2014年08月10日更新

多摩自転車道 PART1

6月22日(日)。


久々の完全オフの日なのに、朝から雨模様。


家の中で悶々としていたんだが、
13時を過ぎたころになると雨が止んだ。


いてもたってもいられない。
よしっ!どこかに出かけよう!


でも、どこに出かけよう。


暫く考えた末、以前、某大手ケーブルテレビ局勤務、小金井在住のOさんが、
自転車で多摩湖まで行ったという話を思い出した。


Oさんが多摩湖に行く際に利用したサイクリングロードは、
母校・都立田無高校の近くを通っている。


実際に学生時代、毎日利用していた。


しかし、多摩湖までは行ったことがなかったので、
自転車で母校周辺の現在の様子を確認しつつ、
サイクリングロードを通って多摩湖へ行ってみることに。


14時過ぎ、ボロボロのママチャリにまたがり、
いくつかあった通学路のルートのうち、
初めて田無高校に行った通学路を辿ることに。


BGMは、高校時代を疑似体験するために、
通学時に良く聴いていたHR/HMのアルバムのみとした。


音楽を聴きながら自転車に乗るのは、あまり良いことじゃないけど、
想い出探究にはHR/HMが必要だ。


まずはモトリー・クルーの4th「Dr.Feelgood」!





1曲目のイントロ「TNT (Terror 'n Tinseltown)」から「Dr. Feelgood」の繋ぎは、
何度聴いても痺れる!!!


ザクザク刻むリフを聴くと、勝手にペダルを漕ぐスピードが上がる。


善福寺公園方面へ北上し、
住宅街を抜けて吉祥寺通りへ。


市役所方面に抜ける道をひた走ると、
立野公園の手前にタバコの自動販売機がある。


IMGP2063_R.JPG


ここは高校時代、タバコやちょっとした飲食類が買えるお店だった。


自動販売機の横に、中村あゆみがイメージキャラクターを務めていた
カナダドライ ジンジャーエールのポスターが貼ってあった。





当時、中村あゆみの大ファンだったんで、
そのポスターがスゲェ欲しかった。


さてさて、吉祥寺通りとか立野公園とか、
地元民じゃないと判らんと思うので、ここで地図。


map101_R.jpg


そして、地図にある通り、道なりに進むと庚申橋があり、
あれ・・・解説板には「更新橋」って書いてある・・・。


IMGP2066_R.JPG


さっきの地図、「庚申橋」としてしまった。
しくじりました・・・。


で、解説板にある通り、橋のたもとには庚申塔。


IMGP2065_Rf.JPG


IMGP2067_Rf.JPG


この庚申塔の存在は、昨年の夏に知った。


暇だったんで、練馬区の関前公園に行ってみた時に見つけた。
その散策は、あまりネタになるものがなく【散策記】を書かなかった。


不思議なのが、武蔵野市にある庚申塔にも関わらず、
「多摩の歴史1 武蔵野市/三鷹市/保谷市/田無市」に記述がないこと。


IMG_0800_Rgaga_R.JPG


この本は、武蔵野市の散策のみならず、
三鷹市の散策において、参考にさせてもらった、
今の小生の散策好きに多大なる影響を与えた一冊。


武蔵野市の歴史的な寺院、史跡はこの本に網羅されているのだが、
この庚申塔には触れておらず、
故に武蔵野市散策時に訪れていなかった。


解説板だとこの庚申塔がどこにあったのかはわからない。
ちょうどここは武蔵野市と練馬区の境なんで、
もしかしたら練馬区側にあったのかも。


「更新橋」からの一枚。


IMGP2069_R.JPG


千川上水。




玉川上水から取水し、板橋区まで流れる用水路だ。


雨上がりだからか、水の量と勢いが結構激しい。


「更新橋」から道なりに進み、五日市街道と合流。


五日市街道と井の頭通りが交差する関前5丁目交差点から
多摩自転車道がスタートする。


IMGP2071_R.JPG


高校時代、毎日ここを自転車で走っていた。


この多摩自転車道は、
山口・村山貯水池(現・狭山湖と多摩湖)から境浄水場に水を送るため、
大正12〜14年(1923〜1925年)の間に作られた水道施設を利用して敷設されたもの。


なんてことはまるで知らずに、
高校時代は、雨の日も雪の日もチャリ通していた。


多摩自転車道の序盤は、畑が多かったんだけど、
真新しい一軒家が立ち並んでいる。


近年、何度か多摩自転車道を通って、
小金井公園に行くことがあったので、
高校時代と景色が大分変っていることは知っていた。


特に激変していたのが、石川島播磨重工業の田無工場があった場所。


IMGP2081_R.JPG


フェンスと鬱蒼としていた木々に囲まれた工場はなくなり、
広場とタワーマンションが立ち並ぶ、再開発地となっていた。


数年前、初めてこの光景を見た時は結構衝撃を受けた。


多摩自転車道には、始点からの距離を示すプレートが埋められている。


自分の中では、多摩自転車道の始点から田無高校までは、
それなりの距離があると思っていたが、たかだか1.3キロ。


このところ、朝なるべく走るようにしている井の頭公園の池の周囲が1.6キロ。
多摩自転車道から田無高校の方が、距離があるように感じけど、
どうやら錯覚のようだ。


そんなことを思いながら、田無高校がある西東京市向台町五丁目へ。
(かつては西東京市ではなく、田無市で、2001年1月21日に保谷市と合併)


多摩自転車道から外れて、田無高校周辺を散策。


自転車道から一本北寄りの道に、
放課後、何度ラーメンを食べに行った中華料理屋があった。


まだあるのか?


あった!


IMGP2082_R.JPG


が、しかし、この正栄だったかどうかは定かでない。


続いて、正栄の近くにある田無市民公園。


IMGP2083_R.JPG


なんとなくタコを彷彿とさせる遊具に見覚えがあるような、ないような・・・。


田無市民公園のとなりにあるマンションは、廃屋となっていた。


IMGP2087_R.JPG


この建物の記憶はあまりないな。


田無高校の前には、農家なのかなんなのかわかりませんが、
この地の地主なのか、デカイ家があった。
そっちの印象は強烈に残っている。


なぜならば、その家が孔雀を飼っていたから。
孔雀の鳴き声を耳にしながら、授業を受けておりました。


流石に20年以上前なんで、孔雀はこの世を去っているでしょうが、
(因みに孔雀の平均寿命は24歳らしい)
なんとなく敷地の広さが、当時の名残を偲ばせる。


IMGP2088_R.JPG


でもこんな絵が描かれた塀はなかったし、剣道の道場もなかった。


はす向かいが田無高校。
小生が在校生だった頃は、セコムしてますか?のこの門から入り、
先にある駐輪場にチャリを停めていた。


IMGP2092_R.JPG


うーん、懐かしい。


まじでモトリー・クルーをバリバリ聴きながら通学していたなぁ。


iPodなんてあるわけもない時代。
友達やレンタル屋のYOU&IからCDやレコードを借りてきて、
カセットテープに落として、ポータブルオーディオプレイヤーで聴いていた。


金持ちやこだわりがある奴らは、ソニーのウォークマンを持っていたが、
こだわりは持ちたいが、金もなく、ソニーのウォークマンの所有が無理だった小生は、
ゴツゴツとしていてスタイリッシュさの欠片もないSANYOのプレイヤーを使っていた。


IMGP2089_R.JPG


田無高校の正門からの一枚。


物凄く久しぶりに母校を見たけど、ほとんど印象は変わらない。
それがちょっと嬉しい。


田無高校の正門から田無駅方面へと続く坂道を下ると運動場。


IMGP2091_R.JPG


体育の時間、1.5キロを計るため、この周囲を走った。


佐々木君と及川君が走るの早かったなぁ〜。


そんな体育の先生の一人が、太田潔さんでした。


太田先生は学校を辞め、サッカーの審判として活躍。
落雷事件が有名。


調べたら今は主戦での審判はあまりやっておらず、
後身の育成に励んでいるようだ。
【ネタ元】


で、太田先生へのあまり上手とは言えないインタビュー記事を辿ったら、
田無高等学校同窓会公式ホームページに辿り着いた。


8年ぐらい前から更新されていない。


にしても、こんなサイトがあるとはびっくりだ。
(現在、誰が管理しているのだろうか?)


田無高校の正門前の通りから、多摩自転車道までの間に、
パンとかを売っている個人商店があったが、今は住宅になっていた。


IMGP2093_R.JPG


よくお昼ごはんを買った店だった、


そんな変化はあるにはあるけれど、
それなりに20年前の風景を感じられたなぁ。


最後に、田無高校を全国的に有名にした事件をご紹介。


2005年10月28日にセスナ機が、田無高校の校庭に緊急着陸した。


当時の記事


怪我人は出ましたが、死者がなくて良かったです。


以降、「多摩自転車道 PART2」へと続く。

前の記事: 深夜の工事車両
次の記事: 多摩自転車道 PART2

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.t-shirt-ya.com/blog/cgi/mt-tb.cgi/2589

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)




リンク

プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
Powered by
Movable Type