2013年09月02日更新

法政大学多摩キャンパス PART3 小松ハイキングコース、龍籠山金刀比羅宮

「明観寺」の続き。


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意を決して「小松ハイキングコース」に飛び込んでみたが、
歩いてすぐに「狩猟用ワナに注意しましょう」とか、
「イノシシ注意」といった警告板がいたるところに掲げられていた不安を煽る。


さらに、でっかい毛虫に遭遇。


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虫に刺されて足がかなり腫れ、皮膚科のお世話になったばかりの頃だったし、
巷ではマダニで死者が出たというニュースが飛び交っていたので、
そーとー、ピヨリました。


でも戻るのも億劫だったので、そのまま突き進む。


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ハイキングコースは、勾配のある山道だったけど、
きちんと整備されていて歩き易くはあったが、
この先、突然、荒れ果てるというケースもありうるので、ドキドキしながら歩く。


iPhoneのマップを確認すると、道が表示されておりませんでした・・・。


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すると前方から軽装のオジサンが降ってきた。
ということは、恐らく、それほど過酷な道になることはなさそうだ。


だいぶ安心しながら歩くと、「小松城跡」の案内板が。


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永井太膳太夫が城主で、八王子にある片倉城の出城(本城の他に要地に築いた城)。
室町時代から戦国時代初期の山城とのこと。


案内板に空堀と書いてあった辺りを見てみたけど、
草木がおおい茂っているだけでさっぱりわかりません。


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他の空堀と書かれたところも、なんとなく意識しながら見てみたけど、
「?????」でした。


「山城跡ってこんなもんだよね」と気を取り直して直進。
すると空中に何やら物体が浮かんでいた。


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フォーカスが合わずボケボケですが、
糸にぶらさっが芋虫みたいな虫でした。


「小松ハイキングコース」は、比較的歩きやすい山道だったけど、
それなりにキツイ階段もあり、日陰とはいえ、
やはりかなりの汗が出て、着ている服はすべて汗まみれ状態。
Tシャツがドライメッシュだったのがせめてもの救い。


きつい階段を登り切ると「評議原」に出た。


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片倉城、津久井城、小松城の武将が、落城の相談した場所として伝えられている。
紅葉の名所とのことで、もみじの木がはえていました。


小松城主の永井太膳太夫も、このもみじを見たのだろうか?


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今は夏なので紅葉していませんが、きっと秋になると綺麗なのでしょう。


まぁ、秋に来ることはないだろうと思いながら、
歩き出すと、ポーン、ポーンとテニスを楽しんでいる人たちの声が聞こえてきた。


そういえば一番最初に見た案内板に「町民の森テニスコート」って書いてあった。
もしも何かアクシデントに見舞われても、大きな声を出せば届きそうだ。


そんな安心感も束の間。
山道はほどなく終了。


終了してもイノシシに注意が必要なのでしょうか?


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出口手前には「奉納金比羅大権現(ことひらごんげん」の石碑が。


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「金刀比羅(ことひら)」=「金比羅(こんぴら)」で、
神仏習合によって生まれた神。
総本山は、香川県琴平町にある「金刀比羅宮」。


「金比羅大権現」についてもう少し詳しい説明をしようと試みたんだけど、
なんだか人によって言っていることが異なるので、止めておきます。


山道を出てアスファルトの道路を越えるとすぐに、
「龍籠山金刀比羅宮」の石の道標があるんだけど、
その奥の階段が・・・良い角度だ・・・。


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さて、「龍籠山」とはこの地の山の名前。
昔は山の信仰が当たり前だったので、
この土地の人たちもそうだったのでしょう。


階段の手前の燈篭には「万人講」という文字が刻まれているんだが、
「万人講」とは、多くの人が集まって融資したという意味。


つまり、この燈篭を建てるのお金をいろんな人が出したってことで、
先の山の信仰の証明といえるのかもしれない。


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笠と竿の部分が欠損している。


で、こちらが階段・・・。


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エグイ、エグイっす・・・。


心臓破りでした。
今までの疲労もプラスされ、もうゼロゼロ、ハァハァですよ。
檀蜜のハァハァなんて比べ物にならないぐらい、ハァハァですよ。


エッチラオッチラ階段を上がり切ると「金刀比羅宮」。


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「金比羅神社」は全国に600社あるといわれており、
その中でこの「龍籠山金刀比羅宮」は、
文化元年(1804年)に、この地に住む人が先の「金万比羅宮」へ参詣し、
神霊を分けられたのが始まりとのこと。


境内はかなり狭く、本殿の横にこじんまりとした池があるぐらい。


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なんだかこういう小さい赤い橋を見ると、鎌倉「釈迦堂切通し」の上にあり、
現在立ち入ることの出来ない「大町釈迦堂口遺跡(旧称:北条時政邸跡)を連想してしまう。
そして、「行ってみたい!!!!!」という思いがより馳せる・・・。


そんな池にはオタマジャクシがたくさん泳いでいました。
この時期だとツチガエルやウシガエルでしょうか?


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(申し訳ないが)頑張った割に、
ほとんど見所がない「龍籠山金刀比羅宮」の脇には階段があり、
それを登ると見晴らし台が。


これはある意味登ったご褒美だったな。


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眺望案内図によると写真向かって一番左の高層ビルの塊が新宿。
そのお隣りが六本木で、一番奥の塔みたいなのが東京タワーかな?


目線を左側に移すと、左側に先ほどまでいた法政大学の校舎が見えた。
あそこから歩き、そして登ったのかと思うとちょっと満足。


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暫しパノラマの光景を眺め、達成感に浸っていると、
この展望台からさらに上へと続く階段があるではないか。


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しかし、この上に目的地の「城山湖」があるのだろうか?
iPhoneのマップで確認してみても、近いのは確かだが、
標高差まで出ていないので良くわからない。


でもさ、バカと煙は高いところが好きって言うじゃない。


前者なんで、階段をあがることに。


大した段数ではなかったけど、それでも目に見える光景はまるで違った。


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より一層、視界が開けて気持ちが良い。


さらに登り道が続いていたので、この先に「城山湖」があると信じて・・・、
いや、この時点で違うと判っていた。


行きつくところまで行くべく登った。
ほら、バカとなんとかは・・・。


ほどなく小さな社があったんだけど、由緒書きがなく、なんの神社かわからず。


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来た道を少し戻り、左手にあった登り道を進む。


階段、坂道、
そして、暑い。
汗ダクダクの状態で辿り着いたのが「航空神社」。


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なぜここに・・・。


後で調べたら、戦時中この地で爆撃墜落死した戦闘機飛行士の死を悼むとともに、
航空安全を祈願して建立されたものだという。


「航空神社」の後も山道が続き、「城山湖」に到着する気配はない。
来た道を戻るかどうか迷っていたら、眼下に「城山湖」が姿を現した!!


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激烈急な階段を降り、いよいよ「城山湖」だ。


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以降、「城山湖」に続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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