2017年05月29日更新

千鳥ヶ淵高射機関砲台座跡&旧近衛師団司令部

先日、関東地方にある戦跡を調べていたら、
千鳥ヶ淵に高射砲の台座が残っているという情報を得た。


2016年10月以降、晴れた日は出勤の際、四ツ谷駅で下車し、
銀座にあるオフィスまで歩くようにしている。


新宿通りを半蔵門方面に歩き、
皇居を竹橋側からぐるっと回り、
日比谷公園を経てみゆき通りへ至るという約6キロのルート。


千鳥ヶ淵も通るのだが、戦跡があるなんて思いもよらなかった。


IMG_1199_RRr.JPG
今年の春、満開時に撮影


ということで、朝、いつもより少し早く家を出て、
高射砲台座を見学しにいくことにした。


千鳥ヶ淵の交差点から代官町通りに入ると、
道路の左側が小高い土手になっている。


IMG_0995_RRr.JPG


階段を登ると広場に出るんだが、
そこに高射砲の台座があった。


IMG_0996_RRr.JPG


全部で7基残っているこの戦跡の正式名称は、
九八式高射機関砲の台座。


皇居と近辺を空襲から守るため、1944(昭和19)年に設置されたという。


「九八式高射機関砲」で画像検索するとたくさん写真が出てくる。


上部は化粧板で蓋がされていて確認できないけど、
中心部分に軸受があり、360度回転しながら射撃が可能だったそうな。


IMG_0997_RRr.JPG


休日や昼時には、何も知らずに台座をベンチやテーブル代わりにして、
お弁当を広げる人もいそうだ。


なんて思っていたら、
4月1日に放送された「出没!アド街ック天国 〜千鳥ヶ淵〜」でも、
この台座が紹介されていて、
まさに女性が腰かけてご飯を食べるという演出がなされていた。


戦時中、実際に飛来したB29に対して使用されたそうだが、
弾は届かず全く効果がなかったそうな。


日本軍は、戦況が悪化するにつれ付け焼刃的なことをしてきたが、
この千鳥ヶ淵の高射機関砲もその一例だったのかもしれない。


IMG_0998_RRr.JPG


高射機関砲台のある広場から竹橋方面へ進む。


IMG_0999_RRr.JPG


なんだかピクニック気分に浸りそうになるが、
今は通勤途中だ。


土手からは首都高速都心環状線が見える。


IMG_1001_RRr.JPG
水面スレスレ。ゲリラ豪雨で増水→浸水被害とかないのかな?


写真に写っている木々の辺りには、
千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。


第二次世界大戦の戦没者の遺骨のうち、
遺族に引き渡すことができなかった遺骨が安置されている。


きちんと参拝したことがないので、今度行ってみよう。


上の写真を撮影して、
再び歩き出すと何故か立ち入り禁止のロープが張られていた。


この時は、除草作業中なのかなぁ〜なんて思っていたんだが、
本記事を書くにあたり、いろいろなサイトを見ていたら、
「帝都を歩く」というサイトにこの立ち入り禁止区域が、
近衛機関砲第一大隊の地下壕があった場所だと記されていた。


この日は、そんな情報を知らなかったから、
完全にスルー。


後日、確認をしに行った。


立ち入り禁止が解除されているかもしれない
という淡い期待を抱いていたんだが、
残念ながら状況は変わらなかった。


IMG_1344_RRr.JPG


立ち入り禁止のロープの右側に階段があり、
降りると土手の側面の土がえぐれて、
コンクリートが剥き出しになっている。


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ここが近衛機関砲第一大隊の地下壕入口跡。


地下壕に隠れながら、砲撃を行ったという。


「帝都を歩く」の管理人さんは、
どうやってここが地下壕入口跡で、
隊員たちが身を隠しながら機関砲を発射していた
という情報を得たんだろうか。


別のサイトでは、地下壕の通気口跡を紹介していた。


その通気口跡は、モロに立ち入り禁止内だったので、
遠目からしか見ることが出来なかった。


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コンクリの天部の少しこんもりした部分が通気口跡。


これも言われなければわからん。


近衛機関砲第一大隊の地下壕入口跡を後にし、
代官町通りを竹橋方面へ進む。


するとすぐに見えてくるのが、
東京国立近代美術館工芸館。


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手前の溝は首都高速都心環状線。


この赤煉瓦造りの一際目を引く建物は、
陸軍の近衛師団司令部として、明治43年(1910年)に建てられた。
(設計は陸軍技師・田村靖)


昭和18年(1943年)に近衛第1師団が新たに編制され、
同師団の司令部となった。


近衛といえば、
第二次世界大戦における重用人物のひとりで、
内閣総理大臣を務めた近衛文麿が思い出される。


最初、近衛師団とは、
その名称から近衛文麿が指揮を執った部隊のことかと思ったが、
そうではなかった。


近衛師団とは、帝都東京防衛と、
天皇及び今の皇居である宮城(きゅうじょう)を警衛する精鋭部隊のことだった。


勉強になりました。


さらに終戦記念日である1945年8月15日、
ポツダム宣言の受け入れに納得できず、敗戦に反対する軍人によって、
この建物内で近衛第1師団長・森赳(もりたけし)が殺害されていた。
(宮城事件)


半藤一利(大宅壮一名義)によって書籍化され、
岡本喜八、原田眞人によって映画化された『日本のいちばん長い日』は、
この宮城事件を題材にしている。


有名な映画だけど未見。
宮城事件を扱った映画だと初めて知った。
(映画大好きだったけど、古い日本映画をあまり見ていない)


そんな歴史的建築物である旧近衛司令部は空襲を免れ、
ほぼ建設当時の姿を留めていることから、
昭和47年(1972年)に重要文化財にしていされ、
国立近代美術館の分館として、1977年11月に工芸館として開館した。


この時は「動物集合」が開催されていた。


IMG_1005_RRr.JPG


建物の横、北の丸公園の敷地内には、立派な銅像があった。


IMG_1007_RRr.JPG


北白川宮能久親王。


読める?


読めないよね。


きたしらかわのみや よしひさ しんのう


幕末から明治時代の軍人で、
近衛師団とも縁のある人物。


解説板によると、とても偉い方だったよう。


IMG_1006_RRr.JPG


没年は1895年。


死後120年以上だが、
銅像の存在によって、どんな人物であったかを知る。


これぞ銅像の役割。


以上が、千鳥ヶ淵に高射砲と旧近衛師団司令部。


今回の収穫は、身近なところに貴重な戦跡が残っていたこと。


そして、今回の疑問は、高射砲台座、
地下壕入口跡に関する解説板がないこと。


台座なんて撤去できる。


地下壕入口跡は、埋めたものの土砂が流れて露出し、
そのまま放置されているだけなんだろうけど、
なんで立入禁止なんだろう?


個人的にはとても謎な一角。


本記事とは全く関係ないが、
千鳥ヶ淵公園にある「自由の群像」という彫刻。


IMG_1015_RRr.JPG


鳩のモヒカン・トリオ。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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