2016年08月10日更新

鈴ヶ森〜白金高輪

5月末日、平和島で所用があった。


少し距離があるが、京浜東北線の大森駅から歩いて行くことに。


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昼間、大森駅で下車したのは、10年以上前。


当時、携わっていた映画情報番組の映画館紹介コーナーで、
キネカ大森へ取材に行った時以来だ。


駅近くの小路に入ると良い感じの飲み屋街。
その一角にあった飲み屋。


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既に営業しているのか、店内で男性が一人飲んでいた。


5月だが真夏のような暑さ。
ビール、美味いんだろうなぁ。


なんて思いながら、汗をカキカキ、平和島へ。


所用を終えると、まだ日が高い。


ということで、徒歩圏内の鈴ヶ森処刑場跡へ行くことに。


前回、鈴ヶ森処刑場跡を訪れたのは、
日没後だったため、あまりじっくりと見学することが出来なかったので、
これは良い機会。


※関連記事
【散策の部屋】「江戸の刑罰史めぐり」


平和島から歩くこと約1.5キロで到着。


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心霊スポットとして名高いが、上の写真に書いてある通り、
東京都の史蹟(史跡)で、1954年に東京都から文化財の指定を受けている。


江戸時代の慶安4年(1651年)に開設され、明治4年(1871年)に閉鎖されるまで、
数多の罪人が、この地で処刑された。


処刑場ということで、その手の遺構に目が行きがちだが、
馬頭観世音(馬頭観音)の石碑があった。


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ここは東海道の入口なので、流通の要であった馬が死んだ際の供養塔なのでしょう。


こちらは右手が欠けている地蔵尊(?)。


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「天下泰平」「六十六部供養塔」「国土安全」という文字が刻まれている。


「天下泰平」「国土安全」は、街道沿いによく見受けられるらしい。
まぁ、これはなんとなく理解できる。


道中の安全を祈願しているのでしょう。


では、「六十六部」とは?


日本全国66ヶ国にある1国1か所の霊場のことのようだ。


よくわかんないけど、コチラのサイトを読むと何となく把握は出来る。


続いて「御花講新橋」。


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御花講は多分コレかな。


“夏山開きの行事として、大山山頂への木戸(登拝門)の開扉を行う”


落語「大山詣り」でも有名な大山講と関連がありそう。


明治時代の水難者供養塔もあった。


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今でこそ埋め立てられていて、
鈴ヶ森処刑場跡から海までは少し距離があるが、
明治時代、ここはまさに東京湾に面していた。


海で亡くなった人たちなのでしょう。


敷地のど真ん中辺りに、建物が。


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こんなのあったっけ?


真新しい感じなので、最近作られたものなのかも。


この地が処刑場であったことを示すものも、勿論ある。


首洗の井。


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この井戸で生首の血を洗ったのでしょう。


でも石が新しい。
レプリカじゃないかな。


江戸時代のものだったらこんなに綺麗に残っていないような気がする。


一方、モノホンな雰囲気を醸し出しているのが、
磔台と火炙台。


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処刑法については、【散策の部屋】「江戸の刑罰史めぐり」で触れているので割愛。


これ以外にも石碑が多々あり、紹介しきれない。


今回訪れてみて、処刑場だけではない鈴ヶ森の一面を知ることが出来た。


それにしても、5月末だというのに蚊が多く、
5、6ヵ所食われた。


初夏から秋口にかけて、この地を訪れる際は虫除けスプレー必須。


鈴ヶ森処刑場跡から、大井町駅を目指して歩くことに。


第一京浜(国道15号)沿いを歩いていると、
なかなか素敵なデザインのビル発見。


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何でしょう…、レゴブロックで作ってしまうような、
頭デッカチな感じが素敵。


デュオ・スカーラ品川という物件だった。
賃貸料はネットで調べましょう。


数分歩くと立会川駅の傍を流れる立会川。


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立会川の名称の由来は、
鈴ヶ森処刑場に連れて行かれる罪人を、
縁者たちが最後に見送る場所であったからという説がある。


そんな立会川に沿って大井町方面へ歩くことに。


ちょっとした商店街の風情なんだが、
途中、バラック系な工場跡など、そこそこ廃屋があった。


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大都会でも寂れるところは寂れる。


少し歩くと暗渠の入口。


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ここから立会川は源流までほぼ暗渠なはず。


立会川の源流は、今年(2016年)6月23日に発覚した、
バラバラ死体遺棄事件の現場となった碑文谷公園内の池。


なんだか死との関わりが強い川ですな。


因みに碑文谷公園から直線距離で約1キロ離れた清水池公園も源流のひとつ。


暗渠の先は、立会道路なる遊歩道。


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立会道路に限らず、遊歩道のほとんどはかつて川だった。


なので、直線であることはあまりなく、
蛇行をしているのが特徴。


遊歩道といえば、のんびり歩く感じだが、
大井町駅へと通ずるからか、多くの人が行き交う生活路となっていた。


そんな立会道路は、東芝病院を左に見つつ少し歩いたところ、
池上通りで終わる。


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この先は、暗渠となった立会川を思い起こす感じではなかった。


大井町駅西口の方へと歩き、
その西口脇の小路へ突入すると昭和な盛り場が。


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吉祥寺のハーモニカ横丁に通ずる闇市酒場な風情。


あまり独り飲みは好きではないが、
ちょっと惹かれてしまう。


しかし、この日は地元で幼馴染と飲む約束をしていたので我慢。


暫く線路脇の小路を歩く。


実はちゃんと目的があって、
鈴ヶ森からここまで歩いて来た。


それがこちら。


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旧大井変電所。


京浜東北線の前身となる京浜線の電化に合わせて設置された変電所。


変電所の建設年は定かでなく、大正4年と大正11〜12年の説がある。


現在は変電所としての機能を終えている。


この煉瓦の建物を検索するといくつかサイトがヒットする。


その中で、「裏サロマニア」というサイトを見てみると、
変電所に煙突が横付けされている写真があった。


2012年2月にアップされた記事だが、今は煙突はない。


東日本鉄道整備の山手事業所として使用されているとのことで、
煙突は不要となり撤去されたのかな。


あるいは3.11の影響か。


この建物が木々が邪魔して中々難しく、
四苦八苦していると多くの通行人が、
「こいつ何やってんの?」的な視線を浴びせてきた。


いやいや、関東大震災も耐えた大正時代の鉄道遺構ですよ。


しかもかなり保存状態が良い。


そのまま線路沿いを品川駅方面へと歩くと目黒側にぶち当たる。


目黒川沿いを進み品川神社へ行くことに。


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数分で品川神社に到着。


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2013年に佐藤アサトと訪れて以来だ。


※関連記事
【散策の部屋】「品川PART2 品川神社」


なんの部活でしょうか?
ガタイの良い男女混合の大学生たちが、トレーニングしていた。


参道の階段は、いい運動場なんですね。


マッチョメン&マッチョウーメンと擦れ違いながら、
品川神社といえばの富士塚登山口へ。


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もちろん登ります。


山頂からの景色は、微妙。
ということは、知っていたが…。


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パノラマ撮影


かつては目の前が海だった。


その当時の光景を見てみたいな。


2回目の訪問だし、夕暮れということで、
下山後、サックと参拝だけして品川駅へと向かう。


京浜急行の品川〜北品川間にある橋梁、八ッ山路線橋。


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「街場の鉄道遺産 東京23区編」という本を大分前に購入し、
機会があれば、この本に掲載されている鉄道遺産を訪れている。


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先の旧大井変電所もこの本で知った。


八ッ山路線橋も掲載されている。


東海道線と東海道を立体交差させるために、
明治5年に架けられた日本初の陸橋。


大正2年に一度架け替えられ、
昭和5年に同様の橋が横に架けられ、
現在の橋は、昭和60年に架け替えられている。


S字カーブがあるため、この橋を渡る列車は超スローだ。


品川駅へ着き、山手線に乗って帰ろうかとも思ったが、
まだ余力があったので、田町駅まで歩くことにした。


しかし、品川駅〜田町駅間は何もない。


マジで何もない。


これは予測したことだったが、収穫はあった。


この日、有楽町駅から大森駅へと向かう京浜東北線に乗車中、
何気なく窓の外を見ていたら、
品川駅の到着する直前の工事地帯に池のようなものが見えた。


電車は動いているので、じっくる見ることが出来なかった。


よって、品川駅から田町駅に歩く途中、
確認できるスポットを狙っていたところ、
コインパーキングがあり、そこから池を見ることが出来た。


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掘り返したら水が出てきたのか、
それとも雨水が溜まったのか。


海の近くであることを考えると、
前者のような気がしなくもない。


後日、JR東日本、しかも土木関係の仕事をしている知人に、
この品川駅の池について聞いてみたが、わからなかった。


この先、田町駅まで何もなさそうだったので、
進路を変更して、泉岳寺交差点から白金高輪へ抜けていくことにした。


流石に泉岳寺は閉門していたので、
伊皿子坂を歩く。


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左手に見える酒屋の前にかつて公衆電話があった。


その公衆電話で、盟友のナレーター佐藤アサトが、
好きだった女の子にコクったが、フラれたらしい。


そこそこ急な坂を上がっていくと、
パルテノン神殿を彷彿させる巨大な建造物に出くわした。


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幸福の科学 東京正心館。


宗教、儲かりまんな。


高松宮邸の脇の道を歩き、
3年前に佐藤アサトと偶然発見した旧細川邸のシイの木を拝む。


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なんだか3年前より大きくなったような気がする。


※関連記事
【散策の部屋】「品川PART5 大石良雄外十六人忠烈の跡」


シイの木の横にある階段を下って、白金高輪駅着。


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この日の歩行距離は、約10キロ。
ボチボチなキロ数だ。


南北線、中央線を乗り継ぎ、吉祥寺へ。


地元のラーメン屋のぶちゃんに入店。


この日、小学校の同級生で塾の講師をしているHと、
某有名焼き鳥店で働いているKとこの店で飲むことになっていた。


一足先にカキピーをつまみながらビールを飲んでいると、
まずKがやってきた。


実はKとは、4年前に中学卒業以来の再会を果たしたので、
一度も杯を交わしたことがなかった。


そもそもガキの頃、
仲が良かったかというとそうでもないんだが、
至って普通に話が弾む。


暫くするとHが到着。


Hの家まで伊藤家から徒歩30秒ぐらい。
ご近所さんということで、3歳の頃から交流がある。


中学卒業後、疎遠になっていたが、
15年ぐらい前に、今は亡き地元のラーメン屋まんだらやでばったりと会い、
以降、その店で良く会っていた。


しかし、そのラーメン屋が閉店。
営業最終日に会って以来、Hが登戸在住というのもあって、
また疎遠になってしまっていた。


Hの両親とはちょいちょい道で出会うものの、
実家に帰ってこないのか、Hと顔を合わすことがなかった。


ところが、5月頭の深夜にセブンイレブンで買い物をしていたら、
Hから声を掛けられた。


ここ最近は週1で実家に帰っているという。


近々、飲もうとなり、Kも誘い、この日実施。


やたらとKが同級生の現在に詳しく、
いろいろと情報を得られた。


小生が中学生の時、恋心を抱いていたTさんは、
少し前にKの働く店に来たそうだ。
<br>
結婚して子供もいるが、
容姿は中学生の頃とあんまり変わらないという。


会いたいような、会いたくないような…。


記憶から完全消去されていた同級生の話題にもなり、
紹興酒のボトルを空けてしまうぐらい大いに盛り上がった。


〆にラーメンを食べた。


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前回のぶちゃんのラーメンを食べたのは、15年以上前だ。


こんなに美味かったっけ…。


閉店の1時まで居座ったが、飲み足りない!
ということで、ラム酒バーのスクリュードライバーへ。


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<br>
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結構、酔いも回っていて、
何の話をしたのかサッパリ覚えていないけど、
楽しかったのは、よく覚えている。


それぞれ1杯だけ飲んで、お開き。


なんだか最後は散策とは程遠い内容になってしまいましたが、
とても充実した1日だった。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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