▼最新記事2018年08月18日up!

アレサ・フランクリン

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クィーン・オブ・ソウルことアレサ・フランクリンが亡くなった。


享年76歳。
死因は膵臓がん。


数日前に危篤というニュースを目にしていたし、
年齢的にも早世とは言えないので、驚きはしなかったが、
残念でならない。


アレサ・フランクリンの存在を初めて知ったのはいつだったか…。


多分、オリヴァー・ストーン監督作『プラトーン』のサントラだと思う。


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日本で本作が公開されたのが1987年4月なので、私が中学2年生の時だ。


『プラトーン』のサントラには、アレサの「リスペクト」という曲が収録されていた。


中2の小僧にとって、ソウルとかロックとかジャンル分けすら無意味だったし、
アレサの歌唱力の凄さとかも理解しておらず、
ただアレサのかすれた声と、
「サカツマサカツマ(sock it to me)」というコーラスが印象に残った。


「リスペクト」のオリジナルは、オーティス・レディング。


このサントラには、そのオーティスの名曲「ザ・ドック・オブ・ベイ」を筆頭に、
パーシー・スレッジ「男が女を愛する時」、
スモーキー・ロビンソン「ザ・トラックス・オブ・マイ・ティアーズ」
ドアーズ「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」
ジェファーソン・エアプレイン「ホワイト・ラビット」といった、
ソウル、ロックの有名曲が収録されていた。


今みたいに音楽を手軽に手に入れることも、聴くこともできなかった時代。
『プラトーン』のサントラはかなり聴き込んだ。


小生は、中3ぐらいからHR/HMへと傾倒していくのだが、
大学生の時に所属した軽音楽部の影響で、ソウルに触れた。


メタラーだった自分が、すんなりとソウルがカッコイイと思えたのは、
『プラトーン』のサントラ、そして、アレサ・フランクリンのお陰だったのかもしれない。


映画大好き人間としては、『ブルース・ブラザース』でのアレサも忘れ難い。


ダイナーで「シンク」を歌うシーン、最高!!





「シンク」はスタジオ盤よりも『ブルース・ブラザース』のサントラの方が断然よい。


歌声と映像が合っていない、いわゆるリップズレが激しい。
アレサ・フランクリンが、
1度たりとも同じように歌えないシンガーであることを象徴するシーン。


と、言われているが…、アフレコはリップズレ当たり前。


同じように歌える歌えないはどうでもよい。
『ブルース・ブラザース』でのアレサの存在感が凄いのだ。


映画におけるアレサといえば、
『ブローン・アウェイ/復讐の序曲』も印象に残っている。


随分前に見たのでうろ覚えだが、爆弾魔の話。


フォレスト・ウィテカー演じるSWATが自宅に帰宅し、
ヘッドフォンでアレサの曲を聴く。


するとカチカチと音がして、
ヘッドフォンに爆弾が仕掛けられていることを知る。


「アレサを聴きながら死ねたら本望さ」


大好きなセリフ。


こんな感じで、アレサ・フランクリンとの出会いは、映画が多い。


勿論、生で見てみたいが、アレサは大の飛行機嫌い。


来日することなく逝ってしまった。


でも今のご時世、アレサの凄さを確認する術はある。


2015年12月ケネディ・センター名誉賞の祝賀公演。


受賞者の一人であるキャロル・キング。
彼女の楽曲「ナチュラル・ウーマン」をカバーしたアレサが登場。





本当に凄い!
73歳とは思えない!!


圧巻!
感動!!


アレサの登場に喜ぶキャロル・キング。
こんな名曲を作ったあなたも凄いのに!


因みにアレサとキャロル・キングは同い年。


断言する。
このアレサの歌声を見て、聴いて、
何も感じない人とは、通じ合えない。


オバマ大統領泣く。
ワシも泣く。


音楽で、歌で、こんなにも感動できるんだなぁ。


因みにワシとアレサ。
誕生日が一緒。


アレサ・フランクリン。
偉大なるシンガー。
永遠に!

▼最新記事2018年08月16日up!

下馬〜池尻大橋 2018

2014年7月、松陰神社駅最寄の国士舘大学での所要の合間に、
三軒茶屋まで行き、レンタルサイクルで、
下馬、池尻、代田橋にある団地や戦跡、玉川上水の遺構などを見て回った。


【関連記事】
「【掘り起し企画】下馬〜池尻大橋〜代田橋〜若林 2014」


あれから4年。


2018年4月初旬、久々に三軒茶屋へ行く機会があった。


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三軒茶屋といえばの大山道標


所用の合間の空き時間は、3時間。


4年前に池尻にあった戦跡、室内射撃場跡の周辺は、
大規模工事を行っていたうえ、
室内射撃場の建物自体、解体工事の用のフェンスが設置されていた。


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2014年7月13日撮影


室内射撃場はまだあるのだろうか?


斜陽感バリバリの下馬アパートのその後も気になる。


ということで、確認しに行くことにした。


前回はチャリを借りたが、今回は徒歩。


まず下馬アパート。


健在!


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右側の建物は、人が住んでいるように見えない。
左側の建物には洗濯物が干してあるので、住民がいるのだろうけど、
空き部屋も多そうだ。


下馬アパートの敷地内に、
アパートの比ではないぐらい老朽化した日本陸軍の兵舎がある。


この4年間で、下馬アパートが全て解体されていることはないと思っていたが、
廃屋一歩手前の日本陸軍の兵舎は、もうしかしたら現存しないのでは?
という危惧があった。


しかし、そんな心配は無用だった。


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現在は世田谷韓国会館となっている。


なんか4年前に見た時よりも、朽ちが足りない印象だったが、
それもそのはず、4年前の写真を確認すると、
正面の歪んだ窓が全て塞がれていた。


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2014年7月13日撮影。窓が塞がれていない


4年前とは異なる外観となった世田谷韓国会館だけど、
解体されていないのは、素晴らしい!


建物にいたずらをする輩がいるのか、
手描きで「防犯カメラ作動中」と書かれていた。


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横に「監視カメラ作動中」という紙が貼られているが、
手描きの方が目立つ。


引き続き下馬アパートを見て回る。


一部の建物は、幕に覆われている。


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修繕中なのか、それとも解体作業中なのか…。


くたびれている棟が多いので、
順次、修繕か解体が実施されるのだろうか。


ロマン溢れる給水塔は、以前のままだった。


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建物自体は年季が入っているが、水道管は新し目だ。


給水塔のはす向かいの広場で、
少年野球チームが練習をしていた。


どんな練習をしているのか、ついつい見入ってしまった。


下馬アパートのほとんどが老朽化しているが、
給水塔の奥の棟は特に酷い。


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洗濯物どころか一部屋除いて、物干し竿すらない。
居住者ゼロなのか。


反対側の更地を覆うフェンスには、建設計画のお知らせが掲示されており、
平成31年9月30日までに鉄筋コンクリート造の団地が建てられると記されていた。


平成天皇の生前退位により、平成31年9月30日という日は無い。


突き当たり、防犯事務所という札が貼られている建物。


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かなり年季が入っているが、
一部屋だけ洗濯物干しがぶら下がっている。


1階部分はかつて商店だった。


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チウインガム…。


再開発がガンガン進む今の日本。
下馬アパートの風景は、近い将来様変わりするかもしれない。


都道420号線を横断し、世田谷公園へ。


野球場でオジさんたちが試合をしていた。


これまたついつい見入ってしまった。


野球って、全く知らない人がプレイしていても、
見ていて楽しい。


世田谷公園を抜けて、室内射撃場跡を目指す。


4年前に行っているのだが、
そこに至る道が思い出せない。


一度行った場所は、大体覚えていて、
地図を見ずに行くことが出来ると自負していたのだが…。


意地になって地図やサイトを確認せずに、
なんとなくの記憶を頼りに歩いていると、
池尻稲荷神社に来てしまった。


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神社の横の排水溝も軍事施設遺構。


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池尻稲荷神社の近くに、
かつて軍馬の餌を保管する倉庫をリノベーションした
都民生協の倉庫とヤマト運輸三宿営業所(太子堂センター)や、
陸軍用地と刻印された境界石がある。


これらも4年前に見に行っている。
近場だからついでに再訪することにしたんだが、
これまた道が分からない。


神社脇の排水溝を辿るとその先に細い坂道。


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暗渠に違いない。


確か上記遺構は高台にあった覚えがあるし、
神社脇の排水溝に通ずる暗渠なのであれば、
この上に陸軍施設があったはず。


坂道を上っていく。


坂を上り切ると五差路に出た。
五差路のうちの一本に見たことのある建物があった。


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陸軍馬糧倉庫を再利用した都民生協の倉庫とヤマト運輸の営業所。


何度見ても軍事施設であった痕跡は、皆無に等しい。


続いて陸軍用地の境界石を探す。


適当に近場を歩き回り2分程で発見。


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以前来た時は、読めないぐらい薄かった陸軍用地の文字が、
黒く塗られていた。


かなり雑。
心ない者のいたずらか?


ここから程近い東山公園の傍にある公務員駒沢住宅という団地群が、
廃墟化していると「帝都を歩く」に記載されていたので行ってみた。


しかし、東山公園界隈は美しく整備されており、
公務員駒沢住宅も上塗り塗装しただけの様だが、綺麗になっていた。


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ここから当初の目的地、室内射撃場跡へ向かうおうとしたんだが、
全く道が思い出せない。


仕方がなくサイトで場所を調べたら、所在地は246号線の向こう側だった。


まったくその認識がなかったので、調べて良かったのだが、
己の記憶力の低下に少なからずショックを受けた。


池尻大橋駅を目指して歩いていると、
巨大な円形の建物に出くわした。


そういえば、随分前に見たテレビ番組で、
首都高直結、屋上に庭園を造営した建物を紹介していたっけ。


折角なので行ってみたのだが、
入口が良くわからずウロウロしてしまった。


ようやく入口を見つけて屋上の目黒天空庭園へ。


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真ん中が吹き抜けになっており、
1Fのサッカー場から子供たちの声や親の声援が聞えてくる。


それは良しとして、
首都高や246号線から車の排気音が響き渡り、
都会の喧騒から逃れて…という風情はなかった。


長居することなくお暇。


首都高直結部分。


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運転に疲れたドライバーが、休憩するには良い場所かもしれない。


246号線に架かる歩道橋を渡り、
大橋病院入口からキツイ坂道を上っていく。


坂の上に超難関私立中学・高等学校の駒場東邦があるのだが、
毎日池尻大橋駅から通学していたら足腰が鍛えられそうだ。


坂を上っていくと左側にまだ建設途中の東邦大学医療センターが見えてきた。


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4年前に訪れた時は更地だった場所だ。


目の前にある大橋病院の移転先となる建物で、
この日から数ヶ月後の2018年6月16日に移転していた。


確かに旧病院の見た目はボロいと感じた。


そして、肝心の室内射撃場跡は解体され、
コインパーキングになっていた。


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かつて日本が戦争をしていたことを思い出させるきっかけとなる、
軍事遺構が無くなるのは、本当に残念だ。


小生の世代が子供だった頃は、まだ戦争体験者が多く存命していた。


しかし、戦後73年。
今の子供たちが生き証人から話を聞く機会は、
我々の世代が子供の時よりも多くはないだろう。


戦争がなく平和なのは良いことだが、
戦争そのものが風化してしまうのは良くない。


少しでも多くの戦争にまつわる遺構が残ることを願う。


パーキングの奥にある警視庁大橋庁舎も綺麗になっている。


4年前の写真を確認すると、建物の周りに足場が組まれていたので、
改築か新築されたのだろう。


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2014年7月13日撮影。足場が見える。


病院や警察の建物が綺麗になっていく中で、
廃墟と化していた室内射撃場跡が、解体されるのは致し方ないのかも。


駒場東邦の校庭の隣にある警視庁有家族待機寮駒場住宅も改築中。


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次々と整備され街並みが変わっていく中で、
警視庁有家族待機寮駒場住宅の前に、
孤軍奮闘している建物があった。


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大橋スカイパレス。


ちょっと古びているが、家賃13万円!


どんつきにある没軍馬の慰霊碑・馬神。


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流石に慰霊碑なだけあって、4年前と変わらぬ佇まい。


お供え物が人参!


以上が下馬アパートと池尻の陸軍遺構再訪記なのですが、
無くなってしまったり、再生の過渡期であったりと、
4年の歳月を感じずにはいられなかった。


無くなってしまった建物とかは、
ネットで画像検索すれば大概出てくるけど、
やはりその地を訪れて、この目で見てみたいのであります。


この後、三軒茶屋まで大した距離ではないので、
徒歩で戻ることにした。


歩いたのは目黒川緑道。


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4月初旬ということで、花が咲き出し、
虫たちが地上に姿を現す。


途中で北沢河川緑道と烏山側緑道に分かれる。


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道標の横の石像がちょっと怖い。


三軒茶屋着。
まだ時間があったので、ゴチャゴチャした三角地帯をブラブラ。


この日から約4年4ヶ月前の2013年12月1日、
三軒茶屋に来ている。


2013年2月14日に閉館した三軒茶屋中央劇場。


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2015年6月解体。


2013年12月当時は営業中だったムーブオーバー二本立ての映画館、三軒茶屋シネマ。


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上映中作品は、『L.A. ギャング ストーリー』『ドライブ』。
ライアン・ゴズリング祭だ。


次回上映作品は、『ヒッチコック』『イノセント・ガーデン』。
『イノセント・ガーデン』のパク・チャヌク監督は、
ヒッチコックの影響を受けている。


なかなか粋な二本立てを組んでいたわけですが、
2014年7月20日に閉館してしまっている。


こちらが2018年4月の外観。


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看板は掲げているが、入口はシャッターが下りていて、
その前にはお隣の肉のハナマサの段ボール置場となっており、
更に営業時ポスターが掲示されていたスペースには、
落書きだらけの木の蓋。


切ない。


そんな旧三軒茶屋シネマの屋上には、
バッティングセンターがある。


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バッティングセンター大好き。


80〜100キロぐらいならば、ほぼ空振り無し。
110キロならボチボチ。
120キロならギリ対応できる。
130キロになると大分怪しい。


そんなレベル。


階段を上がると螺旋階段。


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この階段がメッチャ怖かった。


一部老朽化で亀裂が入っており、
グラグラする段があるのだ。


バッティングセンター自体は、古びていて、打席数も少ないが、
地元の映画館吉祥寺プラザの屋上にあるバッティングセンターみたいに、
ボールがアームからポロリと落ちて飛んでこないということはなかった。


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向かいのマンションのベランダで、
洗濯物を干すおばさんを見ながら打つ。


そんなレアな体験が出来るバッティングセンターでした。


この三軒茶屋の三角地帯は、
いつまでこの光景を保っていたれるのだろうか。


年号が変わってから30年。


そりゃ昭和の面影が街から消えていくわけですよ。


そして、来年、平成が終わる。


昭和生まれだが、昭和よりも平成の時代の方が、
生きてきた時代は長い。


平成が消えていく。
そんな風に思う日が来るのだろうか。

▼最新記事2018年08月11日up!

【掘り起し企画】下馬〜池尻大橋〜代田橋〜若林 2014

訳があってUPしなかったり、書かなかった散策ネタがある。


2013年6月に国士舘大学へ行った際、
「世田谷 2013 PART1 松陰神社」を綴ったが、
実はこの後、何度も国士舘大学へ行っていた。


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国士舘大学最寄駅の世田谷線松陰神社駅


用事の合間を縫って、世田谷線の停車駅界隈を中心に、
いろんなところを散策した。


1日で世田谷線の起点・終点となる下高井戸駅から三軒茶屋駅まで、
トータルで踏破してしまった日もあった。


世田谷線沿線は見所満載で、その取れ高はかなり膨大となり、
なんだかまとめるのが面倒くさくって【散策記】に着手することなく今に至っていた。


今回はその一つ、2014年7月13日、
国士舘大学を起点として実施した散策について、
思い出す限り書いてみようと思う。


前日の7月12日も国士舘大学へ用事があり、
合間に散策をすることにしたのだが、
すでに近辺は行き尽くした。


調べた結果、三軒茶屋にレンタルサイクルがあったので、
この日は、自転車で桜新町や二子玉川方面へと繰り出した。
(2014年7月12日の散策記を書くことはあるのだろうか…)


翌13日、今日は何処へ行こうか迷っていると、
同じく散策好きのナレーター・佐藤アサトから、
「下馬、池尻大橋の戦跡を巡ってみたら?」というメールが届いた。


メールにはあるサイトのURLが貼られていた。


「東京蒐集録 都内に残る旧日本軍の遺構 世田谷編」


戦跡大好き。
即決。


行動範囲がそこそこ広域だったので、
三軒茶屋のレンタルサイクルを連日活用。


朝8時半、チャリにまたがりまずは下馬団地を目指す。


三軒茶屋交差点からものの数分で到着。


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団地も大好き。
寂れていれば寂れているほど愛おしい。


下馬団地、良い感じだ。


しかし、調べてみると正式名称は都営下馬アパート。


賃貸情報のサイトによると、
アパートは木造や軽量鉄骨造などで2階建て以下の共同住宅。


下馬アパートは定義に反するが、
元々軍用施設「駒沢練兵場」の跡地に建てられた物件で、
一番古い建物は昭和31年(1956年)。


その頃は団地とアパートの明確な定義の違いなど、
なかったのかもしれない。


上の写真でわかるとおり、アパート1階の店舗は廃業状態。


辰巳の都営住宅(辰巳団地)もそうだが、
古くからある共同住宅団地には、敷地内で生活が事足りるよう、
スーパー、薬局、郵便局、美容院などが併設されていることが多い。


しかしながら、その多くが店を閉め、
新たにテナントが入ることもない。


下馬アパートは、なんでも揃っている三軒茶屋が徒歩圏内なので、
これらの店がなくても、生活に支障はなさそうだが、
陸の孤島状態の団地の場合は、そうもいかないだろう。


現在、団地の住民の多くは、高齢者だ。
ちょっと遠くへ買い物に行くのは難儀でしょう。


今のご時世、スーパーやコンビニの宅配サービスも充実しているから、
以前ほどの苦労はないとは思うけれど。


共同住宅地(団地)に惹かれる理由のひとつとして、
給水塔が挙げられる。


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給水塔はタンクが球体、お椀型、円盤型など様々だが、
箱型の給水塔は、1位、2位を争うぐらい好きな形。


外壁塗装の剥がれっぷりがたまりません。


こちらは下馬アパートの一角にあったゴミ捨て場?


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後に地蔵尊があるのですが…。
バチが当たるぞ。


下馬アパートの中心には公園があり、
そこには観音像や馬魂碑、たぬき(?)などの石碑群がある。


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馬の供養塔は馬頭観音が多く、
馬魂碑というのは珍しいのでは?と思って調べてみたら、結構あった。


たぬきの左側にある碑には、
「軍馬梨山号 昭和十一年一月二十四日殉職」と刻まれていた。


かつてこの地が軍用施設であったことを偲ばせる。


この公園の近くにボロボロの木造長屋がある。


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今は東京世田谷会館という名称で、
在日韓国人向けの施設として利用されているようだが、
元々は日本陸軍の兵舎。


ところどころ修繕が施されてはいるが、
「築何年?」と思わずにはいられない。


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よく311とかで倒壊しなかったな。


現役なのがとにかく凄いと思うのだが、
かつて軍用施設だった建物が、
在日韓国人の施設になっているのも凄い。


続いて「東京蒐集録 都内に残る旧日本軍の遺構 世田谷編」
の情報と地図を頼って、池尻方面にある戦跡を探しにチャリを走らせた。


池尻2-23にある都民生協の倉庫とヤマト運輸三宿営業所。


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何の変哲もない建物だが、実は軍事遺構。
かつては軍馬の餌を保管する馬糧倉庫として利用されていた。


軍用施設だったということは、言われないと全く分からない。


この倉庫の裏手にある細く入り組んだ路地の一角に、
「陸軍用地」と刻まれた境界石が残っているというので探してみた。


すると鳥居を構えたお堂があり、中を覗くと庚申塔が2体安置されていた。


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解説板によると、
「世田谷区内で確認されている二百五体の庚申塔の中、
 二体がこのお堂に安置されている。
 一体は延宝八年(1680)の庚申の年。
 他の一体は次の申(サル)年の元禄五年(1692)の造立となっている。
 この庚申塔は邪鬼をふんづけた姿の青面金剛とその下に三猿を掘った石仏である」
とのこと。


青面金剛(しょうめんこんごう)と見ざる聞かざる言わざるの三猿は、
庚申塔ではポピュラーなものだが、風化が少なく保存状態がとても良い。


それにしても世田谷区には205体もの庚申塔があるのか…。


武蔵野市なんて、片手で足りるぐらいしかない。


明暦の大火以降に発展した歴史の浅い武蔵野市と、
それ以前から人が暮らしていた世田谷区との違いを如実に表している。


お堂の前には猿の石像。


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申(サル)に因んでいるのだろうけど、
あまりこの手の猿の石像は見たことがない…、
いやあるなぁ…赤坂の日枝神社にいた。


【関連記事】
「日枝神社〜信濃町」


同じ猿でも日枝神社とこの猿とでは、
多分、意味合いが異なるのでしょう。


統一感がないのも日本の信仰の特徴。


目的の境界石が見つけられず、ウロウロすること数分。
ようやく発見。


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刻まれた文字が薄すぎるが、確かに「陸軍用地」と書かれていた。


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境界石のすぐ傍に墓地があったんだが、
そこには下馬団地の公園と同じように、ちょっとした石碑群が。


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世田谷区って金持ちが多く暮らしていて、
お洒落で洗練された街並みというイメージがあるけど、史跡の宝庫だ。


続いて、国道246号近くの池尻稲荷神社へ。


「東京蒐集録 都内に残る旧日本軍の遺構 世田谷編」によると、
神社の脇にかつて軍用として使われていた排水溝があるという。


陸軍用地境界線から細い路地を下ると、
すぐに池尻稲荷神社。


神社の脇に確かに排水溝があった。


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しかし「東京蒐集録」の管理人さんは、
この排水溝が軍事施設の遺構であることをどうやって知ったのだろうか。


折角来たので参拝。


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公式HPによると明暦年間(1655年〜1658年)に創建されたようだ。
その他の由緒は公式サイトで。


「東京蒐集録」を参照して、次に目指したのが近衛輜重兵大隊跡。


「近衛輜重兵大隊」


コピペしたけど、読めんわ!


“このえしちょうへいだいたい”


輜重兵(しちょうへい)とは?
以下、まんまウィキペディアから引用。


「戦闘地帯から後方の、軍の諸活動・機関・諸施設を総称したもの。
 戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、
 また、実施する活動を指す用語でもあり、
 例えば兵站には物資の配給や整備、
 兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。」


そんな近衛輜重兵大隊跡地にあるのが、室内射撃場跡。


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かつて室内射撃場だったなんて、
言われなきゃ絶対にわからない。


建物の前には工事用の柵が設置されていることから、
恐らく近日中に解体なのかな。


そんな予測もあってか、普段は一つの建物に対して撮影枚数は少ない方だが、
この物件に限っては、割と多目にシャッターを切っていた。


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この室内射撃場施設の真ん前、丘陵の下は更地。
なんかデッカイものが建ちそうだ。


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屋内射撃場からすぐのところにある天覧台碑。


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かつてこの地にあった陸軍騎兵隊学校の卒業馬術を、
明治天皇と大正天皇が展覧したという碑。


室内射撃場施設を挟んで、
反対側の真新しいマンション群の一角には、
死んだ軍馬の慰霊碑である馬神の碑。


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碑の前には蹄鉄が備えられているが、
没した軍馬のものなのだろうか?


馬神の横には、奇妙な階段。


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この手の意味不明な「超芸術トマソン」的建造物は、
割かし古いものが多いが、これは新しい。


以上が下馬、池尻大橋の戦跡散策。


一旦、チャリで国士舘大学へ。


すぐ傍の松陰神社の横に以前から気になっているものがある。


鳥居と巨大な石碑の一部が見えるのだが、
何故か入口が見当たらないのだ。


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功績を讃えた頌徳(しょうとく)碑の様だが、
誰のものなのかわからない。


側面には西郷隆盛、大久保利通の名前が見られるのだが…。


近くに第11・13・15代内閣総理大臣桂太郎の墓があるが、
彼の碑?


国士舘での用事をサクッと終え、再びチャリで散策へ。


井の頭線の東松原駅の周辺に寺が沢山あるようなので行ってみた。


途中、道のど真ん中に地蔵尊。


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徳明地蔵尊というお地蔵さん。
動かすと祟られるのだろうか?


東松原駅の近くは、やはり寺だらけだった。


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詳細は面倒臭いので割愛。


傍に羽根木公園があったが、
羽根木公園といえば、梅ヶ丘駅。


東松原駅と梅ヶ丘駅は、徒歩圏内であることに気づかされる。


電車だと井の頭線で下北沢まで行って、
小田急に乗り換える必要があるので、遠くに感じる。


つくづく東京都って新宿以西は、
縦の線を結ぶ鉄道が少ないなと思う。。


東松原の寺町から自転車を返却するために三軒茶屋へ向かう道すがら、
京王線代田橋駅近くの環七にある玉川上水の遺構を見に行く。


環七の手前にこじんまりとした寺(?)があった。


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代田不動尊。
中には不動明王。


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不動明王の背後の炎がきめ細やか。


そんな不動明王ですが、縁起とか由緒とか不明。


目的の環七にある玉川上水遺構である環七の下をくぐる地下道。


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この環七横断地下道を含めた緑道が、かつて玉川上水だった。


普段、この地下道を生活道として利用している方々にとっては、
何の変哲もない見慣れた光景でしょう。


しかし、そうではない者からすると、
この地下道は異彩を放っている。


入口には「管・綱材が露出していますので頭上にご注意ください。」
という注意書きが掲げれていた。


その注意書きの通り、地下道は水道管剥き出し。


IMGP2385_RRr.JPG


地下道の中ほどには、補強のためと思しき横串の鉄筋。


IMGP2386_RRr.JPG


かなりの威圧感。


大嫌いな映画『アレックス』が思い浮かぶ。





キ●●イ監督ギャスパー・ノエが手掛けた作品で、
9分間にも及ぶ地下道でのモニカ・ベルッチのレイプシーンが、
物議を醸した問題作。


さらにかつてここに架かっていた橋の橋脚と思われるアーチも登場。


IMGP2387_RRr.JPG


アーチの下には監視カメラが設置されており、
『アレックス』の真似が出来ないようになっていた。


ほんの数十メートルの地下道だが、インパクト大だった。


2014年にアップされたこの地下道を紹介する「東京DEEP案内」の記事を見ると、
地下道の外壁が汚い。


塗装が施されたようだ。


さて、吉祥寺に住んでいる者として、玉川上水は身近な存在だが、
高井戸から先は、ほとんど暗渠。


ところがこの緑道の代田橋駅の近くに、
玉川上水が地上に出ている明渠があるというので行ってみた。


こちらが開渠部。


IMGP2394_RRr.JPG


この写真だと水質が悪そうだが、
実際には水は透き通っていた。


代田橋駅の近く。


IMGP2395_RRr.JPG


玉川上水は、今から365年前の1653年、江戸の水不足を解消するため、
幕府の命を受け、玉川兄弟によって羽村〜四谷大木戸間が開通した。


そういえば、羽村、行ったな。


【関連記事】
「羽村取水せき」
※いま読み返すとちょっとガクブルな文面だ…


代田橋付近は、水にまつわる要所が多い。


ここから徒歩圏内に和田堀給水所がある。


近々、解体されるという話を聞いていたので訪問。


周りは柵に囲まれており、その隙間から撮影。


IMGP2401_RRr.JPG


解体間違いなし。


小型ダムの様なコンクリ、避雷針?を携えた塔、
土手の上にある洋風の東屋が美しい。


特にコンクリの壁と階段はコロシアムみたい。


和田堀給水所に沿って歩き、
柵の間から撮影可能なポイントでシャッターを切る。


IMGP2404_RRr.JPG


コンクリ壁も素敵だが、
手前の蔦まみれの建物も素晴らしい。


細目をした髭面の人みたいな外観だ。


こちらも隙間から撮った一枚。


IMGP2405_RRr.JPG


やっぱりコロシアムみたいだ。


右側に放置されている巨大水道管も良い。


撮影するのが困難なぐらいの“壁=工事用バリケード”が多く、
なんだか近寄りがたい給水所なんだけど、
かつては敷地内の一部が一般開放されていたみたい。


公開中止は2014年。
この写真を撮ったのは、2014年7月13日。


もう少し早く来ていれば…。


解体されてしまったかどうかが気になり、
後日、和田堀給水所を再訪している。


2016年11月28日、明治大学での所用の合間に状況を確認。


IMG_0484_RRr.JPG


IMG_0478_RRr.JPG


IMG_0482_RRr.JPG


給水所は残ってはいるけど、
早晩、解体される感がプンプン漂っていた。


特に井の頭通り沿いの工事車両入口は、それが顕著。


IMG_0479_RRr.JPG


歴史的な建造物がどんどん解体されていく。
なんだか寂しいね。


話を2014年の散策へ戻す。


和田堀給水所から激チャリで三軒茶屋へ行き、自転車返却。


国士舘大学での所用までまだ少し時間があったので、
三軒茶屋から松陰神社まで歩くことに。


途中、若林駅近くにある若林稲荷神社へ立ち寄った。


IMGP2417_RRr.JPG


小さな神社だが、毎年9月に行われる秋祭りには、
多くの人々が訪れるようだ。


縁起等はコチラのサイトが詳しい。
「世田谷散策記 世田谷の秋祭り」


世田谷線の線路と環七が交差する若林踏切。


IMGP2422_RRr.JPG


環七唯一の踏切だ。


世田谷線が高架化する可能性は極めて低いと思うので、
環七を踏切レスにするためには、
環七が地下に潜るしかなさそうだ。


若林は、少し切ない思い出の場所。


2008年の5月末にこの世を去った友人・ぶーちゃんが、
すぐ傍のマンションに住んでいたのだ。


IMGP2420_RRr.JPG
どのマンションだったかは覚えていない


小生が映画業界に入って程なく知り合った仕事仲間。
その後、同僚。
そして、ライバルであり、友達だった。


毎年行ってる海旅行の第1回メンバーであり、
その後、何度も一緒に行っている。


海以外も頻繁にどこかへ行っていた。


当時、自家用車を持っていたので、
遊びに行く際は車を出したんだけど、
ぶーちゃんは、都度、迎えに来て、送ってと甘えてきた。


俺はお前のアッシーじゃねぇ。


と思いつつも何度か送迎してあげた。


ぶーちゃんが小生の車に乗り降りするのは、
常にこの若林の踏切付近だった。


夜でも交通量が多いので、
駐車していると他の通行車両の迷惑になるのだが、
ぶーちゃんがなかなかマンションから出て来ない事しばしば。


マイペースだったぶーちゃんが逝去してからもう10年か…。
最近、墓参りに行っていない。


【関連記事】
#233『ぶーちゃんは悠久の向こう』


若林駅から松陰神社駅は一駅。
アッという間に到着。


一旦、国士舘大学へ行った後、
帰宅するために松陰神社駅へ。


駅近く、線路沿いにあるラーメン屋と鄙びたレコード店。


IMGP2426_RRr.JPG


IMGP2425_RRr.JPG


千昌夫、最近見ていないな。


因みにこの建物は、現在はもうありません。

▼最新記事2018年07月26日up!

六浦〜田浦〜鎌倉 Part6 鎌倉

<六浦〜田浦〜鎌倉 記事一覧>
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part1 序章」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part2 八景苑」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part3 鷹取山」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part4 がらめきの切通し」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part5 田浦」




「六浦〜田浦〜鎌倉 Part5 田浦」からの続き。 


横須賀線に乗車し田浦駅を出発後、
このまま東京へ戻るか否か葛藤しながら、
東逗子駅、逗子駅近辺での散策ポイントをスマホで探す。


しかし、これと言って萌える物件がない。


そうこうするうちに東逗子駅を過ぎ、逗子駅を過ぎ、
横須賀線は鎌倉駅のホームへと進入していった。


時刻は16時。
まだ日没までに時間がある。


この時間から鎌倉で、何が出来る?
今日は父の墓参りに行ったのだから、
最後に父の地元であった鎌倉散歩も悪くない。


で、下車したんだが、ホーム、駅構内、
すげぇー人。


田浦駅のホームなんて10人以下だったよ。


とりあえず、東口よりは人が少ないと踏んで西口へ。


IMG_3277_RRr.JPG


すげぇー人。


鎌倉の観光と言えば、東口側に集中していたのだが…。


先述の通り鎌倉は、この日墓参りへ行った父の実家があった地。


小さい頃から高校生ぐらいまで、
毎週のように父の運転する車で、
祖父母の住む家へ遊びに行っていた。


いわば第二の故郷だ。


2011年に鎌倉出身のナレーター佐藤アサトと一緒に、
鎌倉の散策をして以降、何度か鎌倉には訪れている。


「ディープツアー2011 鎌倉 PART1」
「鎌倉」
「ディープツアー2012 鎌倉 PART1」
「ディープツアー2013 鎌倉PART1」
「ディープツアー2014 鎌倉 PART1」
「ディープツアー2016 特別編 序章」


最後に鎌倉へ来たのは2016年。
西口界隈を少し見て回ったのは、2014年。
祖父母の家があった和田塚方面へ行ったのは、2011年が最後。


ついこの前の様な気がするが、西口界隈は4年前、
和田塚近辺は7年も前。


開発が進む今のご時世、
街並みが大分変っている可能性があるので、
縁の地を見て回ることにした。


まず西口駅前広場から由比ガ浜大通り間を貫く、
御成門商店街へ。


IMG_3280_RRr.JPG


2011年に通った時は、ガキの頃に見た光景と少し異なりはしたが、
そこまで違和感を覚えなかった。


しかし、あれから7年。
御成門商店街は、スイーツ商店街へと変貌していた。


上の写真は、商店街途中から鎌倉駅西口方面に向かって撮ったもの。
人が多い辺りにスイーツ店が群雄割拠していた。


店内には若い女の子たちであふれ、
商店街には3月だというのに浴衣を着た女性が、
スイーツを頬張りながら歩いていた。


かつて多くの商店街は、主に地元民のためのものだった。
八百屋があり、魚屋があり、肉屋があり、文房具屋があり、
本屋があり、金物屋があり、銭湯があった。


でも今は、観光客を目当てにしないとやっていけない。


御成門商店街も、いくら鎌倉という観光地であったとしても、
この日訪れた京急田浦駅近くの仲通商店街や、
都心とは思えない寂れ感が半端ない山谷のいろは会ショップメイトといった、
時代に取り残された商店街に成り得る可能性はあったと思う。


そうならなかったのは、鎌倉御成商店街協同組合が、
時流に乗るべく、柔軟に対応したからなのでしょう。


新しい店がオープンする一方で、昔ながらの店もある。


それが鳥一。


祖母は小生が鎌倉の家に来る時、
かなりの頻度で鳥一の唐揚げやコロッケを買って来て、
食卓に並べてくれた。


特に鳥の唐揚げは、衣がしっとりとしていて柔らかく食べやすい。
味は醤油ぽいしょっぱさが軽く付いていた。


未だ忘れ難く、久々に食べてみたいと思っていたのだが…。


IMG_3281_RRr.JPG


定休日…。


ついていない。


御成門商店街のもう一つの思いでの店といえば、
鳥一の目と鼻の先にあるくろぬま。


IMG_3282_RRr.JPG


2011年に【散策記】を始めてから、
くろぬまに訪れたのは3度目。


毎回、外観が異なる。


「ディープツアー2011 鎌倉 PART1」


「ディープツアー2014 鎌倉 PART3」


2014年と2018年とを比べると、
若干異なるところが見受けられるが、
そこまでの変化はない。


しかし、2011年から2014年への変貌は凄まじい。


この度、くろぬまのことを調べていたらその原因が判明した。


それは台風。


「鎌倉から、空冷ビートル好きのつぶやき♪」というサイトに、
2011年9月に襲来した台風によるくろぬまの被災情報が掲載されていた。


その被害は衝撃的だった。


1階部分が半壊。


小生がくろぬまを2011年に訪れたのは8月。
台風の被害を受ける前。


次いで、2014年にくろぬまを見た際の変貌ぶりに驚いたわけですが、
その理由が分かりました。


「鎌倉から、空冷ビートル好きのつぶやき♪」に掲載されている写真を見ると、
よく存続したなぁ〜とさえ思う。


鎌倉市はくろぬまを歴史的建造物として認定した方がいいよ。


店内に入り店員さんをみると、
くろぬま名物の老店主の姿が見えない。


2014年訪問時は健在だったが、
あれから4年…。


ネットでいろいろと調べたみたところ、
2016年の夏頃までは、店に立っていた模様。


女性の店員さんに聞けばよかった。


そして、驚いたことに、くろぬまがtwitterをやっていた。


かなりの頻度で投稿されているのに、
殆どの記事がコメント、リツイート、いいねがゼロ。


フォロワー数は217とかなり寂しい。


由比ガ浜大通りへ出る。


ガキの頃と変わらぬ店構えの浜勇商店。


IMG_3283_RRr.JPG


祖母は商店街でいろいろと食材を買っていたが、
この店ではあまり買い物をしていなかった。


あまり思い入れのある店ではないが、
店名に恥じない昔と変わらない由比ガ“浜の勇”姿が懐かしく、
存続していることが嬉しくて仕方がない。


一方、浜勇商店のはす向かいは対照的だ。


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2016年6月に放送されたテレ東の「アド街ック天国」で、
江ノ電を眺めながら、料理を楽しめるレストランとして紹介された、
2015年4月に開店したFARM TO YOUが、なんと閉店していた。


ほぼほぼ同じようなコンセプトで、
2017年2月にオープンしたのが、AWkitchen GARDEN 鎌倉。


うちのじいちゃんの家は、
団らんの場であった居間から江ノ電が見えたんで、
それとあんま変わらない!?


若宮大路へ出て、引き続“思い出”を求めて鎌倉駅方面へ歩く。


横須賀線の高架を潜ってすぐ右手の秀吉。


IMG_3285_RRr.JPG


本日休業のこのやきとり屋は、
「ディープツアー2011 鎌倉」で、佐藤アサトと旅の〆として訪れた店。


鎌倉の名物串焼き屋「ひら乃」が満員で入れず、
たまたま利用した店。


正直、そこそこのお味の店だったんで、
今でも潰れていないのが意外。


この店で飲んでいる時に佐藤アサトが、
「デフ・レパードのベーシスト、リック・サヴェージと、
ドラムのリック・アレンは兄弟である」という、
まるで間違った認識を述べたことを今でもよく覚えている。


リックは名字じゃないっす!


続いて、自分的鎌倉のランドマークである島森書店。


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本が売れないご時世。
数多の本屋が店を畳む中、こうしてガキの頃のまま、
鎌倉の一等地に居座っているのが、本当に素晴らしい。


島森書店のちょっと先にある豊島屋で、
鎌倉といえばの鳩サブレーを購入。


牛乳に浸して柔くしてから食べるのが好きで、
久々に食べるのを楽しみにしていたんだが、
私の口に入ることなく、家族にすべて食い尽くされてしまった。


鎌倉駅東口の方へ行くと、
島森書店と同じく東急ストア前の松林堂書店も健在。


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島森書店、松林堂書店の他にも、
由比ガ浜大通りや小町通りの古本屋へ足繁く通った。


思い返してみると、鎌倉へ行くと本屋へ入り浸っていたな。


映画のノベライズや当時絶大なる人気を誇った赤川次郎の小説とかを買った。


赤川次郎の本で一番印象に残っているのは、
「三毛猫ホームズシリーズ」でも「幽霊シリーズ」でもなく、
「幽霊から愛をこめて」


内容は良く覚えていないが、
ともかく怖くて面白かった。


今読むとショボイのかもしれないけど、
鎌倉の家で興奮しながら読んでいた。


以来、赤川次郎にはまった。


続いて丸七商店街。


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なんだか小ざっぱりとしたものの、
未だに昭和臭を漂わせているこの空間が堪らなく好き。


入口はおかしのまちおかになっちゃったけど。


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実は入口がおかしのまちおかになっていたため、
若宮大路を歩いている際にこの入口を見落としてしまい、
丸七商店街が無くなってしまったものと勘違いしてしまった。


再び由比ガ浜大通りへ戻る。


和田塚方面へ歩いていると、
とある古本屋が目に付いた。


公文堂書店。


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髭を生やしたオッサンの顔みたいな外観だ。


小学6年生の頃、
この店で、映画雑誌「スクリーン」を初めて買った。


同級生の小林三津生くんと一緒に新宿ミラノ座で見た『グーニーズ』の影響で、
ジャッキー・チェン以外の映画に目覚めた時期で、
既にライバル誌「ロードショー」には手を出していたが、
「スクリーン」はまだだった。


「スクリーン」を読んでみて、
子供ながらに「ロードショー」の方が、
写真が綺麗だったし、エロ度も高いと思った。


更に表記の違いに戸惑った。


ダイアン・レーン、ケヴィン・コストナー、ルパード・イベレット…。


そして、当時、最も好きだった女優リー・トンプソンが、
リー・トンプスンという表記だったのだ。


多分、発音はトンプスンの方が近いんだろうけど、
どうも馴染めず、「ロードショー」派となり、
愛読し続けて立派な映画少年となった。


【関連記事】
「さらばロードショー」


それにしてもリー・トンプソンは可愛かったなぁ。



このCMを見るために夜中まで起きていて、母親にメッチャ怒られた。


六地蔵交差点を過ぎてすぐ、“フツウの店”八百力商店。


IMG_3297_RRr.JPG


ガキの頃からある八百屋さん。


浜勇商店共々、吉祥寺では絶滅危惧種に近い八百屋さんが、
古都・鎌倉で頑張っている。


ここまで由比ガ浜大通りを歩いてきて、
かなり洒落た新しい店が多くなったなという印象だったが、
この後、縁ある店が連発する。


井上蒲鉾店。


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銭洗弁財天の縁起にちなんで生まれた小判揚は、
祖母が母方の吉祥寺の家へのお土産としてよく買ってくれた。


久々に食べたい!


ということで、購入。


支払いをする際、若い店員さんに、
「ガキの頃、よく食べていたんですよ」と振ってみたものの、
「あぁ、そうですか」とそっけない返事。


ちょっとガッカリ。


翌日、トースターで炙って、
山田の醤油とショウガで頂きました。


IMG_3316_RRr.JPG


食べたの25年ぶり?
やっぱり美味しい!!


美味いといえば、鰻屋の老舗つるや。


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祖父母の家へ行った際、かなりの頻度で鰻重を食べた。


多分、生まれて一番最初に口にした鰻はつるや。


実は、今回の散策でランチ候補だったのだが、
事前に調べたら定休日だった。
(よって散策ルートを変更した)


それにしても鳥一、秀吉、つるやと、
鎌倉は火曜日が定休日の店が多いな。


つるやの脇道を行くと、
かつての祖父母の家へ至るのだが、
その前にどうしても行っておきたい店があった。


それが、花見煎餅吾妻屋。


IMG_3300_RRr.JPG


毎週、鎌倉へ行く度に、この店へ祖母と一緒に行き、
お菓子を買ってもらった。


そんな思い出の店なんだけど、入店したところで、
井上蒲鉾店みたいな薄い反応だったら嫌だなぁって。


少し躊躇したんだが、店内を覗くと、
初老のおじさんがカウンターに立っていた。


祖母はこの地を愛し、みんなから好かれていた。
もしかしたら、祖母のことを知っているかもしれない。


そんな期待を胸に入店し、店主に話しかけてみた。
(因みに小生は大学2年生の時に養子縁組をして以来、母方の姓になっております)


「子供の頃、祖父母の家が近くにあり、ほぼ毎週、お菓子を買いに来ていました」
「あらそう?どちらさん?」
「無心庵(鎌倉で有名な甘味処)の隣で、いまピアノ教室になっています」
「あぁ!!覚えているよ!●●さんね」
「本当ですか?」
「うん、●●さんの息子さん(私の父)が、たしか出版社に就職したよね」
「そうです。婦人生活社です」
「そうだ、婦人生活社だったね」
「その息子です」
「そうですか、そうですか、それはどうも」


祖母のことだけでなく、
父のことを覚えてくれていた方が、鎌倉にいた。


話ながら泣きそうになった。


いろいろと話を聞いた。


昔あった店もいくつかあるが、おもちゃのからこやや伊藤菓子店がなくなっている、
商店街は大分変ったように見えるというと、
「確かにそうだけど、新旧入り混じっているんだよ」という答えが返ってきた。


「商店街として生き残るためには、
新しい物を採り入れないと。バランスだよ」


これが商店街の生き残る道。


次いで、祖父母の家の隣りにある人気甘味処・無心庵の女将、関口ママのことを聞くと、
残念ながら数年前に亡くなったという。


関口さんはご近所だったので、祖母と仲が良かった。


無心庵がテレビや雑誌で紹介される時、
よく関口ママが出てきたんだけど、
最近はあまり登場しなかったので、もしかしたらとは思っていた。


花見煎餅吾妻屋でのやり取りは、
ガキの頃、同じ時間を共有した姉にLINEで伝えた。


煎餅を買って帰りたいところだが、
いまは煎餅を製造していないとのことで、
対面ケースに陳列されていた和菓子を購入。


店主に御礼を良い、つるや横の小路へ。


IMG_3301_RRr.JPG


あまり子供の頃と変わっていない。


この路地を通る度に、鰻の焼ける良い香りが漂っていた。
今でも鰻の焼ける甘い香りを嗅ぐとこの路地の光景が目に浮かぶ。


左手のトタンの塀とか、ガキの頃のまんま。


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因みにこのトタンは、無心庵の塀なのです。


ピアノ教室。


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かつて祖父母の家があった場所。


和田塚駅の真ん前にあるのが、無心庵。


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今から28年前の1990年、
故・関口ママが、甘味処をやると言い出した時、
祖母を含め周りの人は反対した。


しかし、結果、無心庵は成功した。


未だに高い人気を誇り、食べログの評価も高い。


関口ママは、路地を挟んだお隣ということもあり、
祖母とはとても仲が良かった。


1991年の秋に祖父が亡くなってからは、
祖母のことをより一層気にかけてくれて、
夕飯時に勝手口からまさに勝手に上がり込み、
夕食が並ぶ食卓で、祖母とお喋り。


暫くすると「夕飯時にごめんなさいね」と言って、去っていく。
それを合図に夕飯を食べ始める事しばしば。


でも決して迷惑だとは思わなかった。


むしろ祖母の話し相手になってくれる有難い存在。


祖父の法事のお清めは、関口ママから申し出があって、
無心庵を貸し切って行ったことも数回あった。


大学生の時、彼女と一緒に鎌倉旅行へ来た際、
先述の八百力商店で買ったスイカを手土産として、
事前の連絡なしに訪れ、鮭の懐石弁当みたいなものを頂いた。


1食当り1000円以上したと思うのだが、
支払い時、関口ママは一切お金を受け取ろうとしなかった。


「あなたからお金はもらえないよ」って。


更に昔の思い出散策は続く。


和田塚駅脇の路地。


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左側はガキの頃と違うが、
右側のブロック塀は、あまり変わらないような気がする。


この路地を抜けた先にあった駐車場に父は車を停めていた。
思い返すと「月極め」だったかも。


1ヶ月間の駐車場使用頻度は4〜5回。
なのに月極め?


贅沢だ。


路地を抜け、由比ガ浜の方へ向かう。


その際、どうしても確認したい道があった。


ガキの頃、祖父母の家から由比ガ浜へ行く時に通った道。


その道の片側は松の木とか生えた雑木林で、
夏場はメッチャ蝉が鳴いていた。


毎年、夏が到来し、蝉がミーン、ミーンと奏でると、
必ずこの道を歩いた記憶が蘇る。


昔の記憶を頼りに小道に入る。
十中八九ここだ。


IMG_3306_RRr.JPG


右手に松の木がある。


随分さっぱりとしてしまったが、
かつては木々がお生い茂っていた。


再び由比ガ浜へと通ずる道へ戻る。


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周りの建物は変わっているが、
この海へ抜ける一本道の光景は、まぶたに焼き付いている。


浮き輪を腰に携え、祖母が用意してくれた弁当を持って、
父と姉と通った道。


歩を進めて海近くの左手に現れる鎌倉海浜公園。


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ガキの頃はもっと高い山がいくつかあり、
白い丸い湯呑茶碗のようなベンチが頂上に設置されていた。


小学生の時、ラジコンカーのグラスホッパーを初めて走らせたのが、
この公園。


グラスホッパー本体はクリスマスプレゼント、
バッテリーとプロポはお年玉を使って、
今は無き由比ガ浜商店街のおもちゃ屋からこやで買った。


グラスホッパーが、芝生の上を疾走した時、
一緒に親父もいたっけ。


鎌倉海浜公園では、ゲイラカイトを飛ばしたのも思い出に残っている。
ゲイラカイトの上げ方を教えてくれたのは父だった。


因みにこの芝生の公園の下には、4000体にも及ぶシャレコウベが眠っていた。
地下に駐車場を作る際に掘り返したら、人骨がざくざく。


ちょうど発掘作業の時期に公園へ来たら、
幕が張られていたんだけど、隙間からドクロを見る事が出来た。


公園の反対側へ目を向けると「シン・ゴジラ」のゴジラ上陸地点


IMG_3309_RRr.JPG


庵野秀明監督は、かつて鎌倉に住んでいたらしい。


国道134号線の長〜い信号を待って、由比ガ浜の入口へ。


靴が砂まみれになるのが嫌だったので、
浜には降り立たなかったが、目の前に広がる光景は、ガキの頃と一緒。


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風に運ばれてくる磯の香りも変わらない。
気のせいかもしれないが、由比ガ浜の匂いって、
他の海とは異なる独特な匂いがする。


磯の香りに混じったちょっと錆びたような、鉱物のような匂い。


「ブラタモリ」で、タモリが、
「鎌倉の砂浜が黒いのは、砂鉄を含んでいるから」と言っていたことを思い出した。


ボッーと湘南の海を眺めていると、
砂浜に置いてあった女性グループの荷物がカラスのターゲットに。


荷物を咥えて飛び、少し離れた所で突き始めた。


IMG_3312_RRr.JPG


良く見えなかったけど、多分、鳩サブレー。


その後、女性たちはなんとか荷物を回収していたけど、
カラスにかなり突かれていたので、もうダメかもしれない。


時刻は17時15分。
陽が大分長くなったけど、そろそろ日没。


和田塚駅へ戻り、江ノ電に乗る。


IMG_3313_RRr.JPG


何気に江ノ電に乗車は、約6年ぶり。


で、乗ったのは鎌倉行きではなく、藤沢行き。


なんとなく藤沢から小田急線で帰りたくなったのだ。


車内は外国人が多く、半分以上が日本人ではなかった。


ガキの頃、鎌倉で外国人なんてほとんど見たことなかった。


藤沢駅で小田急線に乗り換え、この後のことを考えた結果、
久々に荻窪の串焼き屋・遊佐へ行くことにした。


流石に寝不足と長距離歩行による疲労から、
ガタンゴトンと揺られながらうたた寝をしていると、
携帯にメール着信。


確認すると地元の少年野球チームの監督から飲みのお誘い。


予定変更。
下北沢で下車して、井の頭線で吉祥寺へ。


監督から指定された店は、
まさかのいせや公園店。


IMG_3315_RRr.JPG


大学1年生の時のバイト先。


(いまはどうか知りませんが)当時はキツイ、キタナイ、キケンの3K職場だった。


なんで居酒屋でキケンなんだ!と思うかもしれませんが、
キケンです。


当時のいせやは、15時開店。
17時に出勤してフロアに入ると、酔っぱらい親父がそこかしこに。


注文をした料理が遅い、品物の置き方が悪いなど、
あらゆる難癖をつけてくる。


大学生だったんで、血気盛ん。
マジでぶん殴ってやろうかと思う客もいた。


なのでいろんな意味でキケンでした。


そんないせやで監督と飲んでいると、
次々とコーチ陣が集結。


22時閉店のいせやから、
同じチームのコーチが営んでいる別の店へ移動し、
そこそこ遅くまで飲みました。


睡眠不足の状態でアグレッシブに歩き周り、
よく頑張った。
俺。


というのはさておき、
やっぱり神奈川県の三浦半島方面は、素晴らしい。


田浦の廃村はしてやられましたが、
行政の行き届いていない萌えスポットは、かなりあると思う。


あと、今回の散策は、亡父に尽きる。


父の墓参りに行けたのも良かったし、
結果的に鎌倉をウロウロして、父との思い出を探求することが出来た。


田浦の廃村に立ち入ることが出来なかったのは残念だったが、
かなり充実した散策となった。


横須賀線を鎌倉駅で降りたのは、大正解だった。

六浦〜田浦〜鎌倉 Part5 田浦

<六浦〜田浦〜鎌倉 記事一覧>
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part1 序章」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part2 八景苑」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part3 鷹取山」
「六浦〜田浦〜鎌倉 Part4 がらめきの切通し」




「六浦〜田浦〜鎌倉 Part4 がらめきの切通し」からの続き。


隆昌で腹を満たし、JR田浦駅へと向かう。


1〜2年前にyahoo!ニュースに「都心から最も近い廃村」として、
田浦が紹介されていた。


“廃”フェチとして一度訪れてみたかったのだ。


横須賀街道を歩き出すと、すぐに仲通商店街。


IMG_3253_RRr.JPG


シャッター商店街の臭いがする。


商店街に寄り道すると…シャッターだった…。


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シャッターに落書きがないし、朽ちた建物もない。


綺麗な商店街だったが、まるで活気がない。


寂れた商店街を見る度に、
日本の何かが確実に終焉に向かっていると感じる。


横須賀街道を進むと、
ほどなく景徳寺の近くのトンネル。


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新船越隧道。


突入。


新船越隧道を通り抜け、
何気なく振り返ると廃トンネルと慰霊碑があった。


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トンネルは金網が施されているし、
隧道内に不法投棄物が散乱しており、
とても中に入れる状況ではなかった。


しかし、このトンネルに潜入した猛者がいた。


平沼義之。


「山さ行がねが」の管理人。


前から凄い方だと思っていたが、
旧船越隧道の突入レポを読んで、
本当に凄いなって。


いつかお会いしたい。


トンネル手前の慰霊碑には、
「大正12年大震災 殃死者群靈寶塔(おうししゃぐんれいほうとう)」という
文字が刻まれていた。


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関東大震災で亡くなった方々の供養塔で、
震災の1年後である大正13年(1924年)9月1日に建立されたもの。


横須賀市も震災の被害は甚大で、
多くの人たちが犠牲になっている。


その被害規模は、「はまれぽ.com」というサイトが詳しい。


続いて、本日のオオトリ、田浦の廃村へ向かう。


横須賀街道、田浦五丁目交差点の先、
入口にアーチのある道を右折。


かつてはちょっとした商店街だったことを匂わせる、
あまり人気のない住宅街を歩く。


京急本線の高架トンネルをくぐってすぐを左折。


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この踏切の先に田浦廃村があるはず。


地図で見る限り、田浦廃村は袋小路になっており、
廃村目当てでないとまずここには来ない。


勿論、廃墟の中に立ち入るなど、
不法侵入行為をするつもりはないが、
地元の人たちは、私の様な見学者をよくは思わないだろう。


ちょっとドキドキしながら、踏切を渡ると…。


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入口封鎖!!!


真新しいオレンジの柵に貼られた紙を確認すると、
平成30年2月9日にバリケードが設置されたようだ。


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昨年の9月頃に散策仲間のナレーター・佐藤アサトと、
田浦廃村訪問計画を立てたが、
小生の方のスケジュールの調整がつかず断念。


あの時に行っていれば…。


この手の物件は、行ける時に行っておかないと、
どんどん立入禁止、取り壊しになってしまう。


早速、佐藤アサトのLINEへ、
田浦廃村の入口封鎖の一報を入れると、
「突破せよ!!」との指示が。


いやいや、捕まるから。


ぶっちゃけ、バリケード低いし、
頑張れば左横から突入できそうだんだけどね。


まぁ、すぐに不届き者によって一部破壊され、
侵入が可能になるに違いない。


因みに田浦廃村は、いくつかハイキングコースからの入口があるのだが、
それらすべてが同じように封鎖されたようだ。


それにしてもなんで廃村になったのか…。


1999年頃、開発のため住民が立退きになったということらしいが、
ネット上に転がっている数多の田浦廃村の写真を見るに、
かなりの家屋で家財や生活用品の放置が見受けられる。


まるで夜逃げ。


で、こちらの「限りなく透明に近いブログ」というサイトで、
その原因を究明していた!


このブログに掲載された一枚の写真。
家屋の扉に書かれた文字…。


「私達の工場で作られた××有我投御座います
 尊師様麻原昇公(御買上)
 平成十一年X月X日横須賀にてアルマゲドン実行
 アーチェリー様 オウムは永久に不滅だ」


麻原彰晃の漢字間違っているし、
アーチャリーじゃなくて、アーチャリーだし、
御買上(おかいあげ)とか舐めてるし、
たんなるいたずら書きだと思いますが…。


メインディッシュに有りつけず落胆しながら踵を返すと、
踏切を渡ったところでバイカーと擦れ違った。


きっとこのバイカーも、
封鎖されていることを知らずに来たのだろう。
すぐに引き返してきた。


なんかこのまま帰れない…。


グーグルマップを見ると近くの静円寺踏切に、
轢死者溺死者追弔塔があるようなので行ってみた。


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先の大正12年大震災 殃死者群靈寶塔と同じ、
大正13年(1924年)9月1日に建立されたものらしいが、
こちらの碑の方が、風化がかなり激しい。


関東大震災によって起きた、
横須賀線沼間トンネル崩落による犠牲者を弔う轢死者溺死者追弔塔に関しても、
「はまれぽ.com」が詳しい。


踏切から横須賀街道へ戻るとすぐに静円寺があった。


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静円寺の近くには、馬頭観音堂。


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庚申塔のようなものも安置されていた。


それにしても、このまま帰るのが悔しい。
佐藤アサトからはLINEで猿島を提案されたが、
時刻は15時で、これから行くにはチト厳しい。


仕方なく田浦駅の方へなんとなく向かっていたら、
素敵なレンガ造りのトンネルが。


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よーく見るとトンネルの上にハイキングコースのような道が見える。
ハイキングコースへ至ると思しき階段も!


階段は踏切を渡る前にスルーした神明社の境内の裏手に位置する。


行ってみよう!


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行けなかった…(涙)


空振り連発で、疲労も倍増。
重い足取りで田浦駅へ向かう。


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田浦駅の1日平均乗車人員数を調べるにあたり、
初めて知ったんだけど、
横須賀線の正式区間は、大船駅〜久里浜駅なのですね。


えっ?東京駅〜久里浜駅じゃないの?って。


東京駅〜大船駅区間の正式路線名は、横須賀・総武快速線。


で、ウィキペィアによると、
田浦駅の1日平均乗車人員数は年々減り、
2017年は2,292人。


横須賀・総武快速線と横須賀線の駅の中で、最低人数。


因みに、お隣の横須賀駅は、意外と少なく5,289人で、
同じくお隣だが圧倒的に知名度の低い東逗子駅の5,136人と大差ない。


横須賀線区間で最も少ない1日平均乗車人員数を誇る田浦駅ですが、
駅としてはとても個性的だと思った。


横須賀駅、衣笠駅、久里浜駅へ行ったことがないので、
断言できないけど、横須賀線の駅の中で存在感は一番なのでは?


それはホームに降り立つと判る。


横須賀、衣笠駅方面のホームと3つのトンネルが直結しており、
しかもその1つが廃トンネル。


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七釜トンネルという名称で、真ん中の白い煉瓦造りのトンネルは、
明治22年(1889年)の横須賀線開通時に完成した最も古いトンネルだが、
電化に伴い大幅に改修されてしまったそうだ。


一番右の煉瓦で造られたトンネルは、
複々線化に伴い関東大震災から1年後の大正13年(1924年)に建設。


一番左のコンクリート製の廃トンネルは、
戦時中の昭和18年(1943年)に、海軍の要請で造られた軍需輸送専用の引き込み線。


戦後は相模運輸倉庫が保有する貨物専用線として使用されていたが、
1998年に廃線になっている。


横須賀に多く残る戦跡のひとつ。


田浦駅は、明治、大正、昭和の三代に渡るトンネルを拝めるのだ。


さらに反対側の鎌倉・逗子方面にも2つのトンネルがある。


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田浦トンネル。


七釜トンネルと同様、右側、下り線のトンネルは、
明治22年(1889年)開通で、今でも一部その建設当時のものが使われている。


左のコンクリ色の煉瓦で造られたトンネルも、
七釜トンネルと一緒で、複々線化のため大正13年(1924年)に開通している。


左右をトンネルで挟まれている駅自体が珍しいと思うんだが、
箱根登山鉄道の塔ノ沢駅とかもそうだ)
田浦駅のユニークさはこれだけではない。


横須賀線の車両よりもホームの長さが短いため、
列車の一部の乗車ドアが開けられず、乗降できない車両があるのだ。


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このような一部のドアからのみ乗降させる措置をドアカットといい、
首都圏近郊の駅では、東武伊勢崎線の浅草駅、東急大井町線の九品仏駅、
江ノ電の腰越駅など数えるほどしかない。


ホームで電車の到着を待っている間、田浦駅を調べてみたら、
周辺に廃線跡が残っているようだ。


「桜山軽便鉄道・雑記帳」
(このブログで紹介されている廃線跡の多くは、恐らく現在消滅している)


田浦駅を訪れることは、多分、もうない。
見ておきたいところだが、丁度、上り電車が到着。


横須賀線の本数が少ないというのもあり、
来た電車に乗り込んだ。


以降、「六浦〜田浦〜鎌倉 Part6 鎌倉」へと続く。

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プロフィール

1974年、東京都生まれ。少年時代、ジャッキー・チェンの映画に魅了され、映画小僧の道を突き進む。大学卒業後、映画宣伝代理店に入社。『リーサル・ウェポン4』、『アイズ ワイド シャット』、『マトリックス』などを担当。

2000年、スカパー!の映画情報専門チャンネル「カミングスーンTV」転職し、映画情報番組の制作を手掛けたのち、2006年、映画情報サイトの運用に従事。その後、いろいろあって、2013年7月よりCS放送「エンタメ〜テレHD」の編成に携わっている。

本ブログは、多ジャンルの情報提供を志すT-SHIRT-YA.COMのオファーを受けて、2003年4月にスタート。2007年12月にブログ化。

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