2016年12月15日更新

井の頭自然文化園

10月中旬の某土曜日、久々に井の頭自然文化園に行ってきた。


前回来たのいつだったか、全く覚えていないが、
ここ数年来ていないはず。


まず、フンボルトペンギンがいるのに驚いた。


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いたっけ?


コチラのサイトによると2014年3月にやって来たらしい。
ペンギン、23年ぶりですかぁ〜。


狭いプールでストレス溜まらないのかな?


井の頭自然文化園といえば、象のはな子がその象徴だったわけですが、
周知の通り、今年の5月26日に国内最高齢の(※推定)69歳で永眠。


以前だったら人だかりが出来ていたはな子の観覧場所は、
家主を失い閑散としていた。


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ここから何度はな子を眺めたことだろう。


記憶にはないが、幼稚園の遠足で間違いなく来ているはず。


その前にも家族で訪れた記憶がうっすらと残っている。


物心ついた頃からは、ほとんど井の頭自然文化園に立ち入ることはなかったが、
10年ぐらい前からちょいちょい足を運ぶ機会があった。


その際は間違いなく、はな子を見ていた。


保存してある写真を探ってみたら、2010年5月9日に撮影した写真を発見。


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はな子は、昭和22年(1947年)にタイで生まれた(正確な誕生日は不明)。


大戦時、友好国であったからか、タイの実業家によって、
戦争で傷ついた子供たちのために贈呈され、1949年9月に日本へやってきた。


はな子という名前は、公募で決まったという。


当初は上野動物公園で飼育され、
1950年からは移動動物園で都内を回った。


そして、武蔵野市と三鷹市の熱望により、
1954年3月5日に井の頭文化園へ移された。


1956年に酔ってゾウ舎に侵入した男性、
1960年に飼育員を踏み殺すといった事件を起こすも、
園と飼育員の尽力により人気を取り戻し、
井の頭文化園にいなくてはならないスターとして君臨した。


小生にもはな子に対する思い出が、少なからずあるわけだから、
多くの方々が、それぞれはな子への思いがあってしかるべき。


その証拠がゾウ舎にあった写真や絵、献花。


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死後5ヶ月ほど経っているのに、
未だに花が手向けられるているのが凄い。


ちょっと目頭が熱くなった。


やはりはな子がいないと寂しいね。


その後、こちらも井の頭文化園の人気スポット、サル山へ。


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なんだか猿の数が著しく減ったような気がするのだが…。


猿も活発に動いておらず、見応えがあまりなかった。


サル山の奥には小規模な遊園地がある。


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小さい観覧車があった記憶があるのだが、
そのようなものは見当たらない。


調べたら1995年に廃止になっていた。


ガキの頃から来ていなかった井の頭文化園に再び訪れたのは、
10年ぐらい前なので、その頃には既に撤去されていたことになる。


観覧車の記憶は、一体いつの頃のもの?


続いて、こちらも井の頭文化園に来たらマストのリスの小径。


珍しく静止しているリスがいて、綺麗に撮れた。


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リスが抜け出さないために二重扉になっているんだけど、
出入口に人が付っきりで、警備が厳重だった。


2012年に台風の影響でリスが30匹脱走する事件があったからか?


この後、資料館へ行ってみると、
特設展示「アジアゾウ はな子の69年」が開催されていた。


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興味深かったのが、はな子に限らず、
日本におけるアジアゾウの歴史に触れている点。


アジアゾウが初渡来したのは、室町時代の応年15年(1408年)。
第4代将軍・足利義持の時代で、朝鮮からの献上された。


その後も戦国・安土桃山時代の武将・大友宗麟、豊臣秀吉、徳川家康へ、
明やルソン(フィリピン)などから日本に贈られている。


この特別展示では、特に徳川8代将軍吉宗が発注したゾウに言及。


1728年にベトナムから長崎に上陸し、
その後2カ月以上かけて江戸まで歩き、浜離宮で飼育され、
最後は民間に払い下げられて、今の中野区内で公開されていたという。


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小さい頃から身近にはな子がいたせいか、
ゾウの日本での歴史なんて気にしたこともなかった。


さらに井の頭公園の貴重な写真も展示されていた。


大正6年(1917年)、井之頭恩賜公園開園当日の七井橋。


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日本初の郊外型公園として開園しただけあって、
開園初日の来園者の人数が凄まじい。


これだけの大人数が乗っても落ちない七井橋。
なかなか凄い。


そして、開園時の井の頭自然文化園正門。


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今とは大分違う景観だ。


あまり知らていなが、井の頭自然文化園は、
明治38年(1905年)に日本資本主義の父・渋沢栄一が開園した、
非行少年を収容する東京市養育院感化部井ノ頭学校があった場所。


昭和9年(1934年)、現在、自然文化園分園のある場所に中之島小動物園が開園。


昭和14年(1939年)、井ノ頭学校が移転することになり、
その地に大きな動物園を建設する計画が持ち上がるも,
戦時下で主だった動物の確保が出来ず、規模を縮小して1942年5月17日に開園した。


当初の計画通りではないにせよ、
1942年といえば、ミッドウェイ海戦のあった年。
そんな状況下で、動物園が開園されたのも驚きだ。


しかもキリン、ラクダ、ニホングマ、ホッキョクグマが飼育されていた。
(残念ながら、それらの多くが、戦時下により殺処分されている)


この特別展示会のお陰で、
日本におけるアジアゾウと井の頭文化園の歴史が学べた訳ですが、
展示会の主役はもちろんはな子。


はな子の来日時の写真。


rainitihanko_RRr.jpg


解説文より。



はな子を乗せたデンマーク船オルフ・マークス号は、
1949年8月22日にタイのバンコクを出発し、
9月2日に神戸港に到着しました。


上野動物園からゾウ飼育係 渋谷信吉氏が引き取りにきました。


神戸から鉄道に乗り換え、9月3日に国鉄汐留駅に到着しました。


新聞のニュースで知った都民が五万人以上も動物園に集まったため、
汐留駅から上野動物園に向かう途中でトラックから降ろし、
動物園まで進行し、9月4日に到着しました。



スターが来日した際に、
空港で大勢のファンが出迎えることがある。
なんかそれに似ている。


1950年、井の頭文化園初来園時の写真。


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ハナ子に餌をあげている男の子は、8〜10歳ぐらいか?


生きているとしたら、約70歳になる。
果たしてご存命なのだろうか?


この他、堀に落っこちてしまったハナ子など、
これまで見たことのない写真や映像、
ハナ子の遊び道具など様々な物が展示されていた。


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当初は10月30日(日)までの開催だったが、
好評だったようで、12月28日(水)まで期間延長されたようなので、
興味のある方は是非。




「はな子」ありがとう! 銅像募金
※平成29年3月31日まで


武蔵野市立吉祥寺美術館 ゾウのはな子と撮影した写真募集中!

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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