2012年10月24日更新

立川

早いものでもう10月の下旬ですが、
2012年の夏の思い出をひとつ綴ってみたいと思います。


8月下旬の散策記です。


2か月も前のことなので、今更感がありますが、
「ディープ・ツアー2012」「武蔵野市」の散策記に膨大な時間を費やしたため、
遅くなってしまいました。


さて、今回の散策の舞台は立川市です。
(そして、ライトです!)


8月の最終週に立川にある「昭和記念公園」の「レンボープール」に行ったのですが、
男子更衣室のロッカーに、海パンを忘れるというチョンボをしでかしてしまった。


置き忘れた海パンは、そこそこ年季が入っているんだが、
今まで海やらプールやらで履いてきた愛着のある一枚。


まだまだ現役で行ける代物だし、
プールに行った二日後に毎年恒例の海に行く予定があった。


ちゅうことで、新しいのを買わずに、引き取りに行こう。


「昭和記念公園」の管理事務所に電話してみたところ、
それらしき海パンがあるとのこと。


海パンに名前や住所が書いてあれば、郵送可能なんだが、
38歳のオッサンの海パンのタグに「いとうかずゆき」なんて書くわけもなく、
「総合案内所」まで取りに行くことになった。


海パンを忘れた二日後、
毎年恒例の海に行く日の午前中、海パンを回収しに家を出発。
この時は晴れていた。


しかし、吉祥寺駅から中央線に乗り、立川駅へ向かう途中、
車窓の景色を見ているとちょっと雲行きが怪しくなってきた。


そして、立川駅から、「昭和記念公園」へと歩いて行くと、
更に暗雲が立ち込めて来て、雷が鳴り出した。


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「昭和記念公園」あけぼの口から、“みどりの文化”なるゾーンを通り抜け、
駐車場からほど近い「昭和記念公園」の立川口へと歩いていくと、
いよいよ天候が怪しくなり、ポツリポツリと雨が降り出した。


これはやばい!!と「昭和天皇記念館」からダッシュ!!!


立川口に辿り着いた瞬間、土砂降り。
それこそThin Lizzyの「Thunder And Lightning」なような激しい雷雨。
ピカピカゴロゴロ。


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あぶねぇー。


入口手前の屋根のあるところで雨宿り。


ゲリラ豪雨みたいな感じだったので、そのうち止むだろうと高をくくっていたんだが、
これがなかなか止まない。


今回、わざわざ海パンのために「昭和記念公園」まで来たのだがら、
海パン回収後は、「昭和記念公園」から窺い知れる歴史に触れてみようと思っていた。


「昭和記念公園」がある一帯は、戦後アメリカに接収され米軍立川基地となった。


1977年に日本に返還され、1983年に「昭和記念公園」として開園し、
その後、段階的に拡張し、現在のような広大な敷地面積を誇る公園となった。


そして、「昭和記念公園」の最西端、
残堀川という川の向こう側に、米軍立川基地の一部がそのまま放置されており、
建物や煙突といった遺構が残っているのだ。


その地域は財務省保留地でおそらく立ち入ることは出来ないんだろうけど、
立川口から入園して、レンタルサイクルで、そっちの方に行って、
せめて煙突だけでもカメラに収められればと考えていたんだが、無駄に時間が過ぎてゆく。


降り出してから20〜30分経って、雨はやっと小降りになってきた。


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雨脚が弱まったところで、雨宿りしていたところから立川口に行き、
そこにいたスタッフに、「総合案内所」はどこですか?と聞いてみた。


するとスタッフの指差す方向は、あけぼの口の方。
つまり、今しがた歩いてきた道だ。


どやら「総合案内所」の存在に、全く気が付かずに通り過ぎてしまったようだ。


そういえば、海パンの忘れ物がないか電話で問い合わせたときに、
電話に出た方が「総合案内所」の場所を詳しく説明してくれて、
その時にあけぼの口がどうのこうのと言っていたことを思い出した。


「昭和記念公園」は何度も来ているので、行けばわかるだろうと高をくくって、
きちんと説明を聞かなかったのが良くなかった。


仕方なく戻ったんだが、来たときに「総合案内所」なんてあったけ?という疑問が残った。
あったのは「昭和天皇記念館」ぐらいだったはず・・・ということで、
「昭和天皇記念館」に立ち寄ってみたんだが、「総合案内所」なんて見当たらない。


従業員に聞こうと思ったんが、こういう時に限って見当たらないんだよね・・・。


「昭和天皇記念館」を出て、あけぼの口の方へと向かうと、らしき建物が・・・。


ありました。
「総合案内所」。


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ちゅうか、本当にあけぼの口のすぐ傍じゃんかよっ!!!!!


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なぜスルーしてしまったのだろうか・・・。


「総合案内所」で手続きを済ませ、無事、海パンを回収。


さて、これから立川口へまた行って、入園料払って、
されにレンタル料払ってチャリを借り、広大な「昭和記念公園」の奥まで行って、
拝められるかどうかも判らない、立川基地遺構の煙突を見に行くのか?


しかも、今夜は恒例の海。
毎回、夜中に出て早朝着なので、貫徹必死。
あまり体力は使いたくない。


ということで、気力が萎え、煙突は断念することにした。


とっとと帰るべぇと、「総合案内所」を出ようとしたら、
壁に「昭和記念公園」の空撮写真が展示されているのが目に入った。


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そして、写真をよーく見ると、3本の煙突が確認できた。


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今回はこれで良しとしておこう。


「総合案内所」を出て、立川駅へと向かう。
「総合案内所」の目の前の交差点は、先ほどの雨でプチ洪水状態となっていた。


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立川駅に着くと、JRではなく多摩都市モノレールの駅舎が目の前に。


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実は、立川は20年前、毎日のように訪れていた地。
浪人時代、代々木ゼミナールの立川校に通っていたのだ。


20年前は多摩都市モノレールなんてなかったよねぇ・・・。


立川駅やその周辺も20年前と比べると様変わりした。
この日も乗降者の数があまりに多くて驚いた。


そんな立川の発展に大きく寄与したであろう多摩都市モノレールに、
なんだか乗ってみたくなった。


と、ここでかねてから立川地域で行ってみたい場所があったことを思い出し、
iPhoneで調べたところ、多摩都市モノレール沿線だった。


行くべっ!!!


急遽、予定変更。


ホームで待っていると、ほどなく多摩都市モノレールがやって来た。


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進行方向の最後尾、一番後ろのドアから乗車し、
モノレールならではの風景を楽しんだ。


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前後も魅力的な光景だが、左右もなかなかのもの。


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方角的に、奥多摩の山々かな?


こんな風景には、
The Black Crowesの「A Train Still Makes A Lonely Sound」とかマッチしますな。


この他、確実に目を引くインパクト大の某宗教団体の建物なんかもありました。


そんな車窓を楽しんだ後、降り立ったのがこちらの駅。


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玉川上水駅です。


駅名の通り、近くに「玉川上水」が流れています。
この上水に関しては、散策記「武蔵野市 PART3 関前編」をご参照下さい。


玉川上水駅から東の方へと進むと、3分ぐらいで「東大和南公園」がある。


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この公園に目的のものがあるのだ。


初めて来た公園なので、探し求めるために方々歩き回ったんだけど、
公園の北側に発見!


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「旧日立航空機立川工場変電所」です。


建物に穴ぼこが開いていますが、何の跡かわかりますか?


銃弾の跡なんです。


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以下、ウィキペディアからの引用要約です。


「この発電所は、航空機のエンジンを生産する軍需工場へ送電する変電施設として1938年(昭和13年)に、
東京瓦斯電気工業株式会社変電所として作られた。


翌年には日立製作所と合併、日立航空機株式会社立川工場<立川発動機製作所>の変電所に改称する。


1945年2月17日と4月19日に米軍機によって機銃掃射をうけ、
4月24日にはB-29による空襲により被災。


隣接する工場は大破したが、変電所は大きな被害は免れた」


建物に残されている穴は、機銃掃射の弾痕だ。
大きな被害は免れたとはいえ、その痕跡はあまりに生々しい。


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「東大和南公園」は、本当に普通の公園で、テニスやサッカーの競技場があり、
この日もサッカーをしている子供たちと、それを見守る母親たちで賑わっていた。


その対面に、この地に戦災があったことを生々しく残す戦跡がある。
まるで異空間だった。


昨年末に目にした広島の原爆ドームもそうだったんだけど、
実はそんなに大きな建物じゃないんだが、なんでしょう・・・、
圧倒的な存在感を放っていて、引き込まれるんですよね。


静かな佇まいだが、見ればやがて当時の激しいを銃撃を想像させ、
さらに深い悲しみを思い起こさせる。
Metallicaの「One」みたいだ。


こちらは建物の裏側。


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こちらが左側面。


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建物の中にも損傷が見受けられる。


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驚くべきことに、この変電所、
戦後は、富士自動車(現:小松ゼノア)の立川工場の変電所として、
1993年(平成5年)まで使用されていたのだ。


更に「旧日立航空機立川工場変電所」の正面の左側には、給水塔のモニュメントがある。


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この給水塔は元々はこの場所から少し離れたところにあり、
変電所と同様、戦火に見舞われるも、致命的な被害は受けず、
戦後も2000年8月まで、小松ゼノアの工場に給水していた。


そして、2001年5月に老朽化によって撤去され、その一部がこの地に移され、モニュメントとなった。


取り壊される前の給水塔の写真が掲載されていないか、
ネットで調べてみたら、割と最近撤去されたからか、結構ヒットした。


老朽化により撤去されたわけだが、
このような戦跡を、現代の技術をもってしても維持、保存できないもんなんですかね?


右手には、「太平洋戦争戦災犠牲者慰霊碑」が立っていた。
日立航空機株式会社立川工場<立川発動機製作所>への空襲により110名の方が亡くなっている。


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右手前には、花が植えられており、そこにはプロペラが。


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建物正面の地面にはギア(?)を使ったアートが施されていた。


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模様はプロペラや爆発を想起させるが、真相はどうなんでしょう?


「東大和南公園」を後にし、玉川上水駅へと戻る。


西武拝島線の線路を挟んだ反対側に駅名にもなっている「玉川上水」が流れている。


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この上水を下っていくと、数日前に散策した「武蔵野市の玉川上水」へと辿り着く。
そういう川の流れにもロマンを感じる今日この頃。
マッチするのは、Bruce Springsteenの「The River」(ベタベタだな・・・)。


再び多摩都市モノレールに乗り立川駅へ。


せっかく来たのだから、20年前に通学していた代々木ゼミナール立川校のある、
立川駅南口側の発展状況も確認しよと思い、そちらの方へ赴くも、
再び雨が降り出し、途中で断念・・・。


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代々木ゼミナール立川校に向かう途中に、
ラブホテルがあり、朝、登校する際に、ホテルからカップルが出てくると、
殺意とやっかみと羨望が入り混じった複雑な心境に陥ったのをよく覚えている。


そのラブホがまだるのかどうかぐらい確認したかった・・・。
そんな思いの残る立川散策でした。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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