2015年10月05日更新

三河鳥羽〜吉良

【散策記】はなるべく、時系列順に書いている。


順番で行くと今回の【散策記】は、8月17日、18日に行った“伊勢”なのですが、
伊勢神宮は、書くにあたりかなりのリサーチが必要。
(実際に4冊の本を読んでいる)


大変そうなんで、飛ばして伊勢以降の散策ネタを書くことにした。


ということで、8月下旬に行った三河鳥羽〜吉良編。


用事があり、愛知県西尾市吉良町へ行くことに。


吉良町は、「忠臣蔵」で有名な吉良上野介の領地。


先日、「日本史の謎は『地形』で解ける」(著・竹村公太郎)という本を読んだ。


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“「忠臣蔵」は徳川幕府が仕掛けた壮大な復讐劇である”と題し、
赤穂浪士たちの討入り成功と、
その後の徳川幕府の吉良家潰しの理由を吉良町の地形から解き明かしている。


実際にそうであったかはわからんが、
本書の仮説は、なかなか興味深かった。


この他、元寇の失敗の理由、吉原遊郭の移転の狙いなどを、
日本の地形から読み解いており、へぇ〜ってね。


特になぜ徳川家康が江戸に幕府を開いたかの解釈は、驚きです。


異論を唱える人もいるだろうけど、
歴史なんて“諸説あり”の宝庫だし、その着眼点は凄いと思った。


さて、吉良町へ行く日、朝9時東京発の新幹線に乗車。


【控え室】の「車内のお守り」同様、新幹線の楽しみといえば駅弁。
(飛ばしてまだ書いていない伊勢詣での時も、もちろん、駅弁!)


この日、毎度毎度の東京駅の「駅弁屋 祭」で物色したのは、


北海道の「うに いくら黄金鮭弁当」。


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うに、いくらなどの海鮮食材と厚焼玉子そぼろの上に、
塩麹に漬けた肉厚の鮭をどぉーんと盛り付けたこだわりの鮭弁。


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いくらはともかく、日本の朝ご飯といば、鮭!
ということでチョイス。


朝からいくらとは、なかなか贅沢です。


それにしても今年の8月は移動が凄い。


8月上旬に福岡


8月中旬に大阪と伊勢。


そして、今日も新幹線に揺られ吉良町へ向かっている。


かなり眠かったんだけど、新幹線の乗車は名古屋駅までで、
寝過ごしたら…と気が気じゃなく、寝ないまま名古屋駅に。


名古屋駅は、前の週も伊勢に行く際に降り立ってるが、
基本は経由駅だった。


今回も伊勢と同じく、経由駅でしかなく、
東海道本線に乗車し、蒲郡駅へ。


新幹線の後の在来線は、速度の落差が激しい。


もっと速く走れぇ〜ってね。


電車に揺られること40分で蒲郡駅に到着。


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今までの人生で縁もゆかりもない地ですが、
先日、「マンガ落語大全」シリーズを3冊購入。


作者の高信太郎が、蒲郡出身だった。


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プチ奇遇。


そんな蒲郡ですが、県内屈指の観光地との触れ込み。
散策欲が掻き立てられたのですが、いかんせん時間なし。


仕方なく、はす向かいにある名鉄蒲郡駅の改札へ向かうと、
自動改札がない。


本当に県内屈指の観光地のなのか?


でも券売機で購入した切符を駅員さんに渡し、
ハンコを押してもらいながら、


「御乗車ありがとうございます」
「どうもー」


なんて会話を交わすと、忘れていた何かが呼び起こされますね。


地元の吉祥寺駅に自動改札が導入されたのがいつかは覚えていないが、
立川の代々木ゼミナールに通学していた浪人時代(1992年)は、
間違いなく改札に駅員さんが立っていて、切符を切っていた。


機械にタッチして、無機質にピッと改札を通ることに慣れてしまって久しい。


名鉄蒲郡駅の改札を通って階段を登ると、ホームには名鉄蒲郡線が停車中。


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蒲郡駅と吉良吉田駅間の17.5キロを結ぶローカル線。


1時間に2本運行。
実働している電車は、2車両編成の3本だけ。


路線距離5キロの世田谷線よりも運行数が少ない。


そんな名鉄蒲郡線の2車両目に乗り込むと、乗客ゼロ。


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蒲郡駅を出発した後も、貸切状態は変わらず。


蒲郡駅と吉良吉田駅以外、2車両目のドアが開閉しないらしんだが、
それにしてもねぇ…。


2000年代に廃線の危機に晒されたそうで、
それも致し方ないかなぁ…。


車窓から望む光景は、正直、微妙だったんだけど、
5駅目のこどもの国駅が気になった。


関東でこどもの国といえば、横浜市と町田市にまたがるこどもの国。


こんなところにもこどもの国が?ということで、
車内で検索してみたら、横浜・町田だけでなく、
ここ愛知や千葉、滋賀、宮崎、沖縄にもこどもの国があった。


で、愛知県のもこどもの国は、正式名称は「愛知こどもの国」。
小生が生まれた昭和49年(1974年)に開園した遊園施設で、
先程のこどもの国駅が最寄り駅。


とはいえ、駅から徒歩15分!
徒歩15分って結構な距離だぞ!


アクセスの悪さもあるし、
今や近代的な娯楽施設は山ほどあるわけでして、
当然の如く経営難に陥ったようで、2011年には存廃の議論がなされたようだ。


幸い、フロンティア西尾というNPO法人に運営が委託され存続となった。


この存続決定日が3月25日。
小生の誕生日。


開園した年が生まれた年で、存続日が誕生日。
行ったことないけど、なんだか親しみを感じてしまいますな。


公式サイトを見ると、古めかしさを感じずにはいられないけど、
施設的には、立川の昭和記念公園と大差ないんじゃねぇ?って思ったりして。


そうこうするうちに、三河鳥羽駅に到着。


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前の車両に移動してから下車し、
無人駅なので切符を運転手さんに手渡し。


父の実家の最寄駅である江ノ電和田塚駅も無人駅で、
和田塚駅を利用した際には、
当たり前のように乗務員さんに切符を渡していたが、
現在はICカードが導入されている。


和田塚駅の2013年の一日平均乗車人員は602人。


対して、三河鳥羽駅の2013年の一日平均乗車人員は173人で、
名鉄全駅(275駅)中275位、 西尾線・蒲郡線(23駅)中23位だと。


いやー、スゲェ。
蒲郡線どころか、名鉄全駅でビリの駅に降り立ったぞ!


丁度、上下線が三河鳥羽駅に。


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運行している3本中、2つも三河鳥羽駅に!
贅沢だ!


さて、この日の目的地は、
三河鳥羽駅から約1.5キロ先の吉良ワイキキビーチ。


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もちろん歩くわけだが、昼時。


昼に三河鳥羽駅に着くことはわかっていたので、
事前に駅周辺の食事処を調べた。


唯一、駅から400mほどのところにある宝昇苑という店がヒット。


他に選びようがないので、宝昇苑を目指して歩き出す。


程なく、石碑発見。


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刻まれた文字、全く読めず、
なんの石碑なのか皆目見当がつかない。


徒歩数分で宝昇苑に。


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「喫茶・和食・洋食・中華」って…。


入店し、メニューを開くと、看板に偽りなし。


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しかし、高いなぁ。


ラーメン以外で1000円以下があまりない。


値段が手頃な本日の日替わり味噌カツ定食(800円)にした。


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味は・・・


昼食後、引き続き徒歩で吉良ワイキキビーチを目指す。


幹線道路へ出ると坂道。


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山越え?
と少しピヨッたが、グーグルマップによると、
幸い左側の側道がルートだった。


側道に入って暫く歩くと、売地。


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「肴処 しばた」の駐車場の看板はあるが、
肝心の「肴処 しばた」がない。


雑草で解り難いが、黒いコンクリ部分に「肴処 しばた」があったようだ。


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なんか切ない光景ですが、
そのはす向かいの空き地に放置されていたワゴンも泣ける。


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数カ所凹みやサビが見受けられるが、
そこまで汚れていないし、タイヤの空気も入っている。


ナンバーが外されていることから、
きっと廃車代をケチった違法投棄なのでしょう。


このレベルなら、買取してくれそうだが…。


更に進む。
途中、車で出掛ける人を見かけたが、
それ以外、人の気配なし。


過疎化を感じながら歩くと、墓地があり、
その手前の建物の側面に、なかなかの警告文が掲示されていた。


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“墓の中から猫の死骸が出てくる。”
ってどういうことだ?


しかし、何が楽しくて墓を荒らすのだろうか?


それにしても人気がない。


人が住んでいそうな気もするが、
やっぱり廃屋かもという住宅が多々見受けられた。


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廃ホテルもあった。


少子化、人口の都市集中化が進んでいるし、
最寄駅が名鉄全線の平均乗車人員の最下位なんで、
この光景も致し方なしか?


巨大廃墟よりも住宅の廃屋の方が気になる。
かつて家主がいて、生活が営まれていたことを想像すると、
なんとも言えない気分になる。


そんな性分なんで、散策時に廃屋があれば注視してきた。


それなりに廃屋を見てきたが、
こちらの廃屋は、さすがにギョッとした。


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木々が窓ガラスに映り込んでいるのではなく、
建物の中がジャングル。


一体、いつから放置されていたのだろうか?


この写真だと倉庫のようにも見えるが、
横に回ってみると窓にレースのカーテンがかかっていて、
居住空間だったことを忍ばせる。


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灯籠があることからお分かりかと思いますが、
ジャングル廃屋の横の階段上は、寺院。


崎山観音堂。


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元禄10年(1697年)、漁師が海中に光るものを見て、
網を下ろし、引き上げてみると菩薩像だった。


菩薩像を家に持ち帰った漁師は、
その夜、夢の中でお告げを受け、この崎山観音堂を建立した。


現在の建物は昭和60年に再建されたもの。


階段上から撮った一枚。


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電線が相当邪魔。


再び歩き出すと、
本日の目的地、吉良ワイキキビーチが見えた。


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先程まで、リゾート感は皆無だったのに…。


道なりに進みカーブを曲がると、
印刷会社小林クリエイトの保養所の右奥に素晴らしい崖が。


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地層・地質とかまったくわからないけど、
太古の昔は海の中だったのかな?


小林クリエイトの保養所の前が、吉良ワイキキビーチ。


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平成18年6月にハワイ州の観光局から許諾を得て、
宮崎海水浴場と恵比寿海水浴場を合わせ、
「吉良ワイキキビーチ」となったそうだが、
ワイキキっていうのもなんだかなぁ〜のロケーション。


あんまり天気が良くなかったのもそう感じた理由だが、
一番はテトラポッドの存在かな。


海岸線の保護のために必要なものなので、致し方ないけどね。


因みにテトラポッドは、株式会社 不動テトラが、
商標登録をしており、勝手に使えないそうな。


あまりにポピュラー過ぎて、
商標登録されていることがあまり知られていない、
万歩計(山佐時計計器)、宅急便(ヤマト運輸)なんかと同じ。


吉良ワイキキビーチ到着後、夜まで用事をこなし、
ビーチまで呼んだタクシーに乗り、吉良吉田駅へ。


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名鉄西尾線に乗り、一時間ちょいで名古屋駅へ。


この後、名古屋で一杯飲んだんだが、
その居酒屋にあった灰皿が渋かった。


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今は煙草は吸わないから、灰皿不要だけど、
かつてキャビン85・スーパーマイルドを吸っていたことがあったんで、
ついつい懐かしむ。


今思えば、なんで煙草なんて吸っていたんだろうか…。


ホテルに戻り、缶ビールを飲んだ後、爆睡。


東京 → 名古屋 → 三河鳥羽 → 徒歩で吉良ワイキキビーチ
→ 立ちっ放し → 吉良吉田 → 名古屋


結構な移動と立っている時間が長く、疲労困憊。


そして、翌日。
8時半名古屋発の新幹線に乗り、
10時半にはここにおりました。


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横浜みなとみらい。


本日は、こちらで用件を済ませたのですが、
終わったのが夜の10時。


前日の疲れも引きずり、ヘロヘロでした。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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