子の石造があった。


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道はなおも続き、この先には八角堂という見晴のよい広場があるようだったが、
この時点で11時半を回っていた。
北条実時のお墓にもお参りしたいので、出社時間を考え断念。


実時のお墓は案内板によると庭園の外にあるようなので、
今来た階段を下り、金堂、釈迦堂を左手に見ながら通り過ぎ、
一旦庭園外へ。


手元に地図がないので、道なりに進むとどんどんと道が狭まっていく。
遂には道なき道となってしまった・・・。


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本当にこの道で良いのか?
と疑問に思いながら草をかき分けて進んでいくと、
左前方の小高い丘に石碑群が!


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なんだ、意外と近いじゃない!と思い、草がおおい茂る丘に登ると、
なにやら心中穏やかじゃない看板が・・・。


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さらに石碑をよく見てみると称名寺歴代墓所であり、
どうやら北条実時の墓ではないようだ。


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こんなに近いわけないよね〜なんて思いながら、
来た道を戻っていると、行きは草が気になり下を見ながら歩いていて気付かなかったが、
切崖部分に大きな穴が開いていた。


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魅惑の“穴”である。


しかし、穴までは道なんてなく、草がボウボウ。
しかも日差しを遮るものなどなにもなく、直射日光をガンガンに浴びている身としては、
草をかいくぐって穴の近くに行く気力なんぞない。
着ていたポロシャツの胸の部分には汗が滲んでいた。


時計を見ると12時ちょっと前。
金沢文庫駅から会社の最寄駅である有楽町駅までは、
1時間弱なので、遅くとも13時には金沢文庫駅を出なくてはならない。
腹も減ったので昼飯も食わんとならん。


時間がない!!
実時の墓へと通ずる道はどこだ!!!


このまま発見できなかったら、無念だが引き上げようと思いながら、
再び庭園の方へと引き返すと、左手になにやら道らしきものを発見!


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その道を進むと先の階段にあった案内板と同様のものが掲示されていた。


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この道で間違いない!!!


とういうことで爆進!!


しかし、初めての道というのは心理的に辛い。
一体、いつ辿り着くのか・・・。


しかも今回は蜘蛛の巣はもちろん、
蜂のほか得体の知れない昆虫がぶんぶんと飛び交い行く手を阻む。


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庭園内にはチラホラと観光客がいたが、
この山道近辺には人っ子一人いない。


今、この場所に自分がいることは、家族や親戚、知り合いはもちろんのこと、
赤の他人でさえ誰も知らない。


コケて骨折して動けなくなったらどうしよう・・・。
コケた際にiPhoneが壊れてしまったらどうしよう・・・。
スズメバチに刺されたらどうしよう・・・。


次から次へとの負の妄想が頭をよぎる。


ところが、突き進むこと5分足らずで、坂の上に実時のお墓と思しきものを発見。
よ、よかった・・・。


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坂を登るとそこは間違いなく実時のお墓でした。


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墓石がいくつかあってどれが実時のお墓なのかよく分からんかったが、
とりあえず合掌。


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実時のお墓から八角堂へと通ずる道は、しっかり通行止めになっていました。
鎌倉の切通し急にワイルドな道を彷彿させる。


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ちょっと通行止めの先に行ってみたい気もしたが、時間がない。
実時のお墓に辿り着くことができたので、それでよしとして庭園へと戻る。
途中の平地の光景はなんだが沖縄みたいだ。


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空を見上げると近代的なものは、何もなく気持ちがいい。


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でも!汗ダクダク・・・。


俺、相当汗臭いぞぉ〜!


庭園に戻り、別のアングルから写真を撮る。


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う〜ん、やっぱり美しい!


帰りがけ、仁王門の脇にある案内所で、
称名寺のパンフレットみたいなものはないかとおじさんに聞いてみたら、
「金沢文庫にはあるが、ここにはない」と言われた。


残念がっていると、「ちょっと待って」とおじさんが案内所の棚をごそごそと漁り、
「称名寺・金沢文庫マップ」を見つけて、進呈してくれた。


ありがとう!!!
称名寺自体、見どころ満載のうえ、冒険心をくすぐられる場所で、
超大満足だったんだが、おじさんのこの優しさでさらにポイントアップでした!


いや〜、称名寺、面白かった!


称名寺を後にし、途中、参道の自動販売機で数十年ぶりにマウンテンデューを購入し、
汗で喪失した水分を補給しながら金沢文庫駅へと戻った。
因みにマウンテンデューは、わしがガキだったころ、鎌倉の祖父母がよく買ってくれた思い出がある。


結局、金沢文庫駅に辿り着いたのは12時半。
出社時間までに1時間半もある。
駅近辺で何か食べようかとも思ったが、飲食店が少ないうえ、時間帯が悪くどの店も混んでいた。


となれば、品川に行こう!
京急とJRの切り替えポイントである品川駅で下車し、
品達ラーメンにある旭川ラーメン「さいじょう」で塩ラーメンを食べてから、出社。
会社に到着したのは14時ジャストでした。


その日、たぶん、相当悪臭をまき散らしていたと思う・・・。
同僚のみなさん、ご迷惑をお掛けいたしました・・・。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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