2013年12月08日更新

ディープツアー2013 等々力

2011年2012年に引き続き、2013年も決行しました。
「第3回ナレーター佐藤アサトと行くディープツアー」。


夏の恒例行事となりつつある本イベント、
実行日から大分日が経ってしまいましたが、
今年もガッツリと綴りたいと思います。


一昨年の「鎌倉」、昨年の「稲城」+「鎌倉」を振り返ると、
このディープツアーは、とにかく歩く。


寝不足はもっての外なので、
決行日となる8月24日(土)の前夜は、24時前に就寝。


しかし、遠足の前日に興奮して寝られない小学生宜しく、
夜中の3時頃に目が覚めてしまった。


今夏は連日熱帯夜の酷暑だったけど、
この日の夜は比較的涼しかったのにも関わらず、
以降、ベッドの上でウダウダ、ゴロゴロして寝つけないまま6時前に起床。


6時半。
作った朝食を食べながら、
テレビに出るには日焼けし過ぎの元巨人・宮本和知が出演している「ズームイン!!サタデー」を見る。


佐藤アサトとの待ち合わせは、9時に二子玉川駅。
このまま家にいるのももどかしい。


どこか二子玉川駅付近で散策できるところないかなぁーと思った瞬間、閃いた。


そうだ!ずっと行ってみたかったあそこに行こう!
ということで、1時間後にはココにいました。


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等々力渓谷。


【散策の部屋】「国分寺」で大いに触れている「国分寺崖線」の最南端に位置する約1キロに及ぶ都内唯一の渓谷。


遠く離れた国分寺からここまで崖線が連なっている。


「怪談新耳袋殴り込み!劇場版<地獄編 前編>」では、
心霊スポットとしてGメンたちが殴り込みを行っていたけど、
やっぱりここは心霊スポットとは思えないな。


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上の写真は、有名なゴルフ橋。


渓谷に似つかわしくない名のゴルフ橋の由来は、
昭和初期にこの近辺にゴルフ場があったから。
そのゴルフ場は昭和14年に閉鎖されている。


等々力渓谷の入口となる階段を下り、
赤い橋げたが印象的なゴルフ橋をくぐり、川縁を歩く。


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この日の天気はあまりよろしくなく(因みに前日はゲリラ豪雨)、
等々力駅に着いた時、小雨が降っていた。


気温も低く、等々力渓谷に着くまでは汗のひとつもかかなかった。


等々力渓谷は渓谷なだけに、もっと肌寒いかなと思ったんだけど、
そんなことはまるでなく、湿度が高いせいかじっとりと汗をかき出した。


汗は煩わしいものだが、夏の散策に汗はつきもの。


時計を見ると8時ちょい過ぎ。
9時までに二子玉川駅に辿り着かなくてはならないので、
早足で初の等々力渓谷を歩く。


IMG_2168_R.JPG


前日の雨と湧水のせいか、足場は濡れていて滑りやすい。
湿気も物凄く、ミストを浴びながら歩いている感じ。


等々力渓谷に対してよく耳にする言葉だけど、
本当に東京23区内とは思えない樹林と清流と静寂。


そんな渓谷の上を環状八号線が走る。


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交通・流通を考えると仕方ないんだけど、
日本橋の上の首都高速と同類の景観?


ちょっと複雑な気持ちを抱きながら歩くと、
古墳がありますよぉーって。


橋渡って、階段昇って、
「都史跡 等々力渓谷3号横穴(おうけつ)」


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この辺(野毛地域)の有力な農民の墓で、
これまでに3基の横穴が調査され、この3号横穴が完全な形で残っているそうな。


もう何回もこの【散策の部屋】で書いているけど、
古くから水のあるところでは、人が暮らしていることが多い。


古墳を後にし、少し進むと『怪談新耳袋殴り込み!劇場版<地獄編 前編>』にも
登場する「稚児大師御影堂」が。


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「殴り込み」Gメンたちが、市川力夫新監督に絶対服従する血判状を書いた場所だ。


稚児大師とは、幼い時代の弘法大師のことで、
この御影堂は、弘法大師誕生1200年を記念して作られたという。


御影堂に祀られている像は、彫刻家の清水多嘉示(しみずたかし)によるもので、
お子様にも 拝みやすいように低く安置されている。


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このお堂の横に、聖徳太子のような容姿の風化の激しい石像が置いてあった。


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顔が埋まっているように見えるが、顔以下の部分を見ると、
補強のために後でコンクリで固められたのではないだろうか?


この石像に関しては、なんの説明書きもなく、
稚児大師像よりも気になる存在だ。


「稚児大師御影堂」を離れ、川を渡ると「不動の瀧」。


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弘法大師を始祖とする真言宗の宗派の一つである新義真言宗の始祖・興教大師が、
夢に出てきた不動明王のお告げに従い、
不動明王の像を持ってこの渓谷を歩いていると、霊気を感じる場所に辿り着いた。
その場所を杖で突き刺したところ、霊泉がほとばしり滝となったとのこと。


この滝の轟く音から、この地が「等々力」という地名になったという(諸説あり)。


滝の上には、割と新しめな不動明王が佇んでおります。


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横の像はなんでしょう?


「不動の瀧」が滴る滝壺・・・というよりも池の麓には、
稲荷があり、そこにも不動明王が祀られていた。


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さて、この不動明王ですが、
「江の島」「武蔵野市 PART1 吉祥寺編」などに度々【散策の記】に登場しているのですが、
改めて簡単に説明しておきましょう。


仏教の開祖「釈尊(ゴウタマ・シッダールタ)」は、
菩提樹の下で悟りを開こうと瞑想しているときに、
多くの魔物たちから誘惑を受けたが、決してなびかなかった。


「不動明王」は、その「釈尊」の動じない不動の強い心を人々に伝える仏で、
甘い誘惑には罠があるということを見通す知恵の仏として崇められている。


右手に持っているのが宝剣(ほうけん)で、この剣で煩悩(人間の欲望)を断つ。
顔が怒っているのは、悪を懲らしめるため。
口には、上下左右に牙が生えているのも特徴の一つ。


基本的に、最澄(さいちょう)と弘法大師がそれぞれ開いた、
天台宗と真言宗の寺院にしか祀らていません。


天台宗と真言宗は中国密教の流れを汲んだ宗教という点が共通している。


で、最近知ったのですが、
この不動明王を題材にした映画が存在するのです。


1961年に東宝が製作した『ゲンと不動明王』。


監督は、1948年にヴェネチア映画祭でグランプリを受賞した『無法松の一生』や、
1955年の第28回米アカデミー賞で、
外国語映画賞名誉賞を受賞した『宮本武蔵』を手掛けた名匠・稲垣浩。


そして、不動明王を演じたのは、なんと三船敏郎


世界のミフネがこのような役を演じているとは・・・。


さて、話を等々力渓谷に戻しましょう。
この「不動の瀧」の脇に階段があり、中段に「役行者の神変窟」なるものが。


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役の行者とは奈良時代の山岳修行者のことなので、
修行の末に、悟りを開いた神の石像?


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階段を上がり切ると「等々力不動尊」。


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縁起等は公式サイトがあるので、そちらに譲ります。
(もう少し文字の大きさとか考えた方がいいと思う)


山門を出るとすぐに目黒通りなのですが、
山門前の鳥居もどきはなんざんしょ?


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「等々力不動尊」はお寺のはずだから、鳥居ではないはず。


まぁ、どうでもいいやと思いながら目黒通りに出ると、
はす向かいに史跡と思しき解説板が目に付いたんだけど、渡れないし、時間もない。


何の史跡なのか気になるところだが、諦めて環八方面に向かうも、
交通量が激しくて空気が悪そうな環八よりも、
等々力渓谷の潤いを肌に感じた方がよくね?
ってことで、途中で再び等々力渓谷へ。


坂を下りまた等々力渓谷に出たのは良いが、
結局、二子玉川駅に向かうには、すぐに階段を登らなければならなかった。


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階段を登り、しばらく歩き右折し、結局、環八へ。


「玉川野毛町公園」を左手に見ながら環八を歩くと、
第三京浜入口に。


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ここはウルトラスーパー思い出深い。


今から20年ぐらい前まで、
毎週のように亡父の実家のあった鎌倉に行く際に、
必ず通ったところ。


第三京浜入口は、練馬方面から来ると、
ぐるっとカーブを回る必要があり、そのカーブを抜けると直線になる。


直線の先はすぐ多摩川で、冬とか空気が澄んでいる日は富士山が見えた。


そんな感慨深い高速道路を陸橋の上から撮影。


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まさかここを歩き、この場所から写真を撮るとは・・・。


そして、鎌倉方面からの第三京浜の出口には「アミーゴ」というステーキ屋があった。


まだあるのか?


あった!!!!


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移ろいの激しいこのご時世で、
ガキの頃から営業し続けている「アミーゴ」に感涙しちまった。
(店の上の看板はセンスなさすぎるけど・・・)




高校生の時まで、日曜日と言えば鎌倉だった。
父親に朝の7時ごろ起こされ、半ば強制的に連れて行かれた。


眠いし、他にやりたいことが何もできないので、
中学生、高校生の頃は、正直、億劫だった。


しかしながら、父方の祖父母に電話で行けない旨を伝えると、
受話器の向こうから、あからさまに“ガッカリ”な雰囲気が漂ってきた。


行けば、祖父母が喜ぶ。
だから行った。


でも今では毎週鎌倉に行ってよかったと思っている。


2011年からスタートしたこのディープツアーによって、
ガキの頃の経験って大切なんだという思いがより強まった。


20年前、いや、30年前の自分は、
第三京浜入口の陸橋から神奈川方面の写真を撮ること、
健在の「アミーゴ」に涙することなんて想像だにしていないわけで。


場所というものが、呼び起こす懐かしさ。


人の人生において、年齢ごとによく行った、よく通った場所があると思う。
故郷だったり、学校だったり、勤務地だったり。


若い人にはピンと来ないかもしれないけど、
例えば今の勤務地が、10年後、同じ風景かといえば、
全くそんなことはない。


10年ひと昔。
35歳を超えると多くの人が感じることじゃないかな。


たかだか「アミーゴ」の看板だけで、
過ぎ去った日々が思い起こされる。


父、祖父、祖母、一緒に鎌倉に連行された姉貴、
鎌倉、由比ヶ浜、からこや、のらくろ・・・。


昔聴いていた音楽を耳にした時に、
瞬時にその時代に引き戻されるのに似た感覚を場所に感じる。


そんな感慨に耽っていると、佐藤アサトからメールが。
ほぼほぼ待ち合わせ時間に着くとのこと。


こちらは少々焦らないと遅刻なので、
二子玉川駅までの2キロを早足で歩き、
待ち合わせ時間をちょっと過ぎた時刻に到着。


以降、「ディープツアー2013 二子玉川」に続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。
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