2014年10月12日更新

ディープツアー2014 鎌倉 PART4

<ディープツアー2014 散策記一覧>
「ディープツアー2014 鎌倉 PART1」
「ディープツアー2014 鎌倉 PART2」
「ディープツアー2014 鎌倉 PART3」




「ディープツアー2014 鎌倉 PART3」からの続き。


「太田道灌の首塚」を求め、
太田道灌邸跡地に建立された「英勝寺」を訪れたが、
「太田道灌の首塚」には至らず。


「英勝寺」の受付の女性から得た情報を元に「寿福寺」へ。


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案内板にあるように、正治2年(1200年)に、
源頼朝の奥さんである北条政子が、前年に没した夫を弔うため、
臨済宗の開祖・栄西を住職に迎え建立した寺。


頼朝の父・源義朝の旧邸があった場所で、裏は源氏山。


北条政子がこの地に「寿福寺」を建立した理由がなんとなくわかる。


「寿福寺」は鎌倉五山第3位で偉いからか、
普段は中門までしか公開されていません。


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中門から撮った一枚。


佐藤アサトは、御朱印をもらうべく、
中門右手奥の受付へと向かう。


なかなか戻ってこないので、様子を見に行くと、
ダイナミックな切岸が。


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写真じゃ伝わらないんだよね。


受付からは、住職と思しき人の渋い声と、
なぜか平謝りしている佐藤アサトのナレーターとは思えない弱々しい声が聞える。


再び中門に戻り、
中門から見ることの出来る市指定天然記念物ビャクシンを撮影。


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暫く佇んでいたら、ようやく佐藤アサトが御朱印帳を抱えてやって来た。


よくわからないが、「寿福寺」には4つの札所があり、
一度に4つの御朱印を欲張ってもらおうとして、
「それはダメ」と、住職に少したしなめられたそうな。


御朱印をもらうのも中々大変ですな。


「寿福寺」の裏手には、北条政子と、
鶴岡八幡宮で兄の頼家の子、公暁に暗殺された
鎌倉第3代将軍・源実朝の墓がある。


中門の左奥にある小道を進むと、やぐら好きには垂涎の光景が。


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やぐらは、山肌に穴を掘った横穴式の納骨窟、供養堂。


山と海に囲まれ平地が少なかった鎌倉では、
やぐらがお墓の代わりを果たし、何千というやぐらが現存しており、
決して珍しいものではない。


しかし、人の手によって彫られた穴が、
時と共に風化し、自然と一体化している様は、
人工的な穴であることを忘れさせ、神秘的な威厳すら感じさせる。


このやぐらの前の階段を上がると、北条政子たちの墓があるのだが、
崖崩れのおそれがあるということで迂回すると、
史上最強に心が折れそうになる「注意文」が・・・。


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一瞬、怯んだが、十分に注意して通行すると墓地に到着。


普通のお墓とやぐらを利用したお墓が混在する、
鎌倉ならでは(?)の光景が、なんともいえない雰囲気を醸し出す。


こちらが北条政子のお墓。


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そばにある源実朝のお墓。


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「吾妻鏡」には、実朝は現存していない「勝長寿院」に葬られ、
北条政子も「勝長寿院」の奥に自ら建てた「御堂御所」で火葬されたという記述がある。


また、この日昼飯を食べた「はぶか」の近くにある「安養院」には、
北条政子の墓と伝える塔もある。


ならば「寿福寺」にある墓はなんなのか?


分骨したとか、納骨はされておらず供養塔だとか、
様々な推測がなされているようだけど、謎らしい。


実朝の墓の近くには、墓地の中でも最大級のやぐらがあった。


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多分、無縁仏の供養堂じゃないかな。


この他にもやぐらが沢山あったが、
全体的に異様な空気感が漂っていて、どうも居心地が悪い。


そして、何よりもスズメバチが怖い。


墓地でも数匹飛んでいた。


スズメバチではない虫も、飛んでいるとスズメバチに見えてくる。


この日、ハイキングを2つこなし疲労も重なったのでしょう。


大好物のやぐらを前にしながら、
佐藤アサトからも珍しいと言われるほど、テンションが上がらなかった。


さて、「寿福寺」の目的は、北条政子、実朝の墓ではない。


「太田道灌の首塚」だ。


iPhoneの地図を拡大して調べると、
先程の「スズメバチ注意」の貼紙の近くに、
源氏山公園に至る山道があるようなので行ってみると・・・。


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またかよ・・・。


本当に萎える。
萎えまくる。


去年のディープツアーにもスズメバチが登場したが、
ここまで頻繁じゃなかった。


今年は台風の本州上陸もあったから、巣が落ちて、
それほどスズメバチはいないと思っていたが、真逆だった。


改めて、ウィキペディアでスズメバチの行動上の注意点を読んでみたけど、
マジで怖い。
戦慄を覚える。


スズメバチ被害の注意勧告を前に、佐藤アサトとどうするか相談。


毎年、ディープツアーでは、何かしら目玉となる場所や史跡に出会うが、
実は今年はまだその類に出会えていない。


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この先に「太田道灌の首塚」がある可能性は高い。


結果、意を決して突き進むことに。


上の写真の右奥に行くと、いきなりの急階段。


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階段を上ると、切通しとあまり見たいことのない雨水を流すための溝。


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ここを通り抜けると右手に墓地がある。
急な階段に坂、道幅も狭く、更にスズメバチの脅威もある。
墓参りするの大変だろうなぁ・・・。


墓地を過ぎた後の道はこんな感じ。


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今日、3度目のハイキングですな。


最良策かどうかはわからんが、
スズメバチを含めた虫を避けるために、
タオルをぶんぶんと振りながら直進。


途中、若いカップル1組とすれ違ったほかは、
誰とも出会わない。


この先にある狭い坂と階段では、手を繋いでは通れないよぉ〜。


暫く山道を登ると、あった!
「太田道灌の首塚」!


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以前より所在地を知りたがっていた佐藤アサトは、大喜び。


しかし、太田道灌は文明18年(1486年)に、
道灌が仕えていた扇谷上杉家の当主・上杉定正(扇谷定正)によって、
伊勢原で暗殺されており、伊勢原市の洞昌院と大慈寺に墓がある。


ではこの首塚はなんなのか?


首塚に刻まれた文字を調べたが、
風化が酷く建立年とかはわからなかった。


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周りの石材の柵の傾きも酷いし、雑草も生え放題。


首塚といっても首や遺骨が埋葬されている首塚はあまりないので、
太田道灌邸跡地の裏山であるこの地にちなんで建立された、
普通の供養塔なのでしょう。


首塚を後にすると、すぐに源氏山公園へ到着。


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昼ご飯を食べた「はぶか」以降、座っておらず、
源氏山公園のベンチで少し休憩しながら、この後どうするか相談。


以降、「ディープツアー2014 鎌倉 PART5」へ続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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