2009年12月21日更新

DVD#004 『バニシング・ポイント』コレクターズ・エディション


バニシング・ポイント



『バニシング・ポイント』コレクターズ・エディション

12/23 発売 ¥7,035(税込)
販売元:キングレコード
(C)1971 Twentieth Century Fox Film Corporation.All.Rights.Reserved.




コロラド州デンバーからカリフォルニア州サンフランシスコまでを
15時間で走破するという無謀な賭けをした男コワルスキー。


1970年型ダッチ・チャレンジャーを操り、
警察の執拗な追跡を振り切りながら荒野を爆走する。


警察の無線を傍受し、この出来事を知った盲目のDJスーパー・ソウルは、
自身のラジオ番組を通じて、コワルスキーに情報を提供し手助けする。


コワルスキーはひたすら車を走らせる。


その旅の道中、様々な人たちと出会い、
コワルスキーの過去がフラッシュバックで明かされる。


そして、行き着く先の破滅・・・。


バニシング・ポイント


『バニシング・ポイント』コレクターズ・エディションDVDの発売を記念して、
11月12日(木)に伊藤Pの地元である吉祥寺バウスシアターで、
本作の試写会が開催された。


『バニシング・ポイント』は随分前に見たっきりなんだけど、
アメリカン・ニューシネマの中でも一番好きな作品。


そして、今回上映されるのが、イギリス公開版。
今まで日本で見ることの出来なかった、
シャーロット・ランプリング出演シーンが入ったバージョンだ。
しかも“爆音上映”。


これは見に行かなくては!


思い返せば、このところ新作を追いかけるのが精一杯で、
昔の映画を全く見ていないことに気が付いた。
70年代の映画を見ること自体が久しぶりの状態。


『バニシング・ポイント』が作られたのは1971年。
製作されてから40年近く経っており、今の映画の作り方と大分違うでしょう。


今の映画に見慣れた者が昔の映画を見た時に、
果たしてどのような感覚のズレが生じるのか?


それを検証するのも楽しみだった。


19:00開場ということで、オンタイムぐらいに吉祥寺バウスシアターに行ったら、
結構な列が出来ていた。


最終的にはほぼ満席の状態。
流石に『バニシング・ポイント』の人気は根強い。


バニシング・ポイント


そして、いよいよ上映。


結論から言うと、メチャクチャ面白かった。


CGなんてない時代。


すべてアナログでみせるカーアクションは、
“今見ても!”ではなく、“だからこそ”の迫力があった。


クエンティン・タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』のカーチェイスを見た時に、
「あぁ!これこれ!!!これを欲していたのよ!!!」って、興奮したわけですが、
それは『バニシング・ポイント』みたいな作品を見て育ったからこそ、
タランティーノのオマージュに感激することが出来たんだと思う。


バニシング・ポイント


そして、本作の魅力はカーアクションばかりでない。
時代を映したそのテーマ性もたまらない。


当時のアメリカの時代背景を理解していないと、
この映画が何を語りたかったのか、多分、理解できないと思う。


1960年代のアメリカは激動のだった。


ベトナム戦争、ケネディ暗殺、公民権運動、キング牧師暗殺。


若者の多くはそんなアメリカ社会に対して、牙を剥く。
“既成概念をぶっ壊せ!!”ということで、新たに自分たち独自の文化を作ろうとする


それがカウンターカルチャー・ムーブメントだ。


若者たちの多くは、縛られた社会生活を否定し、自然への回帰を訴えるようになる。
彼らはヒッピーと呼ばれ、コミューン生活(共同生活)を営み、
愛と平和を謳い、セックスとドラッグとロックに明け暮れる。


この運動の象徴的なイベントが、
今年開催40周年となった“ウッドストック”だ。


しかし、“ウッドストック”が行われた1969年に、
ヒッピーの教祖的な人物だったチャールズ・マンソンが、
当時ロマン・ポランスキー監督夫人だったシャロン・テートらを殺害。


更にローリング・ストーンズが、
ヒッピーの聖地であるサンフランシスコのオルタモント・スピードウェイで、
フリーコンサートを開催。
警備として雇われていた暴走族ヘルス・エンジェルスが、
このコンサート中に黒人青年を殺害。
最終的に事故死も含め4名が命を落とすという大惨事となった。


しかもミック・ジャガーにヘルス・ヘンジェルスを勧めたのは、
ヒッピーたちの心の拠りどころであったグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアだ。


70年になると、時代のアイコンであったジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、
71年にはジム・モリソン(ドアーズ)といったミュージシャンが、相次いでこの世を去った。


そして、ベトナム戦争は終わらない。
差別もなくならない。
世の中ちっとも良くならない。


若者は段々と気が付き始める。


“ひょっとして、俺らが掲げたきた理想って、無意味な幻想だったのでは?”


こうした時代の流れは、映画の中でも表現されるようになる。


それが『俺たちに明日はない』('67)、『明日に向かって撃て!』('69)、
『イージー・ライダー』('69)といったアメリカン・ニューシネマだ。


それぞれの作品に登場するアンチ・ヒーローたち。
最終的に行き着く先は“死”。


このアン・ハッピーエンドな展開は、
今までハッピーエンドが当たり前だったハリウッド映画の常識を覆した。


バニシング・ポイント


『バニシング・ポイント』は、
アメリカン・ニューシネマのピークが頂点に達した後に、
やや後れを取った形で製作され、公開された。


公開当時は大した話題にもならず2週間で上映打ち切りになったという。


しかしながら、その後再上映などで評価が高まり、
現在の地位を確立しているんだけど、
その理由は、やはりピーク後に作られたが故か、
他のアメリカン・ニューシネマとは少々アプローチが違うからだと思う。


『俺たちに明日はない』は、まだカウンターカルチャーがブームだったし、
『明日に向かって撃て!』や『イージー・ライダー』もギリギリセーフだ。


『バニシング・ポイント』が作られた時、
もうカウンターカルチャーは終わっていた。


他の作品が自虐行為を描くことによって、
まだ何かしらの希望を求めて見えるのに対して、
『バニシング・ポイント』は完全に達観している。


主人公のコワルスキーは多くを語らない。
無言である。


世の中の歪みに辟易し、無謀な賭けをし、爆走し、命を散らす。
そんなコワルスキーから浮かび上がるのは「諦め」だ。


どんなにわめこうが、訴えようが、叫ぼうが、
自分たちの力では世の中変わらない。


夢のない話だけど、当時のアメリカを反映している。
それが『バニシング・ポイント』のような気がする。


まぁ、この辺は多くの人たちが、様々な意見を既に述べられている部分なのですが、
久しぶりに『バニシング・ポイント』を見て、新たなる発見もあった。


バニシング・ポイント


劇中、ヒッピーたちが登場する。
彼らは曲を演奏しているいるんだけど、
それがデラニー&ボニー&フレンズとリタ・クーリッジだった。


前に見た時はまだこのミュージシャンたちを知らなかったのでしょう。
なので恥ずかしながら今回初めて出演していたことを知った。


デラニー&ボニーは、エリック・クラプトンに多大なる影響を与え、
彼らがいなければ恐らく、
デレク・アンド・ザ・ドミノスの名盤「いとしのレイラ」は生まれなかったでしょう。


今回、初めてサントラも聴いたけど、
良いねぇ。
たまりませんでした。


それから日本初披露となるシャーロット・ランプリングの出演シーン。
これはなんとなくカットされた理由が判る。


他のシーンと比べるとテイストが大分異なるのである。


何にしても、若き日のシャーロット・ランプリングはメチャクチャ美しい。


カースタントは素敵だし、面白いし、時代を感じるし、
爆音だしということで、『バニシング・ポイント』を満喫させて頂きました。


バニシング・ポイント

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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