「品川 PART2 品川神社」からの続き。
「品川神社」を後にし、「東海寺」に向かっていると、
佐藤アサトが、「『東海寺』の裏手にスゲェーごつい墓がたくさんあるんですよ」と言う。
先程のカメよりは有益な情報だ。
佐藤アサトは、誰のお墓なのかは知らないという。
もしかしたら「東海寺」の境内にある墓かもしれない。
そうすれば、誰の墓か判明する可能性もある。
山手通りから目黒川沿いの道へと入ると、
確かに風格があり、間違いなく古い墓石が見えた。
ここからも入れそうな感じがするが、
流石に人様の敷地内に無断で足を踏み入れるのは気が引ける。
東海寺のものと思われる長い塀沿いを歩き、
右折すると東海寺の入口があったんだけど、山門もなく裏口という趣。
砂利が敷き詰められた境内に入ると、
まず目につくのが鐘楼(奥が本堂)。
この梵鐘については、由緒書きに譲ります。
鐘楼を越えると左手に山門があるにはあったが、門扉は閉ざされていた。
改築中?
位置的に本堂の裏側が、先ほどの墓石群にあたるので、
奥に進むと、なんと「檀家以外立入禁止」の文字が・・・。
もちろん、二人とも檀家じゃない。
周りに人はいない。
入っても誰にもばれないんじゃないか?
そんな思いがちょっとよぎりはしたが、
神聖なるお寺の敷地内で、ルールを守らないのはよろしくない。
仕方なく「東海寺」を出て、元来た道を戻った。
途中、先ほどの墓石群の裏手にマンションの駐車場があったので、
入ってみると、明らかに時代を感じる威風堂々とした墓石が。
墓石は時代が近代に近づくにつれ、小型化してきたので、
このような巨大で、丸い石が施されている墓(宝塔)は、古いものが多い。
中には笠の部分が破損している墓もあり、相当古そうだ。
さらにこれだけ大きいし、巨大な宝塔が多数見受けられるので、
歴史上の有力者である可能性が高い。
本来はネットの力を借りずに、由緒書きとかから知識を得たいところですが、
なにもないのだから仕方がない。
よって墓地好きでもある佐藤アサトが、スマフォを駆使してリサーチ。
結果、「熊本藩主細川家墓所」だった。
細川氏は鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた一族で、
源頼朝らを輩出した清和源氏の足利氏の流れを汲んでいる。
江戸時代は熊本藩主を務め、
1993年に内閣総理大臣となった細川護熙は、その末裔。
やはり名家。
後ろ側からしか拝めないのが残念な「熊本藩主細川家墓所」を後にし、
次に向かったのが、「泉岳寺」。
以降、「品川 PART4 泉岳寺」へと続く。