2013年07月21日更新

品川 PART3 東海寺

「品川 PART2 品川神社」からの続き。


「品川神社」を後にし、「東海寺」に向かっていると、
佐藤アサトが、「『東海寺』の裏手にスゲェーごつい墓がたくさんあるんですよ」と言う。
先程のカメよりは有益な情報だ。


佐藤アサトは、誰のお墓なのかは知らないという。


もしかしたら「東海寺」の境内にある墓かもしれない。
そうすれば、誰の墓か判明する可能性もある。


山手通りから目黒川沿いの道へと入ると、
確かに風格があり、間違いなく古い墓石が見えた。


IMGP4876_R.JPG


ここからも入れそうな感じがするが、
流石に人様の敷地内に無断で足を踏み入れるのは気が引ける。


東海寺のものと思われる長い塀沿いを歩き、
右折すると東海寺の入口があったんだけど、山門もなく裏口という趣。


砂利が敷き詰められた境内に入ると、
まず目につくのが鐘楼(奥が本堂)。


IMGP4869_R.JPG


この梵鐘については、由緒書きに譲ります。


toukazi_R.jpg


鐘楼を越えると左手に山門があるにはあったが、門扉は閉ざされていた。
改築中?


IMGP4875_R.JPG


位置的に本堂の裏側が、先ほどの墓石群にあたるので、
奥に進むと、なんと「檀家以外立入禁止」の文字が・・・。


IMGP4874_R.JPG


もちろん、二人とも檀家じゃない。
周りに人はいない。
入っても誰にもばれないんじゃないか?


そんな思いがちょっとよぎりはしたが、
神聖なるお寺の敷地内で、ルールを守らないのはよろしくない。


仕方なく「東海寺」を出て、元来た道を戻った。


途中、先ほどの墓石群の裏手にマンションの駐車場があったので、
入ってみると、明らかに時代を感じる威風堂々とした墓石が。


IMGP4880_R.JPG


墓石は時代が近代に近づくにつれ、小型化してきたので、
このような巨大で、丸い石が施されている墓(宝塔)は、古いものが多い。


中には笠の部分が破損している墓もあり、相当古そうだ。


さらにこれだけ大きいし、巨大な宝塔が多数見受けられるので、
歴史上の有力者である可能性が高い。


IMGP4883_R.JPG


本来はネットの力を借りずに、由緒書きとかから知識を得たいところですが、
なにもないのだから仕方がない。


よって墓地好きでもある佐藤アサトが、スマフォを駆使してリサーチ。


結果、「熊本藩主細川家墓所」だった。


細川氏は鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた一族で、
源頼朝らを輩出した清和源氏の足利氏の流れを汲んでいる。


江戸時代は熊本藩主を務め、
1993年に内閣総理大臣となった細川護熙は、その末裔。


やはり名家。


後ろ側からしか拝めないのが残念な「熊本藩主細川家墓所」を後にし、
次に向かったのが、「泉岳寺」。


以降、「品川 PART4 泉岳寺」へと続く。

前の記事: 品川PART2 品川神社
次の記事: 品川 PART4 泉岳寺

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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