2013年08月16日更新

新宿PART4 東長寺&四谷四丁目

「新宿PART3 正受院&成覚寺」からの続き。


「成覚寺」を出て、新宿駅に戻ろうかとも思ったが、
久しぶりに四ツ谷駅まで歩くことにした。


靖国通りを曙橋方面に歩き、新宿一丁目北交差点を越えたすぐのところに歩道橋があり、
その歩道橋を渡った先に、かつて東京厚生年金会館があった。


1961年4月15日にオープンし、2010年3月31日に閉館。


2000人強の収容席数を誇る大ホールを擁し、
1994年にザ・バンドとシン・リジィのライブをここで見た。





ザ・バンドは、この時にいたメンバーのうち、
ベースのリック・ダンゴ、ドラムスとマンドリンのリヴォン・ヘルムが、
それぞれ1999年12月10日、2012年4月19日にこの世を去っている。


時の流れを感じずにはいられない。





シン・リジィは、ジョン・サイクス(g,vo)、スコット・ゴーハム(g)、ブライアン・ダウニー(dr)、
マルコ・メンドーサ(b)、ダーレン・ワートン(key)という布陣で、
“A TRIBUTE TO PHIL LYNOTT THIN LIZZY”と題されたツアーだった。


フロントマンだった故フィル・ライノット(b,vo)のいないシン・リジィは、シン・リジィじゃない!
という意見も当時あったけど、名曲の数々をライブで見ることが出来たのは貴重な経験でした。


さて、東京厚生年金会館ですが、社会人となり映画の宣伝マンの仕事をしてからは、
頻繁に一般試写会の会場として使用させてもらった。


キャパが大きいから試写状のもぎりは大変だったし、
最寄りの駅から少し距離があるため、開場時間を過ぎてからやってくるお客さんが多くて、
「入れろ!」「入れない!」の押し問答が繰り広げられることもしばし。
試写の立ち合い泣かせの会場だった。


幸い、立ち合いじゃなかったんだけど、『リーサル・ウェポン4』の試写の時、
試写状をばらまき過ぎて会場に入りきらないぐらい人が押し寄せたうえ、
病人が出て救急車騒ぎになったことがあった。


鬼門?


そんな思い出の地は、今は更地。


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なんでもヨドバシカメラが土地の権利を取得していて、
カメラ博物館なんかが入ったビルを建てるという報道がなされたようですが、
7月下旬にもう一度ここを通った時に見たら、4月上旬と同じように更地で、
重機も入っておらず、何かを建てる気配はまるで感じられなかった。


東京厚生年金会館跡地はさらっと流そうと思っていたんだけど、長くなってしまった。


歩道橋を降りて反対側に渡り、そのまま直進。
富久町西の交差点に差し掛かったところにお寺があったので、立ち寄ることに。


曹洞宗「東長寺」。


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由緒に関しては公式ホームページが存在するので、
そちらを参照して頂きたいのですが、なんとも神秘的で洗練されたお寺でした。


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地面に敷かれた磨かれた石をよく見ると名前が刻まれていました。
檀家の方々のお名前でしょうか?


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訪れた時は気が付きませんでしたが、
法堂、仏殿、僧堂(坐禅堂)、庫院(台所)、東司(便所)、浴司、山門の七堂伽藍がある、
かなり立派な寺でした。


多宝塔の裏手に見えるオレンジ色のビルの2Fには、CS放送局「V☆パラダイス」を運営している
ヒューマックスコミュニケーションズさんのオフィスが入っています。


仕事の業務内容の変更に伴い、
7月末に取引先であるヒューマックスコミュニケーションズさんにご挨拶の訪問したのですが、
この時は、数か月後にこの地に再び来るとは思ってもみませんでしたね。


「東長寺」を出て外苑西通りを南下し、大木戸坂下の交差点を抜け、
外苑西通り、新宿通り、甲州街道がぶつかる四谷四丁目交差点に出る。


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上の写真で、奥のトンネルが甲州街道。
手前の道が新宿通り。
向かって右側の道が外苑西通り。


さて、この四谷四丁目交差点ですが、我々の世代以上にとっては忘れがたき場所。


クリナップ キッチンシステムの看板があるビル(四谷大木戸ビル)には、
かつてサンミュージックが入居していた。


1986年4月8日に、サンミュージック所属で当時アイドルとして絶大なる人気を誇っていた岡田有希子が、
このビルの屋上から投身自殺した。





テレビドラマ「禁じられたマリコ」で共演した峰岸徹(2008年10月11日没)との交際を悩んだ末の自殺。
(放送時「禁じられたマ〇コ」と言って、友達とふざけ合ったのをよく覚えています・・・不謹慎・・・)


丁度、白昼の出来事で、新学年の新学期が始まった始業式の日だった。


始業式の後、友達の片木君の家に遊びに行き、
昼飯を御馳走になりながら「笑っていいとも」を見ていたら、
エンディングでタモリが「岡田有希子ちゃんが飛び降りたの?」とコメント。


片木君と二人で「えっ!?」となり、その後、食い入るようにワイドショーを見続けた。


さらに後日発売された写真週刊誌「FORCUS」に、飛び降りた直後の写真が掲載されたんだけど、
それはそれは強烈な写真でした・・・。


この頃の報道って、今以上に過激だった。
(その写真は、ここでは載せないしリンクも貼らないけど、ネットにUPされていました)


後追い自殺も問題になった。
「夜のヒットスタジオ」で中森明菜が歌っている後ろに、岡田有希子が立っていたという幽霊騒動もあった。
岡田有希子の自殺は、ガキの頃の衝撃的な出来事のベスト10に確実に入る。


さて、サンミュージックが入っていたビル名が「大木戸」でしたが、
江戸時代、この地に甲州街道を通って江戸に出入りする人たちを検閲するための関所が置かれており、
大きな木の戸で仕切られていたことから「大木戸」と名付けられた。
『江戸名所図会 3巻』より「四谷大木戸」


この大木戸近くには、玉川上水の四谷水番所が設けられ、江戸市中へ配水されていた。
羽村で多摩川から取水し、武蔵野市等々を流れる玉川上水の最終地点がここだったわけだ。


大木戸も水番所も寛政4年(1792年)に撤去され、明治維新後は道路が整備され、今は何も残っておらず、
交差点の新宿通り入口に「四谷大木戸跡碑」と「水道碑記(すいどういしぶみのき)」(明治28年完成)があるのみ。


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交通量の多いところだけど、この「四谷大木戸跡碑」や「水道碑記」に目を向ける人はほとんどいない。
そういう自分も何度もここを通ったけど、気に留めたことなんかなかった。


「四谷大木戸跡碑」は、昭和34年の地下鉄丸ノ内線の工事で出土した
玉川上水の石樋(いしどい)を利用して建立された。


玉川上水が完成したのは、1653年。
300年も経てば埋没するか?


四谷四丁目交差点を四谷方面に渡ると角っこに、燈篭や睡蓮鉢、庚申塔のようなものが置かれていた。


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由緒書きはなしで、なんだかよくわかりません。


木に書かれた文字も現代っ子で学のない小生には全く読めず・・・。


最後がこれでいいのか!?って感じですが、そろそろ出勤のお時間です。
このまま新宿通りを歩いて四ツ谷駅から会社へと向かいました。


今回の散策は時間にして3時間強だったのですが、
大都会新宿にも関わらず見どころ満載でした。


ここまで新宿に江戸時代を感じる寺院や史跡が残っているとは思いもよらず。


それ故に、いろいろと調べながら書かないといけないので、
かなり時間がかかってしまった。


ちょっとしんどかったけど、
やっぱり東京は面白い!

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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