2014年10月11日更新

ディープツアー2014 鎌倉 PART3

<ディープツアー2014 散策記一覧>
「ディープツアー2014 鎌倉 PART1」
「ディープツアー2014 鎌倉 PART2」




「ディープツアー2014 鎌倉 PART2」からの続き。


中華料理を食べて腹ごしらえをした後、再び行動。


場所は定かではないが、
「英勝寺」の裏山にあると思われる「太田道灌の首塚」を目指す。


寺だらけの「神奈川県道311号鎌倉葉山線」を若宮大路方面へと歩き、
横須賀線の線路を越えた下馬交差点の手前にあるが、
葬儀場のカドキホール。


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「ディープツアー2011 鎌倉 PART1」でも記述しましたが、
父方の祖父と祖母の葬儀を営んだ場所。


ここから「ディープツアー2011 鎌倉 PART1」に引き続き、
少しだけ想い出の鎌倉散策。


「くろぬま」。


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なんとなく外観に違和感を覚えたんだけど、
後で調べたら2階の窓を覆っていた“黒沼紙”の看板がなくなっていた。


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2011年撮影。


子供の頃からいた店主は、ご健在だった。
かなり高齢なはずだが、元気で良かった。


店内は果たして今どきの子供が使うのだろうか?と思しき品々も。


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「くろぬま」を右手に見ながら、
六地蔵交差点から鎌倉市役所に至る道、今小路通りへ。


この通りは祖父の家から車で帰る時に、いつも使っていた道。


途中には亡父の母校である「鎌倉市立御成小学校」がある。


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普通の小学校にはない立派な正門ですが、
これはこの地に昭和6年まで鎌倉御用邸があった名残。


そんな「御成小学校」の敷地には、
「今小路西遺跡(いまこうじにし)」と呼ばれる遺跡がある。


1979年(昭和54年)、御成小学校の改築工事中に、
鎌倉時代中期〜南北朝時代の鎌倉の都市遺構と、
さらにその下の地層から、
奈良・平安時代の鎌倉郡の郡衙(昔の役所)と推定される遺構が発掘された。


まぁ、鎌倉の場合、掘り返せばいくらでも遺構が出てきそうだ。


それにしてもこの道、ずいぶんと広くなったような気がする。


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昔はもう少し狭くて、車での通行がやや困難だったと記憶しているんだけど、
拡張工事でもなされたのだろうか?


調べたら2010年に拡張工事が成されており、
その際に、由来の不明な井戸が発掘されていた。


市役所前交差点の角には、1982年創業の「紀ノ国屋 鎌倉店」。


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ガキの頃からありますが、うちの家族はここで買い物をしたことはない。
なにせお高いですからねぇ・・・。


因みに1953年(昭和28年)創業の「紀ノ国屋 青山店」は、
日本初セルフサービス方式スーパーマーケット。


欲しいものを手に取りカゴに入れて、レジでお会計という、
今では当たり前のスーパーでの買い物の歴史が、
たったの60年とは・・・。


そのまま道なりに歩くこと5分ほどで、「英勝寺」に到着。


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浄土宗の寺院であり、鎌倉唯一の尼寺。


太田道灌5代の子孫である英勝院尼が、
江戸時代の寛永13年(1636年)創建。


創建にあたっては、英勝院の義理の孫を玉峯清因と名付け、
門主に迎え開山した。


水戸徳川家の姫君が代々主僧を務め、「水戸御殿」と呼ばれた。


かつては太田道灌邸跡地とされており、
「太田道灌の首塚」とリンクする。


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狭い通用門をくぐり境内へ入ると、
佐藤アサトがカバンから御朱印帳を取り出し、受付の女性に御朱印を依頼。


そのお願いの仕方が、今まで聞いたことのないような物腰の柔らかい丁寧な物言いで、
普段の言葉遣いを知る身としては、違和感を覚えずにはいられなかった。


聞くに、お寺によって御朱印に対する考え方が異なるそうで、
中には気難しい住職もいるらしく、それなりに気を遣うとのこと。


佐藤アサトが御朱印帳を預けた後、
小生がこの辺にスズメバチがいるかいないかを問うと、
今年はあまり見かけないという。


安心して境内を歩ける!


そんな境内は、見どころ満載!


寛永20年(1643年)建立の鐘楼。


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袴腰という寺格の高い寺にしか見られない珍しい様式らしい。


中に吊るされている梵鐘も同年鋳造。


そして、いわくつきの山門。


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「ディープツアー2013 鎌倉PART2」で、
この「英勝寺」の山門についての記述がある。


「東勝寺跡」からほど近い場所にある荒地に、
佐藤アサトが子供だった頃、「英勝寺」の山門がそびえ立ち、
かなり異様な光景だったとのこと。


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大町の荒地 2013年撮影


「英勝寺」の山門は、大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊。
そのまま鎌倉市小町3丁目の資産家・間島弟彦が買取。
2年の歳月をかけて、住居敷地内に再建し保存された。
(その後、所有者は変わっている)


鎌倉市小町3丁目を地図で検索してみると、
ズバリ、先述の荒地だった。


小町3丁目の山門は、2001年に住宅開発のために解体。
(住宅開発は凍結された模様)


有志によって、2011年5月16日に現在の地に復元された。


「英勝寺」の山門については、コチラのサイトが詳しい。


右に山門を見て奥に行くと穴!


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「三霊社権現」という標識がある。


中に恐る恐る入る。


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洞窟自体は短く、階段を下りると出口が見える。


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とはいえ、中は暗いので、
iPhoneのアプリでライトを点灯すると、石像が安置されていました。


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これが「三霊社権現」?


霊社は、先祖の霊を祭る社の意。
権現は、仏が衆生を救うために、神・人など仮の姿 をもってこの世に現れること。


うーん、よくわかりません。


「三霊社権現」の右横には、まるで整備されていない急な階段があり、
その上に五輪塔らしきものが見える。


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勿論、行くでしょう。


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結構な荒れっぷりでしたが、「太子堂」とのこと。


「太子堂」は、聖徳太子の像を祀った仏堂の呼称。


うーん、よくわかりません。


超下り難い階段を下りると山門前なのですが、
ここでスズメバチが飛んできた。


いないって言ったじゃん!!!!


幸いすぐにどこかに飛んで行ってしまいました。


山門の奥にあるのが、仏殿。


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なんか写真が斜めってます。
山門と仏殿との間に十分な距離がなく、こんな写真になってしまいました。


仏殿の中にはご本尊の阿弥陀如来立像。


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徳川三代将軍家光の寄進で、運慶作といわれている。


後から知ったが、仏殿内の天井には、徳川家の三つ葉葵や、
太田家の桔梗の紋が飾られているらしい。


家紋フェチの佐藤アサトも知らなかったようで、
完全にスルーしていた。


中庭の方へと足を進めると、
やぐらを利用した「金比羅宮」を発見。


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金比羅は、神仏習合によって生まれた神ですが、
「英勝寺」の「金比羅宮」の由緒は良くわからない。


そんな「金比羅宮」よりも目を引いたのが、
墓石とやぐらに安置された石像。


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ちょうど、英勝院の位牌を安置する祠堂(しどう)の裏で、
祠堂の方に回ってみたのだが、通路はなかった。


調べたところ墓石は、英勝院と玉峯清因らのお墓だった。


仏殿・山門・鐘楼・唐門(祠堂門)・祠堂が、
2013年に国の重要文化財に認定されただけあって、
「英勝寺」は見どころ満載だったのですが、
肝心の「太田道灌の首塚」へのルートがわからない。


受付にいた女性に聞くと、
お隣の「寿福寺」の裏に「源氏山公園」へと抜ける道があるが、
その道に「太田道灌の首塚」があるかどうかはわからないとのこと。


ということで、とりあえず「寿福寺」へと向かう。


以降、「ディープツアー2014 鎌倉 PART4」へ続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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