2018年08月11日更新

【掘り起し企画】下馬〜池尻大橋〜代田橋〜若林 2014

訳があってUPしなかったり、書かなかった散策ネタがある。


2013年6月に国士舘大学へ行った際、
「世田谷 2013 PART1 松陰神社」を綴ったが、
実はこの後、何度も国士舘大学へ行っていた。


IMGP2303_RRr.JPG
国士舘大学最寄駅の世田谷線松陰神社駅


用事の合間を縫って、世田谷線の停車駅界隈を中心に、
いろんなところを散策した。


1日で世田谷線の起点・終点となる下高井戸駅から三軒茶屋駅まで、
トータルで踏破してしまった日もあった。


世田谷線沿線は見所満載で、その取れ高はかなり膨大となり、
なんだかまとめるのが面倒くさくって【散策記】に着手することなく今に至っていた。


今回はその一つ、2014年7月13日、
国士舘大学を起点として実施した散策について、
思い出す限り書いてみようと思う。


前日の7月12日も国士舘大学へ用事があり、
合間に散策をすることにしたのだが、
すでに近辺は行き尽くした。


調べた結果、三軒茶屋にレンタルサイクルがあったので、
この日は、自転車で桜新町や二子玉川方面へと繰り出した。
(2014年7月12日の散策記を書くことはあるのだろうか…)


翌13日、今日は何処へ行こうか迷っていると、
同じく散策好きのナレーター・佐藤アサトから、
「下馬、池尻大橋の戦跡を巡ってみたら?」というメールが届いた。


メールにはあるサイトのURLが貼られていた。


「東京蒐集録 都内に残る旧日本軍の遺構 世田谷編」


戦跡大好き。
即決。


行動範囲がそこそこ広域だったので、
三軒茶屋のレンタルサイクルを連日活用。


朝8時半、チャリにまたがりまずは下馬団地を目指す。


三軒茶屋交差点からものの数分で到着。


IMGP2307_RRr.JPG


団地も大好き。
寂れていれば寂れているほど愛おしい。


下馬団地、良い感じだ。


しかし、調べてみると正式名称は都営下馬アパート。


賃貸情報のサイトによると、
アパートは木造や軽量鉄骨造などで2階建て以下の共同住宅。


下馬アパートは定義に反するが、
元々軍用施設「駒沢練兵場」の跡地に建てられた物件で、
一番古い建物は昭和31年(1956年)。


その頃は団地とアパートの明確な定義の違いなど、
なかったのかもしれない。


上の写真でわかるとおり、アパート1階の店舗は廃業状態。


辰巳の都営住宅(辰巳団地)もそうだが、
古くからある共同住宅団地には、敷地内で生活が事足りるよう、
スーパー、薬局、郵便局、美容院などが併設されていることが多い。


しかしながら、その多くが店を閉め、
新たにテナントが入ることもない。


下馬アパートは、なんでも揃っている三軒茶屋が徒歩圏内なので、
これらの店がなくても、生活に支障はなさそうだが、
陸の孤島状態の団地の場合は、そうもいかないだろう。


現在、団地の住民の多くは、高齢者だ。
ちょっと遠くへ買い物に行くのは難儀でしょう。


今のご時世、スーパーやコンビニの宅配サービスも充実しているから、
以前ほどの苦労はないとは思うけれど。


共同住宅地(団地)に惹かれる理由のひとつとして、
給水塔が挙げられる。


IMGP2309_RRr.JPG


給水塔はタンクが球体、お椀型、円盤型など様々だが、
箱型の給水塔は、1位、2位を争うぐらい好きな形。


外壁塗装の剥がれっぷりがたまりません。


こちらは下馬アパートの一角にあったゴミ捨て場?


IMGP2308_RRr.JPG


後に地蔵尊があるのですが…。
バチが当たるぞ。


下馬アパートの中心には公園があり、
そこには観音像や馬魂碑、たぬき(?)などの石碑群がある。


IMGP2313_RRr.JPG


IMGP2311_RRr.JPG


馬の供養塔は馬頭観音が多く、
馬魂碑というのは珍しいのでは?と思って調べてみたら、結構あった。


たぬきの左側にある碑には、
「軍馬梨山号 昭和十一年一月二十四日殉職」と刻まれていた。


かつてこの地が軍用施設であったことを偲ばせる。


この公園の近くにボロボロの木造長屋がある。


IMGP2319_RRr.JPG


今は東京世田谷会館という名称で、
在日韓国人向けの施設として利用されているようだが、
元々は日本陸軍の兵舎。


ところどころ修繕が施されてはいるが、
「築何年?」と思わずにはいられない。


IMGP2316_RRr.JPG


よく311とかで倒壊しなかったな。


現役なのがとにかく凄いと思うのだが、
かつて軍用施設だった建物が、
在日韓国人の施設になっているのも凄い。


続いて「東京蒐集録 都内に残る旧日本軍の遺構 世田谷編」
の情報と地図を頼って、池尻方面にある戦跡を探しにチャリを走らせた。


池尻2-23にある都民生協の倉庫とヤマト運輸三宿営業所。


IMGP2321_RRr.JPG


IMGP2325_RRr.JPG


IMGP2324_RRr.JPG


何の変哲もない建物だが、実は軍事遺構。
かつては軍馬の餌を保管する馬糧倉庫として利用されていた。


軍用施設だったということは、言われないと全く分からない。


この倉庫の裏手にある細く入り組んだ路地の一角に、
「陸軍用地」と刻まれた境界石が残っているというので探してみた。


すると鳥居を構えたお堂があり、中を覗くと庚申塔が2体安置されていた。


IMGP2327_RRr.JPG


解説板によると、
「世田谷区内で確認されている二百五体の庚申塔の中、
 二体がこのお堂に安置されている。
 一体は延宝八年(1680)の庚申の年。
 他の一体は次の申(サル)年の元禄五年(1692)の造立となっている。
 この庚申塔は邪鬼をふんづけた姿の青面金剛とその下に三猿を掘った石仏である」
とのこと。


青面金剛(しょうめんこんごう)と見ざる聞かざる言わざるの三猿は、
庚申塔ではポピュラーなものだが、風化が少なく保存状態がとても良い。


それにしても世田谷区には205体もの庚申塔があるのか…。


武蔵野市なんて、片手で足りるぐらいしかない。


明暦の大火以降に発展した歴史の浅い武蔵野市と、
それ以前から人が暮らしていた世田谷区との違いを如実に表している。


お堂の前には猿の石像。


IMGP2328_RRr.JPG


申(サル)に因んでいるのだろうけど、
あまりこの手の猿の石像は見たことがない…、
いやあるなぁ…赤坂の日枝神社にいた。


【関連記事】
「日枝神社〜信濃町」


同じ猿でも日枝神社とこの猿とでは、
多分、意味合いが異なるのでしょう。


統一感がないのも日本の信仰の特徴。


目的の境界石が見つけられず、ウロウロすること数分。
ようやく発見。


IMGP2332_RRr.JPG


刻まれた文字が薄すぎるが、確かに「陸軍用地」と書かれていた。


IMGP2333_RRr.JPG


境界石のすぐ傍に墓地があったんだが、
そこには下馬団地の公園と同じように、ちょっとした石碑群が。


IMGP2336_RRr.JPG


世田谷区って金持ちが多く暮らしていて、
お洒落で洗練された街並みというイメージがあるけど、史跡の宝庫だ。


続いて、国道246号近くの池尻稲荷神社へ。


「東京蒐集録 都内に残る旧日本軍の遺構 世田谷編」によると、
神社の脇にかつて軍用として使われていた排水溝があるという。


陸軍用地境界線から細い路地を下ると、
すぐに池尻稲荷神社。


神社の脇に確かに排水溝があった。


IMGP2345_RRr.JPG


しかし「東京蒐集録」の管理人さんは、
この排水溝が軍事施設の遺構であることをどうやって知ったのだろうか。


折角来たので参拝。


IMGP2344_RRr.JPG


公式HPによると明暦年間(1655年〜1658年)に創建されたようだ。
その他の由緒は公式サイトで。


「東京蒐集録」を参照して、次に目指したのが近衛輜重兵大隊跡。


「近衛輜重兵大隊」


コピペしたけど、読めんわ!


“このえしちょうへいだいたい”


輜重兵(しちょうへい)とは?
以下、まんまウィキペディアから引用。


「戦闘地帯から後方の、軍の諸活動・機関・諸施設を総称したもの。
 戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、
 また、実施する活動を指す用語でもあり、
 例えば兵站には物資の配給や整備、
 兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。」


そんな近衛輜重兵大隊跡地にあるのが、室内射撃場跡。


IMGP2349_RRr.JPG


かつて室内射撃場だったなんて、
言われなきゃ絶対にわからない。


建物の前には工事用の柵が設置されていることから、
恐らく近日中に解体なのかな。


そんな予測もあってか、普段は一つの建物に対して撮影枚数は少ない方だが、
この物件に限っては、割と多目にシャッターを切っていた。


IMGP2350_RRr.JPG


IMGP2353_RRr.JPG


IMGP2360_RRr.JPG


この室内射撃場施設の真ん前、丘陵の下は更地。
なんかデッカイものが建ちそうだ。


IMGP2354_RRr.JPG


屋内射撃場からすぐのところにある天覧台碑。


IMGP2362_RRr.JPG


かつてこの地にあった陸軍騎兵隊学校の卒業馬術を、
明治天皇と大正天皇が展覧したという碑。


室内射撃場施設を挟んで、
反対側の真新しいマンション群の一角には、
死んだ軍馬の慰霊碑である馬神の碑。


IMGP2346_RRr.JPG


碑の前には蹄鉄が備えられているが、
没した軍馬のものなのだろうか?


馬神の横には、奇妙な階段。


IMGP2347_RRr.JPG


この手の意味不明な「超芸術トマソン」的建造物は、
割かし古いものが多いが、これは新しい。


以上が下馬、池尻大橋の戦跡散策。


一旦、チャリで国士舘大学へ。


すぐ傍の松陰神社の横に以前から気になっているものがある。


鳥居と巨大な石碑の一部が見えるのだが、
何故か入口が見当たらないのだ。


IMGP2368_RRr.JPG


功績を讃えた頌徳(しょうとく)碑の様だが、
誰のものなのかわからない。


側面には西郷隆盛、大久保利通の名前が見られるのだが…。


近くに第11・13・15代内閣総理大臣桂太郎の墓があるが、
彼の碑?


国士舘での用事をサクッと終え、再びチャリで散策へ。


井の頭線の東松原駅の周辺に寺が沢山あるようなので行ってみた。


途中、道のど真ん中に地蔵尊。


IMGP2373_RRr.JPG


徳明地蔵尊というお地蔵さん。
動かすと祟られるのだろうか?


東松原駅の近くは、やはり寺だらけだった。


IMGP2375_RRr.JPG


IMGP2379_RRr.JPG


詳細は面倒臭いので割愛。


傍に羽根木公園があったが、
羽根木公園といえば、梅ヶ丘駅。


東松原駅と梅ヶ丘駅は、徒歩圏内であることに気づかされる。


電車だと井の頭線で下北沢まで行って、
小田急に乗り換える必要があるので、遠くに感じる。


つくづく東京都って新宿以西は、
縦の線を結ぶ鉄道が少ないなと思う。。


東松原の寺町から自転車を返却するために三軒茶屋へ向かう道すがら、
京王線代田橋駅近くの環七にある玉川上水の遺構を見に行く。


環七の手前にこじんまりとした寺(?)があった。


IMGP2381_RRr.JPG


代田不動尊。
中には不動明王。


IMGP2383_RRr.JPG


不動明王の背後の炎がきめ細やか。


そんな不動明王ですが、縁起とか由緒とか不明。


目的の環七にある玉川上水遺構である環七の下をくぐる地下道。


IMGP2384_RRr.JPG


この環七横断地下道を含めた緑道が、かつて玉川上水だった。


普段、この地下道を生活道として利用している方々にとっては、
何の変哲もない見慣れた光景でしょう。


しかし、そうではない者からすると、
この地下道は異彩を放っている。


入口には「管・綱材が露出していますので頭上にご注意ください。」
という注意書きが掲げれていた。


その注意書きの通り、地下道は水道管剥き出し。


IMGP2385_RRr.JPG


地下道の中ほどには、補強のためと思しき横串の鉄筋。


IMGP2386_RRr.JPG


かなりの威圧感。


大嫌いな映画『アレックス』が思い浮かぶ。





キ●●イ監督ギャスパー・ノエが手掛けた作品で、
9分間にも及ぶ地下道でのモニカ・ベルッチのレイプシーンが、
物議を醸した問題作。


さらにかつてここに架かっていた橋の橋脚と思われるアーチも登場。


IMGP2387_RRr.JPG


アーチの下には監視カメラが設置されており、
『アレックス』の真似が出来ないようになっていた。


ほんの数十メートルの地下道だが、インパクト大だった。


2014年にアップされたこの地下道を紹介する「東京DEEP案内」の記事を見ると、
地下道の外壁が汚い。


塗装が施されたようだ。


さて、吉祥寺に住んでいる者として、玉川上水は身近な存在だが、
高井戸から先は、ほとんど暗渠。


ところがこの緑道の代田橋駅の近くに、
玉川上水が地上に出ている明渠があるというので行ってみた。


こちらが開渠部。


IMGP2394_RRr.JPG


この写真だと水質が悪そうだが、
実際には水は透き通っていた。


代田橋駅の近く。


IMGP2395_RRr.JPG


玉川上水は、今から365年前の1653年、江戸の水不足を解消するため、
幕府の命を受け、玉川兄弟によって羽村〜四谷大木戸間が開通した。


そういえば、羽村、行ったな。


【関連記事】
「羽村取水せき」
※いま読み返すとちょっとガクブルな文面だ…


代田橋付近は、水にまつわる要所が多い。


ここから徒歩圏内に和田堀給水所がある。


近々、解体されるという話を聞いていたので訪問。


周りは柵に囲まれており、その隙間から撮影。


IMGP2401_RRr.JPG


解体間違いなし。


小型ダムの様なコンクリ、避雷針?を携えた塔、
土手の上にある洋風の東屋が美しい。


特にコンクリの壁と階段はコロシアムみたい。


和田堀給水所に沿って歩き、
柵の間から撮影可能なポイントでシャッターを切る。


IMGP2404_RRr.JPG


コンクリ壁も素敵だが、
手前の蔦まみれの建物も素晴らしい。


細目をした髭面の人みたいな外観だ。


こちらも隙間から撮った一枚。


IMGP2405_RRr.JPG


やっぱりコロシアムみたいだ。


右側に放置されている巨大水道管も良い。


撮影するのが困難なぐらいの“壁=工事用バリケード”が多く、
なんだか近寄りがたい給水所なんだけど、
かつては敷地内の一部が一般開放されていたみたい。


公開中止は2014年。
この写真を撮ったのは、2014年7月13日。


もう少し早く来ていれば…。


解体されてしまったかどうかが気になり、
後日、和田堀給水所を再訪している。


2016年11月28日、明治大学での所用の合間に状況を確認。


IMG_0484_RRr.JPG


IMG_0478_RRr.JPG


IMG_0482_RRr.JPG


給水所は残ってはいるけど、
早晩、解体される感がプンプン漂っていた。


特に井の頭通り沿いの工事車両入口は、それが顕著。


IMG_0479_RRr.JPG


歴史的な建造物がどんどん解体されていく。
なんだか寂しいね。


話を2014年の散策へ戻す。


和田堀給水所から激チャリで三軒茶屋へ行き、自転車返却。


国士舘大学での所用までまだ少し時間があったので、
三軒茶屋から松陰神社まで歩くことに。


途中、若林駅近くにある若林稲荷神社へ立ち寄った。


IMGP2417_RRr.JPG


小さな神社だが、毎年9月に行われる秋祭りには、
多くの人々が訪れるようだ。


縁起等はコチラのサイトが詳しい。
「世田谷散策記 世田谷の秋祭り」


世田谷線の線路と環七が交差する若林踏切。


IMGP2422_RRr.JPG


環七唯一の踏切だ。


世田谷線が高架化する可能性は極めて低いと思うので、
環七を踏切レスにするためには、
環七が地下に潜るしかなさそうだ。


若林は、少し切ない思い出の場所。


2008年の5月末にこの世を去った友人・ぶーちゃんが、
すぐ傍のマンションに住んでいたのだ。


IMGP2420_RRr.JPG
どのマンションだったかは覚えていない


小生が映画業界に入って程なく知り合った仕事仲間。
その後、同僚。
そして、ライバルであり、友達だった。


毎年行ってる海旅行の第1回メンバーであり、
その後、何度も一緒に行っている。


海以外も頻繁にどこかへ行っていた。


当時、自家用車を持っていたので、
遊びに行く際は車を出したんだけど、
ぶーちゃんは、都度、迎えに来て、送ってと甘えてきた。


俺はお前のアッシーじゃねぇ。


と思いつつも何度か送迎してあげた。


ぶーちゃんが小生の車に乗り降りするのは、
常にこの若林の踏切付近だった。


夜でも交通量が多いので、
駐車していると他の通行車両の迷惑になるのだが、
ぶーちゃんがなかなかマンションから出て来ない事しばしば。


マイペースだったぶーちゃんが逝去してからもう10年か…。
最近、墓参りに行っていない。


【関連記事】
#233『ぶーちゃんは悠久の向こう』


若林駅から松陰神社駅は一駅。
アッという間に到着。


一旦、国士舘大学へ行った後、
帰宅するために松陰神社駅へ。


駅近く、線路沿いにあるラーメン屋と鄙びたレコード店。


IMGP2426_RRr.JPG


IMGP2425_RRr.JPG


千昌夫、最近見ていないな。


因みにこの建物は、現在はもうありません。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.t-shirt-ya.com/blog/cgi/mt-tb.cgi/2763

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)




リンク

プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
Powered by
Movable Type