2017年07月20日更新

千葉内房 PART4 鋸山登山道

<千葉内房 記事一覧>
「千葉内房 PART1 保田駅〜日本寺参道」
「千葉内房 PART2 日本寺」
「千葉内房 PART3 鋸山頂上エリア」




「千葉内房 PART3 鋸山頂上エリア」からの続き。


登ってきた日本寺とは反対側にある登山道から下山をすることに。
ここから2人のテンションを上げまくる光景が連発する。


登山道に入り、少し下るとすぐにこれ。


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スゲェ〜。


鋸山に残る最大垂直96mの石切り場跡で、
ラピュタの壁と呼ばれているらしい。


一体どうやって石を切り取ったのだろうか?


そんな疑問を解説板が解決してくれた。


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機械なんてない時代から石切りは行われていたわけで、
昔の人たちの知恵に感服。


鋸山のハイキングコースの魅力は、石切り場跡だけではない。


ロープ手すりの階段。


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急なうえ、ぬかるんでいる。


階段を下ると、
先程のラピュタの壁を別の角度から拝むことができる。


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天辺の部分がニット帽に見えなくもない。


更に急な階段を下る。


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ここで分岐。


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観月台方面行くと関東ふれいあの道コースで、最も早く下山ができるのだが、
まだまだ石切り場跡がいくつかあるようなので、反対側へと歩を進める。


途中、目線を上に向けると鋸山の頂上、
地獄のぞきが見える。


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こうやってみると凄いせり出し方をしている。


上からの光景も壮観だったが、
下から見ても鋸山は凄い。


続いて辿り着いたのは、
安政時代から「総元締め」と呼ばれ、
最も有力な石材業者であった芳家石材店の石切り場跡。


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最有力なだけあって、広い。


壁面には「安全第一 芳屋石材」の文字が彫られている。


ここから切り出された石材は、
横浜市港の見えるが丘公園、靖国神社、
早稲田大学大隈講堂に使用され、現在も残っているとのこと。


大きな広場の脇に階段があり、
そこを登っていくと、
この日、最大の萌える光景が突如現れた。


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放置された石切り用の機械たち。


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トヨタのショベルローダー。


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芳家石材店は、鋸山で最後まで採石を行っていたが、
昭和57年(1982年)に終焉を迎えたそうなので、
35年間置き去りにされたままということか。


石を切り出すために一生懸命動いていたのに、
放置されてしまった…。


なんかたまならく切ない。


そんな思いを抱きながら、ガシガシ写真を撮っていたら、
その場で同じく写真を撮っていたおじさんに、
「撮影ポイントがたくさんあって大変だなぁ」と話しかけれた。


まったくをもってその通り。


機械やショベルローダーだけでなく、
切り出されながらも使用されることなく、
苔にまみれている石材も物悲しい。


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この芳家石材店の石切り場跡は、
間近で断面を見ることが出来る。


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縦の線がいくつも入っているが、
これは何の跡なのだろうか。


所々に丸い穴もある。


最有力者の石切り場だけあって、
スケールがデカイ。


巨大な岩舞台。


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切り出した石材を運ぶための機材と思しき遺物。


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とにもかくにもこの石切り場は、ツボだらけだった。


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ベストショット


先に進むとやや開かれた斜面があった。


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石材を運ぶための機材と直線で結ぶことができるので、
石を運び出すためのルート跡なのかも。


続いて、観音洞窟と呼ばれる石切り場跡へ。


IMG_1068_RRr.JPG


見とれてしまう。


ここでは垂直な壁面を切り出し始める際にのみ行なわれる
「垣根堀り」という難しい技法が用いられているそうな。


確かに下の写真を見ると縦縞の線が確認できる。


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また階段状に切り出しているのは、崩落防止らしい。


しかし下部の穴を除くと落石が見られた。


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もしかしたら、崩落や落石ではなく、
切り出した際の石の欠片を捨てたのかもしれない。


さて、この石切り場跡の名前がなんで観音洞窟なんだろう?
と思って調べたら、観音様の彫刻が彫られているという。


写真を拡大して調べたらあった。


kannnon_RRr.jpg


現場では全く気が付かなかった。


さらにビリケンの絵が描かれているらしく、
探してみたら、これも写真に写っていた。


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簡単に掘ったり描いたりすることの出来る場所ではないので、
もしかしたら石切り場の作業員の人が、
安全祈願や招福の御利益を祈ったのかもしれない。


と思ったら、正面中央部分に落書き発見。


rakugaki_RRr.jpg


薄くてはっきりしないが、ナマズのような絵が描かれている。


あと上部中央の煉瓦のような積み石も気になった。


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これも崩落防止策なのかな。


もうひとつ目を引いたのが、
向かって左側に取り付けられた金属片。


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足場の跡?


名残惜しいが、登山道を進む。


すると雨水もしくは湧水によって出来たと思しき池が出現した。


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モリアオガエルの生息地とのこと。


モリアオガエルは、千葉県では絶滅危惧II類(VU)に指定されている。


続いて我々の目を楽しませてくれたのが、切通し。


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意外と木の階段とマッチしている。


切通しのすぐ傍にはまた池があり、
こちらには鯉が泳いでいた。


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誰かが放したのでしょう。


つがいではないようなので、
いずれはこの池から鯉はいなくなる。


切通しを抜けると分岐。


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東京湾を望む展望台(地球が丸く見える展望台)も魅力的だし、
もうひとつ石切り場跡があるが、
この時点で13時を過ぎており、
そろそろ腹も空いてきたし、
次のスポットへ行く時間も考慮しなくてはならない。


恒川光太郎と相談した結果、
現在地から最も早く浜金谷へ辿り着く車力道コースで下山することにした。


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そして、この選択が正しかったのを知ったのは、後のこと。


後日、インターネットで鋸山登山道を調べたら、
東京湾を望む展望台方面を回って浜金谷へ至るルートは、
初心者や軽装備の観光客が挑むには、たいそう危険なルートだった。


途中から木にくくりつけられたリボンを目印にして、
道なき道を進まなくてはならない。
ロープを伝って岩肌を登ったり降りたりする必要もある。


さらには、ライト必須な30メートルにも及ぶ手彫りのトンネル(外灯なし)や、
登山靴でないと足がえらいことになるぬかるみなど、難所だらけ。


【プチ遭難をしたという記事】
「鋸山ハイキング 安兵衛井戸と沢コースで山頂へ!プチ遭難」
「房総ENJOY-LIFE」


youtubeの動画



ある程度の装備と事前の準備と心構えがあれば、
大したルートではないのかもしれないけど、
この日は、登山靴じゃないし、軍手もライトもない。


行かなくて良かった…。


我々が鋸山を訪れる1週間ぐらい前に、70代の男女が遭難死した。


千葉日報の記事


「鋸山で遭難?なんで!?」と不思議に思ったが、
有り得ない話では全くないと思った。


330mの低山とはいえ、山を舐めちゃいけませんね。


さて、車力道コース。


分岐から降ること数分で、車力道コースの解説板に出くわす。


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「車力道」は鋸山から切出された「房州石」を麓まで運び降ろした道です。
石を運ぶ人達は「車力」と呼ばれ、主に女性の仕事でした。


一本80Kgの房州石三本を「ねこ車」と呼ばれる荷車に載せ
石を敷いた急な坂道をねこ車の後ろを引きずりブレーキをかけながら下りました。


麓や港で石をおろしたあと石切り場に戻るには、
空になったねこ車を背負いながら急な坂を登ります。


車力の仕事は一日三往復…



この解説を読んだ恒川光太郎は、
「女性が石を運んだの?しかも三往復?
 過酷過ぎない?」と古の女性を案じていた。


解説板には当時の女性たちを写した写真も掲載されていた。


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その写真の下には、石切り場から港まで、
どのように切出した石を運んだかの図解。


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石切り場からは丸太の滑り台。


芳家石材店と観音洞窟の石切り場の間にあった斜面が、
丸太の滑り台の遺構なのだろうか?


車力道の石畳を見ると、溝が出来ていた。


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重さ240キロのねこ車が通ったために、
石が窪んだのかもしれない。


石畳を下っていくと、
鎌倉の切通しを彷彿させる光景。


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なんだけど、鎌倉の切通しは岩肌を削っているが、
ここは鋸山なんで、切出した石を置いたような感じ。


一方、これは切通しでしょう!という場所も。


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そんな道を歩きながら、
恒川光太郎と最近読んだ本の話を交わす。


作家と本の話をするのはなかなか貴重な経験だ。


そうこうしながらまたポイント。


索道跡(さくどうあと)。


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単なる木の棒が突き刺さっているだけなんだけど、
石切り場から石を運搬するシステムの遺構。


索道は石切り場から麓までワイヤーケーブル(索道)を使って、
石材を運搬するシステムのこと。


鋸山では大正時代から用いられ、
2本のワイヤーに滑車を乗せ、
滑車に取り付けた荷台に石材を一本乗せ、
一気に滑り降ろした。


2本の木は、ワイヤーを括るためのもの。


芳家石材店の石切り場跡に運搬用と思しき遺構があったが、
その予想は間違いではなかったようだ。


索道の終着点あるってことは、鋸山の麓ってこと。


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鋸山下山。


鋸山は、標高329.4mの低山だけど、見所満載。


我々のように日本寺から登って、登山道で下山もありだし、
ロープウェイを利用して、日本寺or登山道で降りても良い。
往路をロープウェイという気楽なルートもある。


人それぞれの体力や目的によって、
登ることの出来る素晴らしい山だと思う。


上級者向けのルートもあり、
次回、訪れる機会があったら是非挑戦してみたい。


以降、「千葉内房 PART5 浜金谷」へと続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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