2018年07月26日更新

六浦〜田浦〜鎌倉 Part6 鎌倉

<六浦〜田浦〜鎌倉 記事一覧>
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part1 序章」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part2 八景苑」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part3 鷹取山」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part4 がらめきの切通し」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part5 田浦」




「六浦〜田浦〜鎌倉 Part5 田浦」からの続き。 


横須賀線に乗車し田浦駅を出発後、
このまま東京へ戻るか否か葛藤しながら、
東逗子駅、逗子駅近辺での散策ポイントをスマホで探す。


しかし、これと言って萌える物件がない。


そうこうするうちに東逗子駅を過ぎ、逗子駅を過ぎ、
横須賀線は鎌倉駅のホームへと進入していった。


時刻は16時。
まだ日没までに時間がある。


この時間から鎌倉で、何が出来る?
今日は父の墓参りに行ったのだから、
最後に父の地元であった鎌倉散歩も悪くない。


で、下車したんだが、ホーム、駅構内、
すげぇー人。


田浦駅のホームなんて10人以下だったよ。


とりあえず、東口よりは人が少ないと踏んで西口へ。


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すげぇー人。


鎌倉の観光と言えば、東口側に集中していたのだが…。


先述の通り鎌倉は、この日墓参りへ行った父の実家があった地。


小さい頃から高校生ぐらいまで、
毎週のように父の運転する車で、
祖父母の住む家へ遊びに行っていた。


いわば第二の故郷だ。


2011年に鎌倉出身のナレーター佐藤アサトと一緒に、
鎌倉の散策をして以降、何度か鎌倉には訪れている。


「ディープツアー2011 鎌倉 PART1」
「鎌倉」
「ディープツアー2012 鎌倉 PART1」
「ディープツアー2013 鎌倉PART1」
「ディープツアー2014 鎌倉 PART1」
「ディープツアー2016 特別編 序章」


最後に鎌倉へ来たのは2016年。
西口界隈を少し見て回ったのは、2014年。
祖父母の家があった和田塚方面へ行ったのは、2011年が最後。


ついこの前の様な気がするが、西口界隈は4年前、
和田塚近辺は7年も前。


開発が進む今のご時世、
街並みが大分変っている可能性があるので、
縁の地を見て回ることにした。


まず西口駅前広場から由比ガ浜大通り間を貫く、
御成門商店街へ。


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2011年に通った時は、ガキの頃に見た光景と少し異なりはしたが、
そこまで違和感を覚えなかった。


しかし、あれから7年。
御成門商店街は、スイーツ商店街へと変貌していた。


上の写真は、商店街途中から鎌倉駅西口方面に向かって撮ったもの。
人が多い辺りにスイーツ店が群雄割拠していた。


店内には若い女の子たちであふれ、
商店街には3月だというのに浴衣を着た女性が、
スイーツを頬張りながら歩いていた。


かつて多くの商店街は、主に地元民のためのものだった。
八百屋があり、魚屋があり、肉屋があり、文房具屋があり、
本屋があり、金物屋があり、銭湯があった。


でも今は、観光客を目当てにしないとやっていけない。


御成門商店街も、いくら鎌倉という観光地であったとしても、
この日訪れた京急田浦駅近くの仲通商店街や、
都心とは思えない寂れ感が半端ない山谷のいろは会ショップメイトといった、
時代に取り残された商店街に成り得る可能性はあったと思う。


そうならなかったのは、鎌倉御成商店街協同組合が、
時流に乗るべく、柔軟に対応したからなのでしょう。


新しい店がオープンする一方で、昔ながらの店もある。


それが鳥一。


祖母は小生が鎌倉の家に来る時、
かなりの頻度で鳥一の唐揚げやコロッケを買って来て、
食卓に並べてくれた。


特に鳥の唐揚げは、衣がしっとりとしていて柔らかく食べやすい。
味は醤油ぽいしょっぱさが軽く付いていた。


未だ忘れ難く、久々に食べてみたいと思っていたのだが…。


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定休日…。


ついていない。


御成門商店街のもう一つの思いでの店といえば、
鳥一の目と鼻の先にあるくろぬま。


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2011年に【散策記】を始めてから、
くろぬまに訪れたのは3度目。


毎回、外観が異なる。


「ディープツアー2011 鎌倉 PART1」


「ディープツアー2014 鎌倉 PART3」


2014年と2018年とを比べると、
若干異なるところが見受けられるが、
そこまでの変化はない。


しかし、2011年から2014年への変貌は凄まじい。


この度、くろぬまのことを調べていたらその原因が判明した。


それは台風。


「鎌倉から、空冷ビートル好きのつぶやき♪」というサイトに、
2011年9月に襲来した台風によるくろぬまの被災情報が掲載されていた。


その被害は衝撃的だった。


1階部分が半壊。


小生がくろぬまを2011年に訪れたのは8月。
台風の被害を受ける前。


次いで、2014年にくろぬまを見た際の変貌ぶりに驚いたわけですが、
その理由が分かりました。


「鎌倉から、空冷ビートル好きのつぶやき♪」に掲載されている写真を見ると、
よく存続したなぁ〜とさえ思う。


鎌倉市はくろぬまを歴史的建造物として認定した方がいいよ。


店内に入り店員さんをみると、
くろぬま名物の老店主の姿が見えない。


2014年訪問時は健在だったが、
あれから4年…。


ネットでいろいろと調べたみたところ、
2016年の夏頃までは、店に立っていた模様。


女性の店員さんに聞けばよかった。


そして、驚いたことに、くろぬまがtwitterをやっていた。


かなりの頻度で投稿されているのに、
殆どの記事がコメント、リツイート、いいねがゼロ。


フォロワー数は217とかなり寂しい。


由比ガ浜大通りへ出る。


ガキの頃と変わらぬ店構えの浜勇商店。


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祖母は商店街でいろいろと食材を買っていたが、
この店ではあまり買い物をしていなかった。


あまり思い入れのある店ではないが、
店名に恥じない昔と変わらない由比ガ“浜の勇”姿が懐かしく、
存続していることが嬉しくて仕方がない。


一方、浜勇商店のはす向かいは対照的だ。


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2016年6月に放送されたテレ東の「アド街ック天国」で、
江ノ電を眺めながら、料理を楽しめるレストランとして紹介された、
2015年4月に開店したFARM TO YOUが、なんと閉店していた。


ほぼほぼ同じようなコンセプトで、
2017年2月にオープンしたのが、AWkitchen GARDEN 鎌倉。


うちのじいちゃんの家は、
団らんの場であった居間から江ノ電が見えたんで、
それとあんま変わらない!?


若宮大路へ出て、引き続“思い出”を求めて鎌倉駅方面へ歩く。


横須賀線の高架を潜ってすぐ右手の秀吉。


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本日休業のこのやきとり屋は、
「ディープツアー2011 鎌倉」で、佐藤アサトと旅の〆として訪れた店。


鎌倉の名物串焼き屋「ひら乃」が満員で入れず、
たまたま利用した店。


正直、そこそこのお味の店だったんで、
今でも潰れていないのが意外。


この店で飲んでいる時に佐藤アサトが、
「デフ・レパードのベーシスト、リック・サヴェージと、
ドラムのリック・アレンは兄弟である」という、
まるで間違った認識を述べたことを今でもよく覚えている。


リックは名字じゃないっす!


続いて、自分的鎌倉のランドマークである島森書店。


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本が売れないご時世。
数多の本屋が店を畳む中、こうしてガキの頃のまま、
鎌倉の一等地に居座っているのが、本当に素晴らしい。


島森書店のちょっと先にある豊島屋で、
鎌倉といえばの鳩サブレーを購入。


牛乳に浸して柔くしてから食べるのが好きで、
久々に食べるのを楽しみにしていたんだが、
私の口に入ることなく、家族にすべて食い尽くされてしまった。


鎌倉駅東口の方へ行くと、
島森書店と同じく東急ストア前の松林堂書店も健在。


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島森書店、松林堂書店の他にも、
由比ガ浜大通りや小町通りの古本屋へ足繁く通った。


思い返してみると、鎌倉へ行くと本屋へ入り浸っていたな。


映画のノベライズや当時絶大なる人気を誇った赤川次郎の小説とかを買った。


赤川次郎の本で一番印象に残っているのは、
「三毛猫ホームズシリーズ」でも「幽霊シリーズ」でもなく、
「幽霊から愛をこめて」


内容は良く覚えていないが、
ともかく怖くて面白かった。


今読むとショボイのかもしれないけど、
鎌倉の家で興奮しながら読んでいた。


以来、赤川次郎にはまった。


続いて丸七商店街。


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なんだか小ざっぱりとしたものの、
未だに昭和臭を漂わせているこの空間が堪らなく好き。


入口はおかしのまちおかになっちゃったけど。


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実は入口がおかしのまちおかになっていたため、
若宮大路を歩いている際にこの入口を見落としてしまい、
丸七商店街が無くなってしまったものと勘違いしてしまった。


再び由比ガ浜大通りへ戻る。


和田塚方面へ歩いていると、
とある古本屋が目に付いた。


公文堂書店。


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髭を生やしたオッサンの顔みたいな外観だ。


小学6年生の頃、
この店で、映画雑誌「スクリーン」を初めて買った。


同級生の小林三津生くんと一緒に新宿ミラノ座で見た『グーニーズ』の影響で、
ジャッキー・チェン以外の映画に目覚めた時期で、
既にライバル誌「ロードショー」には手を出していたが、
「スクリーン」はまだだった。


「スクリーン」を読んでみて、
子供ながらに「ロードショー」の方が、
写真が綺麗だったし、エロ度も高いと思った。


更に表記の違いに戸惑った。


ダイアン・レーン、ケヴィン・コストナー、ルパード・イベレット…。


そして、当時、最も好きだった女優リー・トンプソンが、
リー・トンプスンという表記だったのだ。


多分、発音はトンプスンの方が近いんだろうけど、
どうも馴染めず、「ロードショー」派となり、
愛読し続けて立派な映画少年となった。


【関連記事】
「さらばロードショー」


それにしてもリー・トンプソンは可愛かったなぁ。



このCMを見るために夜中まで起きていて、母親にメッチャ怒られた。


六地蔵交差点を過ぎてすぐ、“フツウの店”八百力商店。


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ガキの頃からある八百屋さん。


浜勇商店共々、吉祥寺では絶滅危惧種に近い八百屋さんが、
古都・鎌倉で頑張っている。


ここまで由比ガ浜大通りを歩いてきて、
かなり洒落た新しい店が多くなったなという印象だったが、
この後、縁ある店が連発する。


井上蒲鉾店。


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銭洗弁財天の縁起にちなんで生まれた小判揚は、
祖母が母方の吉祥寺の家へのお土産としてよく買ってくれた。


久々に食べたい!


ということで、購入。


支払いをする際、若い店員さんに、
「ガキの頃、よく食べていたんですよ」と振ってみたものの、
「あぁ、そうですか」とそっけない返事。


ちょっとガッカリ。


翌日、トースターで炙って、
山田の醤油とショウガで頂きました。


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食べたの25年ぶり?
やっぱり美味しい!!


美味いといえば、鰻屋の老舗つるや。


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祖父母の家へ行った際、かなりの頻度で鰻重を食べた。


多分、生まれて一番最初に口にした鰻はつるや。


実は、今回の散策でランチ候補だったのだが、
事前に調べたら定休日だった。
(よって散策ルートを変更した)


それにしても鳥一、秀吉、つるやと、
鎌倉は火曜日が定休日の店が多いな。


つるやの脇道を行くと、
かつての祖父母の家へ至るのだが、
その前にどうしても行っておきたい店があった。


それが、花見煎餅吾妻屋。


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毎週、鎌倉へ行く度に、この店へ祖母と一緒に行き、
お菓子を買ってもらった。


そんな思い出の店なんだけど、入店したところで、
井上蒲鉾店みたいな薄い反応だったら嫌だなぁって。


少し躊躇したんだが、店内を覗くと、
初老のおじさんがカウンターに立っていた。


祖母はこの地を愛し、みんなから好かれていた。
もしかしたら、祖母のことを知っているかもしれない。


そんな期待を胸に入店し、店主に話しかけてみた。
(因みに小生は大学2年生の時に養子縁組をして以来、母方の姓になっております)


「子供の頃、祖父母の家が近くにあり、ほぼ毎週、お菓子を買いに来ていました」
「あらそう?どちらさん?」
「無心庵(鎌倉で有名な甘味処)の隣で、いまピアノ教室になっています」
「あぁ!!覚えているよ!●●さんね」
「本当ですか?」
「うん、●●さんの息子さん(私の父)が、たしか出版社に就職したよね」
「そうです。婦人生活社です」
「そうだ、婦人生活社だったね」
「その息子です」
「そうですか、そうですか、それはどうも」


祖母のことだけでなく、
父のことを覚えてくれていた方が、鎌倉にいた。


話ながら泣きそうになった。


いろいろと話を聞いた。


昔あった店もいくつかあるが、おもちゃのからこやや伊藤菓子店がなくなっている、
商店街は大分変ったように見えるというと、
「確かにそうだけど、新旧入り混じっているんだよ」という答えが返ってきた。


「商店街として生き残るためには、
新しい物を採り入れないと。バランスだよ」


これが商店街の生き残る道。


次いで、祖父母の家の隣りにある人気甘味処・無心庵の女将、関口ママのことを聞くと、
残念ながら数年前に亡くなったという。


関口さんはご近所だったので、祖母と仲が良かった。


無心庵がテレビや雑誌で紹介される時、
よく関口ママが出てきたんだけど、
最近はあまり登場しなかったので、もしかしたらとは思っていた。


花見煎餅吾妻屋でのやり取りは、
ガキの頃、同じ時間を共有した姉にLINEで伝えた。


煎餅を買って帰りたいところだが、
いまは煎餅を製造していないとのことで、
対面ケースに陳列されていた和菓子を購入。


店主に御礼を良い、つるや横の小路へ。


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あまり子供の頃と変わっていない。


この路地を通る度に、鰻の焼ける良い香りが漂っていた。
今でも鰻の焼ける甘い香りを嗅ぐとこの路地の光景が目に浮かぶ。


左手のトタンの塀とか、ガキの頃のまんま。


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因みにこのトタンは、無心庵の塀なのです。


ピアノ教室。


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かつて祖父母の家があった場所。


和田塚駅の真ん前にあるのが、無心庵。


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今から28年前の1990年、
故・関口ママが、甘味処をやると言い出した時、
祖母を含め周りの人は反対した。


しかし、結果、無心庵は成功した。


未だに高い人気を誇り、食べログの評価も高い。


関口ママは、路地を挟んだお隣ということもあり、
祖母とはとても仲が良かった。


1991年の秋に祖父が亡くなってからは、
祖母のことをより一層気にかけてくれて、
夕飯時に勝手口からまさに勝手に上がり込み、
夕食が並ぶ食卓で、祖母とお喋り。


暫くすると「夕飯時にごめんなさいね」と言って、去っていく。
それを合図に夕飯を食べ始める事しばしば。


でも決して迷惑だとは思わなかった。


むしろ祖母の話し相手になってくれる有難い存在。


祖父の法事のお清めは、関口ママから申し出があって、
無心庵を貸し切って行ったことも数回あった。


大学生の時、彼女と一緒に鎌倉旅行へ来た際、
先述の八百力商店で買ったスイカを手土産として、
事前の連絡なしに訪れ、鮭の懐石弁当みたいなものを頂いた。


1食当り1000円以上したと思うのだが、
支払い時、関口ママは一切お金を受け取ろうとしなかった。


「あなたからお金はもらえないよ」って。


更に昔の思い出散策は続く。


和田塚駅脇の路地。


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左側はガキの頃と違うが、
右側のブロック塀は、あまり変わらないような気がする。


この路地を抜けた先にあった駐車場に父は車を停めていた。
思い返すと「月極め」だったかも。


1ヶ月間の駐車場使用頻度は4〜5回。
なのに月極め?


贅沢だ。


路地を抜け、由比ガ浜の方へ向かう。


その際、どうしても確認したい道があった。


ガキの頃、祖父母の家から由比ガ浜へ行く時に通った道。


その道の片側は松の木とか生えた雑木林で、
夏場はメッチャ蝉が鳴いていた。


毎年、夏が到来し、蝉がミーン、ミーンと奏でると、
必ずこの道を歩いた記憶が蘇る。


昔の記憶を頼りに小道に入る。
十中八九ここだ。


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右手に松の木がある。


随分さっぱりとしてしまったが、
かつては木々がお生い茂っていた。


再び由比ガ浜へと通ずる道へ戻る。


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周りの建物は変わっているが、
この海へ抜ける一本道の光景は、まぶたに焼き付いている。


浮き輪を腰に携え、祖母が用意してくれた弁当を持って、
父と姉と通った道。


歩を進めて海近くの左手に現れる鎌倉海浜公園。


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ガキの頃はもっと高い山がいくつかあり、
白い丸い湯呑茶碗のようなベンチが頂上に設置されていた。


小学生の時、ラジコンカーのグラスホッパーを初めて走らせたのが、
この公園。


グラスホッパー本体はクリスマスプレゼント、
バッテリーとプロポはお年玉を使って、
今は無き由比ガ浜商店街のおもちゃ屋からこやで買った。


グラスホッパーが、芝生の上を疾走した時、
一緒に親父もいたっけ。


鎌倉海浜公園では、ゲイラカイトを飛ばしたのも思い出に残っている。
ゲイラカイトの上げ方を教えてくれたのは父だった。


因みにこの芝生の公園の下には、4000体にも及ぶシャレコウベが眠っていた。
地下に駐車場を作る際に掘り返したら、人骨がざくざく。


ちょうど発掘作業の時期に公園へ来たら、
幕が張られていたんだけど、隙間からドクロを見る事が出来た。


公園の反対側へ目を向けると「シン・ゴジラ」のゴジラ上陸地点


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庵野秀明監督は、かつて鎌倉に住んでいたらしい。


国道134号線の長〜い信号を待って、由比ガ浜の入口へ。


靴が砂まみれになるのが嫌だったので、
浜には降り立たなかったが、目の前に広がる光景は、ガキの頃と一緒。


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風に運ばれてくる磯の香りも変わらない。
気のせいかもしれないが、由比ガ浜の匂いって、
他の海とは異なる独特な匂いがする。


磯の香りに混じったちょっと錆びたような、鉱物のような匂い。


「ブラタモリ」で、タモリが、
「鎌倉の砂浜が黒いのは、砂鉄を含んでいるから」と言っていたことを思い出した。


ボッーと湘南の海を眺めていると、
砂浜に置いてあった女性グループの荷物がカラスのターゲットに。


荷物を咥えて飛び、少し離れた所で突き始めた。


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良く見えなかったけど、多分、鳩サブレー。


その後、女性たちはなんとか荷物を回収していたけど、
カラスにかなり突かれていたので、もうダメかもしれない。


時刻は17時15分。
陽が大分長くなったけど、そろそろ日没。


和田塚駅へ戻り、江ノ電に乗る。


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何気に江ノ電に乗車は、約6年ぶり。


で、乗ったのは鎌倉行きではなく、藤沢行き。


なんとなく藤沢から小田急線で帰りたくなったのだ。


車内は外国人が多く、半分以上が日本人ではなかった。


ガキの頃、鎌倉で外国人なんてほとんど見たことなかった。


藤沢駅で小田急線に乗り換え、この後のことを考えた結果、
久々に荻窪の串焼き屋・遊佐へ行くことにした。


流石に寝不足と長距離歩行による疲労から、
ガタンゴトンと揺られながらうたた寝をしていると、
携帯にメール着信。


確認すると地元の少年野球チームの監督から飲みのお誘い。


予定変更。
下北沢で下車して、井の頭線で吉祥寺へ。


監督から指定された店は、
まさかのいせや公園店。


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大学1年生の時のバイト先。


(いまはどうか知りませんが)当時はキツイ、キタナイ、キケンの3K職場だった。


なんで居酒屋でキケンなんだ!と思うかもしれませんが、
キケンです。


当時のいせやは、15時開店。
17時に出勤してフロアに入ると、酔っぱらい親父がそこかしこに。


注文をした料理が遅い、品物の置き方が悪いなど、
あらゆる難癖をつけてくる。


大学生だったんで、血気盛ん。
マジでぶん殴ってやろうかと思う客もいた。


なのでいろんな意味でキケンでした。


そんないせやで監督と飲んでいると、
次々とコーチ陣が集結。


22時閉店のいせやから、
同じチームのコーチが営んでいる別の店へ移動し、
そこそこ遅くまで飲みました。


睡眠不足の状態でアグレッシブに歩き周り、
よく頑張った。
俺。


というのはさておき、
やっぱり神奈川県の三浦半島方面は、素晴らしい。


田浦の廃村はしてやられましたが、
行政の行き届いていない萌えスポットは、かなりあると思う。


あと、今回の散策は、亡父に尽きる。


父の墓参りに行けたのも良かったし、
結果的に鎌倉をウロウロして、父との思い出を探求することが出来た。


田浦の廃村に立ち入ることが出来なかったのは残念だったが、
かなり充実した散策となった。


横須賀線を鎌倉駅で降りたのは、大正解だった。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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