2015年12月29日更新

赤羽〜川口元郷

気が付けば年末。


今更ながら9月の散策記。


良く晴れた9月のある日、埼玉高速鉄道の川口本郷駅近辺へ行く用事があった。


時間的に余裕があったので、ひとつ手前の赤羽岩淵駅で降りて、
当て所もなく散策スタート。


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まずは何気に足を踏み入れたことのない赤羽に繰り出すことに。


赤羽岩淵から550mほど南下すれば赤羽駅へと辿り着く大通りから、
すぐ脇の小路に入った瞬間、昭和な空気が広がる。


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久々に見た個人経営のおもちゃ屋。
もはや絶滅危惧種の領域か?


店頭のショーケースに並んだ商品は、
売る気ゼロの日焼けっぷり。


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マグネットオセロは、3,000円。
トミカパーキングは、4,480円。


微妙な値段設定のトミカパーキングは、
2002〜2003年頃に発売されたもの。


「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で、
この手のおもちゃ屋さんにお宝玩具が埋まっていた、
というエピソードを読んだことがある。


試しにアマゾンで上のトミカパーキングを調べてみたら、
新品で最高値が10,800円、最安値が9,584円、
中古でも7,800円。


パッケージは色あせているけど、
「おもちゃのふじしろ」のは新品で半値だ。


買いじゃね?


レトロ感を出すおもちゃ屋から、
赤羽方面へ向かうと赤羽中央街。


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万国旗がやや安っぽいうえに、
かなりシャッターを下ろしている店が見受けられた。


あまり細かくは見て回らなかったが、
「東京DEEP案内」によるとやはり寂れているようだ。


リンク先の記事は5年前のものなので、
もう少し歩き回ってみたら、もっと寂寥感が漂っているのかもしれない。、


しかし、赤羽中央街を抜けると、
これまで閑散としていたのが嘘のような賑わい。


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「鯉とうなぎのまるます家」は、
開店前から行列が出来る赤羽の超有名店。


メタル仲間のN博士も、
さいたまスーパーアリーナのライブ前に途中下車して舌鼓を打つ店で、
今年2月のモトリー・クルーのライブの時にも立ち寄っている。


赤羽にはあまり来る機会もないし、
鯉かうなぎでも・・・と思ったものの、行列に並ぶの苦手でやめた。


とはいえ、時刻は14時前。
昼飯まだなんで、何か腹に入れなくては。


「まるます家」の裏手の路地へ行くと、
14時にも関わらず暖簾を下げているやきとり屋が。


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格子戸から中を覗くと、席は空いている。


しかし、どうもガラガラっと引き戸を開ける気になれない。


【理由1:タバコ】
飲み屋なんでタバコは仕方がないと思うが、
この後の半日間、ヤニ臭が服や髪に付着した状態は辛い。


【理由2:価格】
店頭に貼られたメニューを見ると、食べ物は確かに安いが、
飲み物が高い。


串焼きを数本とビール2杯で、2000円ぐらい?


昼にそんな高額は突っ込めない。


結局、敷居を跨がず、他の店を物色。


安い店もあったが、どうしてもタバコがネックで彷徨っていると、
LaLaガーデンなる小奇麗なアーケードを発見。


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アーケードといえば、
悪夢のようなシャッター商店街、旧山谷のいろは商店街を思い出すが、
幸い赤羽のLaLaガーデンは、賑わっていた。


LaLaガーデンに入って数十メートル先の左側の小路に、
鯵料理の店を発見。


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鯵屋。


亜細亜にかけてる?


この日の夕飯は肉の予定なので、ランチに魚は有りだ。


開け放たれたドアから店内を見ると、
数名のお客さんがいたが、タバコを吸っている気配がない。


店頭に置かれたメニューのうち、
お酒と一品料理がセットで500円という、
“ちょっとお得に生ビールセット”にも惹かれ入店。


生ビールとアジのタタキをオーダー。


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昼間に飲む生ビールは美味いが、
独りだとやや寂しい。


ほどなくアテのアジのタタキが運ばれてきた。


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?????


アジのタタキ?


わたしの知っているアジのタタキじゃないなぁ〜。


カツオのタタキみたいに炙っているわけでもないし、
これじゃ、アジの刺身やん。


で、もうひとつ単品で頼んだアジフライ。


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カラシの封を切ってくれ!
そもそもこのカラシの出し方はどうなんだ?と思いつつ、
アジフライを口に運んだ。


率直な感想は、美味しいけど、
アジ専門店ならではの特別感はない。


同じアジでも今年の海で食べたアジの干物の方が、
特別感、味、共に勝っていた。


とはいえ、定食系のメニューはリーズナブルだし、
お店も清潔感があり、感触は悪くなく、
地元にあったら通ってしまうかも。


さて、この後、どうしよう。


赤羽駅の反対側に太田道灌関連の稲付城跡があるようなので、
とりあえず行ってみることにした。


LaLaガーデンを戻り、JR赤羽駅に到着。


異彩を放つおばちゃんに遭遇し、
思わずデジカメのシャッターを切ってしまった。


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服や帽子のセンスとかどうかと思うし、
どんだけ荷物を抱え込んでいるのだ?とツッコミたくなるんだが、
トータルコーディネートが申し分ないのは何故だろう?


通路を抜け西口へ。


稲付城跡に行く途中にあった物件。


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久々に「超芸術トマソン」に遭遇。


無用階段+無用門。


明らかに以前、建物の入口があったことを偲ばせる塞ぎ方だ。


むやみやたらとKUMON(公文)がアピールされている。
まるで空家に所属政治家のポスターを貼る公明党・幸福実現党の如き光景。


坂を上り稲付城跡がある静勝寺の入口へ。


9月だが蝉が鳴いていており、夏の名残を感じる。
まだまだベイベ〜 by TUBE。


そして、静勝寺に到着。


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この一帯が、戦国時代に太田道灌が築城した稲付城跡。


程近い岩淵には鎌倉時代から宿があり、
さらに室町時代になると関所が設けられ、街道上の拠点となった。


その街道沿いに位置する丘陵地帯に築城されたのが稲付城で、
江戸城との中継所として機能した。


因みに岩淵の地名は、荒川のほとりで岩場だったことに由来する。


更に因みに赤羽の地名は、
関東ローム層の地質の特徴である粘土質の赤土に関係していて、
元々は、赤埴(あかはに)と呼ばれていた。


赤は赤土、埴は粘土質の地層で、これが転化して赤羽になった。


静勝寺は、明暦の大火(1657年)が起きる2年前の明暦元年(1655年)、
太田道灌の子孫である資宗(すけむね)が建立。


本堂の前には、木造太田道灌坐像を安置する道灌堂がある。


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この日、堂中を見ることは出来なかったけど、
道灌の命日が7月26日であることから毎月26日に一般公開されているとのこと。


北区の公式サイトに解説付きで写真が掲載されている。


木造坐像というから、木目の木彫り像かと思ったら、
意外や意外、色が塗られていた。


道灌の死後約200年後の1695年(元禄8)年に作られたもので、
以降、6回修復をされ、今の着色は昭和62年(1987年)に施されたもの。


赤羽駅方面へ戻るため、北門から石段を下る。


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全く気付かなかったんだけど、
この石段の右側に稲付城の城塁跡があったみたい。


ここでこれからのルートを想定。
以前から一度行ってみたいと思っていた荒川にある、
岩淵水門を見学しつつ、荒川を渡り川口元郷駅へ向かうことに。


しかし、まだ時間に余裕があったので、
少し離れた公園へ寄り道。


iPhoneで地図を見ていた際に、、
「ちんちん山児童遊園トイレ」というランドマークを発見。


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犬がちんちんをした姿に似た形をしているのか?
それとも名前通り!?


地図を見る限り、大した公園ではないのは明白だが、
名前に惹かれてしまった。


が、しかし、わざわざ立ち寄ってみたのに、トイレどころか公園がない。
恐らくここだろうという場所には、自家農園。


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こういう展開は、ガクッと来るね。


で、後日、「ちんちん山児童遊園」を調べたら、
JRの高架下にある公園だった…。


名称の由来は、かつてこの地に工場・軍施設への引き込み線があり、
ちんちん電車が走っていたからとのこと。


山は盛土のことなのでしょう。


iPhoneの地図も解り難いが、
先の稲付城の城塁跡を見落とすなど、
この日の嗅覚はどうも鈍っていたようだ。


目的地にたどり着けず、徒労感に浸りながら歩いていると、
交番の前に庚申塔発見!


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風化が激しく、建立年とかは確認できず。


左から「講中〇〇」と読める。


講中(こうじゅう)とは、同じ信仰を持つ人々の集まりのこと。


よく見ると見ざる・言わざる・聞かざるの三猿が彫られていたようだ。


庚申の“申”は、“さる”とも読むし、
十二支で9番目の猿にあたるので、
庚申塔には三猿が描かれていることが多い。


赤羽駅方面へ戻るべく歩き出し、
ふと左側の通りの奥を見ると中国風の山門が目に飛び込んできた。


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とりあえず、行ってみると、普門院という真言宗のお寺だった。


建立年は不明で、一時荒廃したが、文明18年(1486年)に再興。


境内はそんなに広くはないが、山門同様、印象的な納骨堂がそびえ立っていた。


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山門とは違う出入り口を抜けると、先ほどの庚申塔があった道だった。


何度も同じ道を行ったり来たりしており、
交番の警官に不審者と思われないか、少しヒヤヒヤした。


岩淵水門を目指して、再び赤羽駅方面へ向かって歩いていると、
セオサイクルを発見。


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うちの近所にもセオサイクルがある。
チェーン店だったのね…。
個人経営の店かと思っていた。


赤羽駅の手前で高架下をくぐり、南口側に出ると高層建築物が目に付いた。


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気になる。


形状からしてゴミ処理場の煙突か?


早速調べてみたところ、ビンゴ。


北清掃工場だった。


平成10年(1998年)竣工。
設計者は建築家の石山修武(おさむ)という人物。


手掛けた建築物を見てみたら・・・


松島さかな市場 → 随分前だがここでクジラの肉を買ったことがある。
世田谷村 → 千歳烏山にある石上氏のご自宅。千歳烏山は小生の縁の地。


と、少し接点ありで驚いた。


この後、岩淵水門へ行くために、
先程のアーケード街LaLaガーデンを抜け、志茂界隈へ。


いくつか商店街を通ったんだけど、
荒川へと近づくにつれ、段々と寂しくなってきた。


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誰も歩いていない商店街は、なんか切ない。


居酒屋もいくつかあったので、
夜になるともう少し賑わうのかもしれない。


住宅を暫く歩くと防潮堤(ぼうちょうてい)が姿を現した。


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ってことは、荒川に到着。


古めかし防潮堤には、建設時のプレートが掲示されており、
1974年3月と記されていた。


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「俺と同い年じゃん!」


どおりで古めかしいわけだ!


建てたのは勝村建設という会社らしい。


ウィキペディアによると創業1918年の中堅ゼネコンで、
1961年には東証一部上場するも、
暴力団を使った談合事件が発覚し、資金繰りが悪化。


2005年、2008年と2度に渡り民事再生法を申請し、
2009年10月にエム・テックという建設会社に吸収合併された。


そういえば2000年代半ばは、建設会社の談合事件が頻発したなぁ。


で、この勝村建設、
なんと東京辰巳国際水泳場の建設に携わっていた。


辰巳といえば、【散策記】に何度も登場する場所。


「辰巳起点散策 PART1」
「辰巳起点散策2 PART1」
「辰巳起点散策3 PART1」
「辰巳起点散策4」
「辰巳起点散策5 PART1 八幡橋」
「辰巳起点散策6 PART1 東陽町」


まさかこんな繋がりがあるとは…。


さて、散策に話を戻しましょう。


防潮堤に沿いながら少し歩くとスロープがあり、
いよいよ川とご対面。


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この川が荒川かと思ったら、こちらは隅田川。


手前が荒川知水資料館、奥の丸い窓を擁した長方形の建物が岩淵水門。


ふっと水面に目を向けると、
何かがドンブラコドンブラコと流れていた。


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魚や鳥の死骸ではなさそうだ。
でも何かの死骸ぽい。


ズームで撮影を試みたが、フォーカスが合わず断念。


一体あの物体は、何だっただろうか…。


さて、この橋の名前は、新志茂橋。


近くのなでしこ小学校の生徒さんが、2013年に命名。


新しい橋なのかと思ったら、1980年竣工。


23年間、名無しの橋であるはずがない。
元々は志茂橋という橋名で、耐震補強のために2013年に改修されたそうな。


命名の由来は、
「新河岸川(しんがしがわ)の“新”と“新しい”という意味を込めて」とのこと。


新河岸川?


あまり聞き慣れない川の名前だが、
川越市を水源とした一級河川で、
この志茂が隅田川との合流地点らしい。


橋を渡ると荒川知水資料館の前に、
荒川に関する遺構の一部が展示されていた。


こちらは船堀閘門頭頂部(ふなぼりこうもんとうちょうぶ)


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閘門とは、水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置。


といわれてもさっぱりですな。


「荒川ロックゲート周辺の今昔」というサイトが詳しいので、
リンクを貼っておきます。


ついでにYoutubeも。





展示されているのは、船堀閘門の建物の上層部分で、
その意匠が時代を感じさせてくれます。


もうひとつが、京成押上線旧荒川橋梁(きょうりょう)基礎杭。


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見た目はタダの木ですが、大正12年'1923年)に架設され、
平成11年(1999年)の橋の架け替えまでの約75年間、
橋を支える基礎として地中に埋まっていたもの。


すごいもんで、YouTubeに1991年の旧荒川橋梁の動画が上がっていた。





こちらが現在の荒川橋梁。





こんなところに鉄道遺構があるとは思いもよらずですが、
杭の奥にある祠が気になる。


詳しい説明板はなかったが、水神様が祀られているようだ。


荒川知水資料館を見学するという選択肢もあったが、
この手の資料館に足を踏み入れると、
時間を忘れて見入ってしまうような気がしたので自粛。


土手に上がり、岩淵水門へ。


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岩淵水門へと向かって土手を歩くと、
東京スカイツリーと北清掃工場が見えた。


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両方とも巨大な建造物でとても印象的だが、
岩淵水門のインパクトも大きい。


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昭和50年(1975年)着工し、昭和57年(1982年)に竣工。
完成までに7年もかかったということは、相当な大事業だったのでしょう。


重さ約214トンの青い門が3枚使用されていることから、
通称青水門と呼ばれている。


青水門から300mほど上流に行くと旧岩淵水門がある。


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かつて荒川は今の隅田川の部分を流れていたが、
川幅が狭く、堤防も低く大雨や台風による洪水が度々発生。


特に明治43年(1910年)8月の水害は酷く、
長雨と台風によって川が氾濫し、死者769人、行方不明78人に及んだ。


この被害を受け、翌年に現在の旧岩淵水門から荒川の河口まで、
人工的な放水路を作ることが決定。


大正2年(1913年)から工事が始まり、
完成したのが17年後の昭和5年(1930)という難工事だったそうな。


そして、人工的な放水路が荒川となり、
荒川と隅田川の分岐地点に、
大正5年(1916年)から大正13年(1923年)にかけて造られたのが、
9m幅のゲート5門で構成された旧岩淵水門。


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その色から赤水門という名で親しまれている。


旧岩淵水門には橋が設けられており、
中之島(水門公園)に渡ることができる。


橋から撮った岩淵水門(青水門)。


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橋の入口左手に目を向けると小さ目な石碑が埋め込まれていた。


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摂政宮殿下御野立之跡
大正十三年十月廿五日


摂政宮殿下とは、後の昭和天皇のことで、
大正10年(1921年)から約5年間、こう呼ばれていた。


大正13年といえば、旧岩淵水門が完成した年なので、
昭和天皇は、完成したばかりの旧岩淵水門を見に来たのでしょう。


そんな旧岩淵水門ですが、
小生は最初、心霊スポットとしてその存在を知りました。


水死体が流れてこの水門に引っ掛かっていたとか…。


しかし、昼間は完全に憩いの場。


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釣り人多数。
中之島にも多くの人がいた。


そばにはバーベキュー場があり、
晴天にも恵まれ盛況だった。


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かなり酷く酔っぱらっている男性もおりました。


賑やかな土手を上流に向かって歩くと新荒川大橋があり、
この橋を渡ると埼玉県に突入となる。


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昨年の初夏に渡った荒川河口橋と比べちゃうと物足りない。


新荒川大橋からは、JR線の鉄橋が良く見える。


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この新荒川大橋とJR線の鉄橋の間の地下を埼玉高速鉄道が走っている。


岩槻街道(国道122号線)である約800mの新荒川大橋を渡ると川口市。


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もしかしたら電車や車で通過したことはあるけれど、
こうして川口市に足を踏み入れたのはお初かも。


橋を渡ってすぐ近くに善光寺があったが、
大分疲労していたので、
参拝断念を断念しそのまま岩槻街道を進み川口元郷駅へ。


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一応、今日の目的地だが、まだ行きたいところがあった。


この日、川口元郷へ行く旨を寺院大好きのナレーター佐藤アサトに伝えたところ、
氷川神社がいくつかあるということを教えてくれた。


折角、川口市へ来たのだからと、
川口元郷駅から約1.2キロ離れた朝日氷川神社を目指す。


そのまま岩槻街道を歩いて行くと、
十二月田なる交差点が現れた。


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じゅうにがつだ?


後で知れべたら「シワスダ」だって。


読めないでしょう…。


12月が師走だから「シワスダ」なのか?


交差点から北東に位置する十二月田小学校のホームページ
地名の由来が記載されていた。


昔、十二月(師走、しわす)の寒い日に、
神様の使いといわれる狐(きつね)たちが集まって、
杉の葉で田植えの真似をして豊作を願った
といわれることからこの地名がつけられました。



地名は面白い。


面白いといえば、途中にあったマンション群。


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レーベンスクエア川口シルフィア。


「ヱヴァンゲリヲン」に見えるのはワシだけ?


約3000万円のマンションがれば、
崩壊寸前の平屋もある。


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これが資本主義というものなのか…。


薬林寺というお寺の近くの物件。


薬林寺から300mほどで朝日氷川神社。


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創建は天正年間(1573年〜1593年)と結構古い。


祭神は、「ヤマタノオロチ」で有名なスサノオノミコトとクシナダヒメノミコト。


先日、神道の本を数冊読んだ際に、
この二柱の神も登場したが、日本の神は複雑すぎてよくわからん。


日本以外にもヒンドゥー教、ギリシア神話のように多神教はあるけど、
神道ほど解り難い宗教はないんじゃないかな?


賽銭箱に賽銭を入れて参拝していると、
丁度、神主さんが本殿から出てきて、
「ありがとうございます」と声を掛けられた。


軽く会釈して本殿を離れると、
神主さんは賽銭箱から御賽銭を回収していた。


初めて見る光景だった。


ふっと境内の隅を見ると壊れた燈籠の土台と、
蔦に絡まれた円柱が目に付いた。


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特に蔦の円柱の下部が気になった。


鎮守氷川神社と読める。


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鎮守氷川神社は、ここから約1.2キロ離れたところにある神社で、
まさにこれから向かおうと思っていた。


氷川神社系列ではあるが、
なぜ朝日氷川神社にこのようなものがあるのだろうか?


そもそもこのオブジェはなんなんだ?


先程の神主さんに聞いてみようと思ったが、
既にその姿はなかった・・・。


陽も大分落ちてきたので、
ここから1.3キロのところにある次の鎮守氷川神社へ。


途中にあった歩道橋。


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意味あるのか?


建設費の無駄遣いとしか思えない…。


公明党の川口市議会議員・芝崎正太氏のホームページに面白い記事が載っていた。


以下、2014年6月7日「青木焼却場前歩道橋の利用実態調査」からの引用。


25年度の取組で利用が極端に少ない歩道橋の調査を行い撤去する事を
提案し利用調査を行政が行いました。


(中略)


旧青木焼却場前歩道橋は殆ど利用者がいない事が判明しました。  


歩道橋の管理者である道路維持課に問い合わせ進捗状況を確認しますと
撤去費用に2000万円以上かかるとの報告を受けました。
2000万円を出資するのであれば、
市内に補習修繕が必要な道路は数多くあり検討中との事でした。



そうかぁ…撤去するのにも金はかかるんだよなぁ。
当たり前のことだけど、見落とされがちなことだ。


それにしても、そもそもなぜ建てたのだ…。


そして、青木焼却場前歩道橋と検索して引っ掛かるのは、
芝崎正太議員のホームページだけ。


日本でこの歩道橋を気にしているのは、
芝崎正太議員と小生ぐらい…?


さて、散策ですが、この頃になると疲労もピークに。


たかだが1.3キロの道のりが果てしなく遠く感じ、
何度か心が折れそうになったが、なんとか鎮守氷川神社に到着。


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創建は室町時代初期で、現在の拝殿は昭和61年に建立。


その拝殿前には、神饌田(しんせんでん)。


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随分と小さいが、どれぐらいの収穫量なのだろうか?


神饌田とは、神様にお供えするお米を作る田んぼ。


米の収穫と神様の関係は奥深く、
正直、理解するのもかなり難しいんだけど、
日本人の主食である米が、神道と結びつくのは自然の成り行きだと思う。


拝殿脇にある鳥居の連打を抜けると、
御神木「元気の木 大欅」がある。


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樹齢400年以上。
周囲5m。


日常の悩み・ストレスなどで木が枯れた状態は「気枯れ=穢れ」。
御神木に抱き着くことによって、
その気枯れを振り払い、御神木から力=気を頂き元気になるとのこと。


この日は立ちっ放し、歩きっぱなしだったので、
かなり疲れておりましたが、元気、頂きました!


元気があれば登山も出来る!


境内入口脇にある富士塚に挑む!


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実は無理してでもこの鎮守氷川神社へ来た理由は、
この万延元年(1860年)築造の富士塚があったから。


富士塚、しかも登れる富士塚、大好きなんだよねぇ。


頂上には、なぜか撫で犬が。


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撫でると、


母親…安産
子犬…子育て・子宝
親子…家内安全


の御利益があるというので、母親を撫でまくりました。
(なんでやんね!)


富士塚の頂上から見た景色。


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絶景!とはいきませんが、
先程の御神木、「元気ですかぁ〜!」のアントニオ猪木こと大欅が見える。


この後、下山して川口元郷へ。


以上、赤羽〜川口散策でした。


本来、散策とは目的を定めずぶらぶら歩くこと。


この【散策の部屋】は、目的地を決めてることも多々あり、
タイトルに偽りあり!な面があるのは否めないんだけど、
今回はかなり行き当たりばったりだったんで、
まさに“散策”だったかも。


荒川と隅田川の関係を理解できたのも良かった。


この日の歩行距離は、約15キロ。
結構歩いた。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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