2018年07月25日更新

六浦〜田浦〜鎌倉 Part1 序章

父がこの世を去ったのは、2006年12月のこと。
享年62歳。


死因は腎盂がん。
肝臓に転移しており、死んだ年の4月にがんであることが判明した時点で、
既に末期がん。


病院で担当医師から余命いくばくもないと告げられ、
父にばれないように泣いた。


誠実で優しくて、それでいて男気があって熱い。
そんな父親像だった。


高校生になった頃から、両親はなんとなく別居状態であり、
社会人になってからは、父が家にいることは殆どなかったが、
事あるごとに気にかけてくれた。


しかし、がんが見つかってから死ぬまでの間に、
父が立ち上げた事業の失敗を筆頭に、金銭、対人など様々な問題が発覚。


父も男だし、私もガキではなかったので余程のことでは驚かないが、
背徳行為は想像以上だった。


父の死よりもそちらの方がショックで、
父の葬儀では泣かなかった。


葬儀は、親族だけの密葬にしようと思ったのだが、
父の古くからの友人たちからの強い要望があり、
父と懇意だった方々数名には参列してもらった。


誰だったかは覚えていないが、
突然の訃報に戸惑ったのか、棺の中の父の亡骸に向かって、
「なんで死んじまったんだよ!!」と、
泣き叫ぶ父の友人を冷めた目で見ていた。


お清めの席で、父の友人たちに、
「お別れ会を開催するから、一之君、是非出席してね」と言われたが、
前向きになれない心情を察してくれたのか、その後、お声はかからなかった。


父の遺骨は、
祖母と祖父が眠る横浜市金沢区にある八景苑のお墓に納められた。


死後の整理も本当に大変だった。


負の遺産が多く、相続でもめた。
姉の旦那とは意見の相違で、険悪な雰囲気なってしまった。


身内同士の諍いは堪えた。


父親みたいにはなりたくない。
自分の死に際は美しくありたいと思った。


父に対する義憤が募りばかりで、納骨の後は、
あまりお墓参りには行かなかった。


そんな感情とここでは書けない諸事情により、
母と姉と協議した結果、
数百万円を支払って父の墓を永代供養することにした。


更にマイカーを手放したこともあり、
父の墓に足は遠のくばかりだった。


しかし、「時」というのは偉大で、
段々と父の不徳に対する怒りは薄れていった。


むしろ、ここ数年の自分の心境とかつての父の状況を照らし合わせて、
父が何故あのような行動を取ったのか、
わからんでもないなと思うようになった。


勿論、全て肯定は出来ないが、そうなってしまうのも仕方がないかなって。


そして、父が生前、私に対して発した、当時はピンとこなかった言葉の数々が、
まるで預言者かのように今の自分を言い当てている。


すげぇな、親父。


父は息子である私が、どのような人間であるか知っていた。
母よりも知っていたと思う。


今、父と話したい。
しかし、それは叶わぬ夢。


せめて墓前でという思いが募る。


仕事は多忙を極めていたが、
年度末で消滅する有休消化も後押しとなって、
2018年3月27日、休みを取って亡父の墓参りへ行くことにした。


以降、「六浦〜田浦〜鎌倉 Part2 八景苑」へと続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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